28話 砲丸投げじゃ無いから
二度寝から目を覚まして時計を見る。
朝の8時を過ぎていた。
もし今日が訓練の日なら寝坊確定で、教官の叱責は間違いなかった。
しかし、幸い今日は休日だった。良かった。
僕はベッドで大の字に寝っ転がったまま、昨日の夜のことを思い出す。
第一強襲隊のパーティーが終わって、僕が寝たのはなんと4時だった。
パーティー自体が終わったのは、22時ぐらいだった。
その後自室に戻った僕が、なぜ4時まで眠れなかったのかは……まあ……察して欲しい。
とにかく、“異常な昂り”はもうすでに通り過ぎたみたいで、身体の怠さと僅かな頭痛だけが、残っていた。
ベッドから起き上がるのが、かなり億劫だった。
その億劫な気持ちには……倦怠感もさることながら……『恥ずかしさ』と『少しの後悔』のような感情が混ざっていた。
だから僕は寝返りを打って、三度寝をしようとした。
しかし、この世界に落ちた僕に、そんな幸せな時間が訪れるはずが無かった。
「案の定」っていうか、「残念ながら」っていうか……『淫乱な妖精』の声が聞こえてくる。
「ねえ? シアン……教えて? アタシ一応女の子だから知らないんだけれど……シアンぐらいのプロになると、夜にどれぐらい『飛ばす』ものなの? 10m? 20m?」
サロメの話につきあう。
「『プロ』ってなんのプロなんだよ……。それにそんなに『飛ばない』から……。砲丸投げじゃ無いから」
サロメは白磁のカップを傾けて、優雅に紅茶を飲む。
ていうか……昨日のワインに加えて今日は紅茶……。
どこで用意したの? 買いに行ったの?
僕の疑問をよそにサロメは話を続ける。
「……でも仕方ないわよね? アンネリースのドレス姿は流石の私でも驚いたわ。髪の毛も完璧にセットしてあって、戦場とはまるで別人だったもの。だからシアンが部屋に戻って……ひとりで『砲丸投げ』に勤しんでしまっても仕方無いわよね」
紅茶のカップを置いたサロメは、そう言ってウインクした。
なんか悔しいけど……サロメの言うとおりではあった……。
実際のところ夜の間中、ドレスを着たアンネリースさんの映像が、僕の頭から離れなかった。
艶やかなピンクグレイの布に包まれたアンネリースさんの素肌の肩や、胸の谷間や、脚や、手が……僕の頭の中で浮かんでは消えてを繰り返した。
それは美しく官能的で、でも清らかで……僕の心と身体を同時に狂わせた。
だから僕は、その“異常な昂り”をなんとかする為に、ベッドの上で何度も『砲丸投げ』を繰り返すしか無かった。
そのことで僕は、彼女を”そういう対象”として見てしまったことを、後ろめたく思っているわけだった。
「はぁ……。やっぱ……淫乱なのは、サロメだけじゃ無いな……」
と独り言を呟きながら、昨日の夜のパーティーのことを思い出す。
——パーティーが始まってすぐ、全員にフルコースが振る舞われた。
チョビ髭のイケメンのシェフが、やたらと大きな皿に小さく盛られた料理を、僕に恭しく差し出す。
僕以外の女性隊員たちは、それらを食べるたび感嘆を漏らし、それぞれの感想を述べて料理を楽しんだ。
そのフルコースは、ネリすら「肉が口の中で溶けた……。レーションの肉とは大違い……」と驚嘆するほど、素晴らしいものだった……“らしい”。
しかし僕には、料理の記憶は一切残っていない。
なぜなら僕の左前に、美し過ぎるアンネリースさんが座っていたからだ。
アンネリースさんは静かにフォークとナイフを使って、肉料理を切り分けて口に運ぶ。
そのたびに空気が揺らぐ。アンネリースさんの香水と肌の香りが流れてきて、僕の鼻から入り、脳を直撃する。
その瞬間、食べていた料理の風味は全て吹き飛んだ。
アンネリースさんの香りで頭が一杯になり、胸が締め付けられ、心臓が激しく脈打った。冷や汗すら流れた。
え? やばすぎない? もしかして僕、死ぬ?
女の人の匂い嗅いだだけで死ぬって……どういう死因? 「童貞死」? 斬新過ぎるし、情けなさ過ぎる。
とか考えながら、僕はからからになった喉で料理を飲み込み、必死で咀嚼を繰り返した。
アンネリースさんを視界に収めないように右前を向くと、なんとか動悸が収まったような気がしたけど……しかしそこにはセクシー過ぎるマリナさんと、『道程を殺す凶器』を着たテレーズさんが居た。
それはそれでドキドキして、やばい。
だから僕は——『やっぱ童貞死するかもしれない。短い人生だったけど……最期は幸せな死に方で良かったかも』——とか思いはじめた。
そんな僕に、透明で清らかな声がかけられる。
「……どうですか? ……シアン?」
それは僕の左手から聞こえた。
目を向けると、肉料理を食べ終えてナプキンを口元にあてたアンネリースさんが僕の方を向いていた。
彼女は僕から視線を逸らし、少し伏し目がちだった。長いまつ毛が青い瞳に影を作る。
アンネリースさんの可憐な色気に、心拍数が急上昇する。
「ど、『どうですか』って? ……り、料理のこと……? た、たぶん……美味しい……と思う」
僕の喉から出た声は、自分の声じゃないみたいだ。
アンネリースさんは、僕の言葉を聞いてなぜか頬を少し赤くした。
彼女の匂いの濃度が増した気がした。
「……そ、そうですね……。マリナ様がご用意された料理はとても素晴しく、美味しいです……。でも、私が聞きたいことはそうでは無くて……えっと、その……」
アンネリースさんは、胸に手を当てる。彼女の鎖骨が、アルコールランプの灯りを白く跳ね返す。
「その……私が聞きたいことは……料理のことでは無くて……。この衣装のことです……」
「い、衣装のこと……?」
「ええ……。実は私……ドレスというものは、あまり着たことが無くて……。なぜなら普段は軍服ですから……なんだか落ち着かなくて、
「こ、心許ない……?」
たしかにアンネリースさんが言うとおり、軍服と比べると彼女のドレスは、『心許ない』。
——肩や背中は肌色で、丸出しだし……
——鎖骨も肌色で、丸見えだし……
——おっぱいの上のほうも肌色で……それはいつもよりさらにもっと……とにかく、なんかめちゃくちゃ凄いことになっているし……。
アンネリースさんは続ける。
「だから……。どうでしょうか ……この衣装……」
そう言ったアンネリースさんは目を上げた。
彼女の青い視線と僕の視線が交わった。
彼女は不安そうな表情で、その瞳はわずかに震えていた。
『心臓が高鳴る』どころか……胸を突き破って飛び出しそうだった。
アンネリースさんは続ける。
「このドレス……私に似合いますか? ……シアン?」
その質問を聞いて僕は、『これはちゃんと答えないと』と思った。
なぜなら、アンネリースさんは恥ずかしがりながらも表情は真剣だったからだ。
あるいはこの時、もし僕が”ちゃんと”喋る事ができたのなら——
「似合うとかそういうレベルじゃ無くて、最高過ぎて意識を失いそうです。ドレスを着たアンネリースさんのあまりの美しさに、僕は死ぬかと思ったぐらいですから。だから、もっと見たいです。——その『おっぱい』……じゃ無くて、『素敵な衣装』を』
——みたいなことを言いたかったけど、あいにく出たのは例のごとく『どうしようも無くかっこわるいセリフ』だった。
僕は大きく息を吸い込んで言う。
「う、うちゅくちーでちゅ!!」
その瞬間、アンネリースさんの目がまん丸になった。
「……え?……」
僕も口を開けたまま、完全停止する。
ま、またしても赤ちゃん言葉? しかもこんな時に限って……?? ポンコツ過ぎない? 僕の会話スキル。
二人の間に、沈黙が出現した。
もちろん、僕の顔も真っ赤になった。
そして、またしても共感性羞恥が発生しアンネリースさんの顔も赤くなる。
頬を染めて口に手を当てたドレス姿のアンネリースさんもめちゃくちゃに可愛いけど、でもそれどころじゃない。
しどろもどろで四苦八苦に、僕は『なんかよく分からないこと』を言う。
「ぁ、ぁあああああ!! ち、ちがうくて!! い、いいいや! ちがわないんだけど!! あ、ああ赤ちゃん言葉で言いたい訳じゃ無くて!! そ、そそそその! う、ううう『美しい』って言いたくて!!」
その僕の必死の言い訳を聞いたアンネリースさんは、驚いた表情がすこし和らぐ。
そして堪えきれなかったように「……ふっ!」と言って噴き出した。
アンネリースさんは、肩を震わせながら笑い続ける。
「ふ、ふふふふふふふ……」
僕のキョドりは落ち着いたけど、呆気にとられる。
アンネリースさんは笑い続ける。
「ふふふふふ……。いえ……。すみません……。思い出してしまいまして……」
「お、思い出す……?」
「ふふふ……。ええ……。あの時の『会議での出来ごと』を……。ふふ……。あの時もシアンは、今みたいに突然の赤ちゃん言葉で……」
もちろんみんなも知ってると思うけど、たしかに僕は以前に、大事な作戦会議で赤ちゃん言葉を炸裂させた。あの時もそういえば、アンネリースさんの前だった。
思い出した僕は恥ずかしさの重ね掛けで、さらに顔が赤くなる。
恥ずかし過ぎて、存在が泡になって消えそうだ。
しかし一方でアンネリースさんは、笑い続ける。
それを見て僕はふと気づいた。
……そういえば彼女の笑顔は初めて見たかもしれない。
今までは、戦闘だったり会議だったりで、必死で真面目なアンネリースさんしか見た事が無かったかもしれない。
いつも大変そうなアンネリースさんが笑ってくれるのなら……僕の”大失敗”も、悪いものじゃないのかもな……。
落ち着いたアンネリースさんは、かすかな涙を拭きながら、僕に謝罪する。
「……でも、ごめんなさい。シアン……。突然に笑ってしまって。それに……シアンからすると、恥ずかしい”嫌な思い出”でしたか……?」
「いや……。いいんです。確かに恥ずかしいけれど……。そうやって、アンネリースさんに笑ってもらえるのなら、ちょっと嬉しいかなって、思いはじめました……」
「そうですか……。それなら、私も嬉しいです。それと……」
そう言ったアンネリースさんは、僕と真っ直ぐ目を合わせる。その視線は温かい。
そして彼女は、女神の優しい笑顔を浮かべる。僕の心が、温かさで包まれたような気がした。
彼女は続ける。
「……それと、このドレスを美しいって言ってくれてありがとうございます。シアン。……頑張って着た甲斐があります。だって私はこのドレスを、救世主であるシアンのために着たのですから……」
その『シアンのため』という言葉が、僕の心を刺し貫いた。
甘い痛みのせいで、何故かアンネリースさんがさらに輝いて見えた。
そして彼女は、さらに続ける。
「それともう一つ。私、シアンの『赤ちゃん言葉』……恥ずかしいものじゃないと思います。なぜなら以前の会議も、先ほども……私は、シアンの『赤ちゃん言葉』で救われましたから。ですから、恥ずかしがらなくても良いと思います。それに私……そんなシアンも、どこか好ましく思っていますから……」
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