第1章 泥だらけのエスケーパー(part 10)

 「ハルカに出会えた事を、俺は感謝しているって意味さ」

 「あ、ああ。それだっだら、私の方こそ・・・」

 「君も飲むかい?」

 俺は、「ウィスキーはハルカと同じ位好きだ」と言ってしまったので、何となく息が苦しく成って、話題を反らすべくウィスキーをハルカに勧めた。

 「一寸、待ってね。ジュンイチ」

 そう言うと、ハルカは蟹とツナの缶詰を持って来た。

 それから赤ワインを手にして、又、戻って来た。

 「わたしは、こちらの方が良いから」

 俺達は、それから蟹とツナを箸でつついた。

 「缶詰から直接食うのは、箸が一番だな」

 「ふふふ、わたしは子供の頃からお箸は使っていたから」

 ハルカは俺よりも上手に箸で、自分の口に蟹を運んだ。


 「ジュンイチは、エスプピープルの事を私に訊かないの?」

 「そんな事は無いけど。ハルカはサリに所属していたって言ってたよな」

 「厳密な事を言えば、わたしがサリに所属していたのは、未だそこの研究員だった頃の話だわ」

 「今は所属はしていないと?」

 俺は今度は、ツナの方に箸を伸ばした。

 地球は今、強烈な放射能が充満している言うのに、どうしたらこんな天然物が手に入るんだ?

 「今のわたしはサリのRSだから、所属しているとは言えないの」

 「RSだって?RSって、Research Subjects、詰まり、君はサリの研究対象者だって事?」

 「ええ、ジュンイチも知っているよね。今から10年前に、世界の各地に突然『「ヒマラヤ聖者』を名乗る人達が現れて、このままでは人類は滅ぶだろうって予言した事は」

 「ああ、知っているさ。俺が親父の後を継いで、軍人に成る事を決めた年だったからな」


 今から丁度10年前、世界の各地に突然「ヒマラヤ聖者」と名乗る一団が現れ、このままでは人類は、このミレニアムで滅ぶだろうと言う予言を発して、地球人類に警鐘を鳴らしたのだ。

 彼等は、その危機を免れる為、ひいては地球人類が宇宙の知的生命体の一員として迎えられる為に、偉大なる太古の大女神エレノアが遺した教えを守るべきだと主張した。

 そして、その大女神エレノアの教えのうち、現在の地球人類に取って必要な部分だけを抜粋して伝導すると語ったのだ。


 最初は単なるカルト集団だと目されていたが、彼らが次々に起こす奇跡に、次第に世界中の人々の注目が集まった。

 多くの識者は、それがトリックだと主張して、色々な状況を作り出して、その奇跡の再現を要求した。

 だが、彼等はどんな状況でも、必ず奇跡を起こした。

 以来、世界のマスコミはそれを大々的に報道して、連日、訳知り顔の学者や評論家が自説を解説したり、超能力の存在を否定する一派と肯定する者達の間で大論争が起こったりもした。

 只、彼等が行ったのは割に地味な奇跡で、毎日の様に、明日、起こる出来事を予言したり、テレパシー能力を使って、パラレルビジョンのスタジオに出演している者が選んだ図形を間違い無く当てたり、彼等が箱の中に隠した物が何かを当てたりした。

 派手目な奇跡としては、多くの観衆の目の前で念力みたい力を使って火を燃やしたり、小さな竜巻を起こした事位だった。


 それでも、それが事実なら奇跡で有る事には間違いが無いので、当然、彼等らの注目度は異常な程に急上昇した。

 彼等が主張する大女神エレノアの教えとは、地球には次なる大役が有るので、地母女神ガイアと共にこの地球を慈しみ、愛に溢れる生活を地球人類は送るべきだと言う教えだった。

 そして彼等は、彼等の考えに熱狂的に賛同する者の中から、その数は分から無いが、一部の者を選別して特別な教えを授け、秘儀に依って特殊な力を与えたとも主張した。


 世界の興奮が醒めやらない中、彼等が地上に現れてから僅か77日後に、彼等は忽然こつぜんとこの地上から姿を消した。

 そして、その後、今日まで姿を表す事は無かった。

 この状況に世界の政府は公式には沈黙を守ったが、富豪達の一部は、彼等を発見してもう一度連れて来た者に対して高額の懸賞金を懸けたり、大国が密かに特殊部隊や諜報員を総動員させて彼らを捜索させたが、誰も彼らの足取りを掴める者はいなかった。


 彼等や女神エレノアに関する怪しげな書籍が次々と出版され、それがが飛ぶように売れた。

 やがて世界の各地で、まるで雨が降った後の竹の子のように、私はヒマラヤ聖者や大女神エレノアと交信する事が出来ると主張する者が現れた。

 遂には国際エレノア教団なる宗教法人まで誕生した。

 その女性教祖も又、自身が女神エレノアの生まれ代わりだと主張する者で有った。

 その教団は、信者から多額の寄付金を受け取り、急速にその規模を拡大した。

 その教団が出版した怪しげ極まる書籍も、概ねはベストセラーに成った。

 それは人々に取って、ヒマラヤ聖者と大女神エレノアに関する情報が、限りなく少なかったからだ。

 しかし、それらは内容的には、色々と尾鰭を付けた怪しさに満ちていたものの、ヒマラヤ聖者達が教えた教理や生活態度をベースに説いていたので、基本的には世界平和を志向する物だった。

 

 当時が、大国同士が一触即発で核戦争が起こっても可笑しくない情勢だった事も有って、この「ヒマラヤンセイジ・ムーブメント」と呼ばれた一連の出来事は、多くの人の考え方や行動に影響を及ぼしたかに見えた。

 だが、地球人類に平和をもたらす筈だった「ヒマラヤン・セイジ・ムーブメント」は、彼等が現れてから3年後に事実上終焉した。


 当初は超能力否定派が主体だったが、それに加えて自らの教えと相入れない宗教団体、自説と齟齬そごが生じる学者、世界が平和に成っては困る軍需産業、帝国主義を継続したい大国の思惑が一致して、彼等に依るヒマラヤ聖者の排斥運動が世界中に広まったからだ。

 その者達は、偽の情報を世界に大々的に流すと言う、昔から行われて来た手法を使った。

 即ち、ヒマラヤ聖者は地球に害を成すカルト集団で、彼らが行った事は全てトリックだと宣伝したのだ。

 決め手に成ったのは、或る大国にベッタリのパラレルビジョン局が、映像技術を駆使してヒマラヤ聖者達が起こした奇跡を再現して世界に向けて放送した事だった。


 やがて人々のヒマラヤ聖者への熱が少し冷めるや否や、複数の大国がヒマラヤ聖者達は「ヒポクリットスノウ」と呼ばれる世界征服を企む秘密結社の工作員だと公式発表を行った事で、その熱は急速に冷えて行った。

 そして、世界学術アガデミーがヒマラヤ聖者が行った奇跡は全てトリックだとが宣言した事、更には新世界連盟も彼等を「ヒポクリストスノウ」の手先だと認定した事で、「ヒマラヤンセイジ・ムーブメント」は、完全にとどめを刺された。

 今にして思えば、この時が地球人類がファイナルフラッシュを迎えずに済む、ラストチャンスだったのにも関わらず。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る