月明かり(二)

 ――アルフェラッツ王国軍。軍司令部第一会議室。


 何度目かの詰まらない会議の途中……ベルティは休憩の間に別室からバルコニーへ出ると、外の冷えた空気にホッと息をついた。


 本当ならすぐにテナイドへ帰る予定だったが、中々そう上手く話は進まない。


 軍を離れている間に溜まった書類と会議、他国との戦争や兵の育成についての助言と指導。

 帰って来てからこの三日間、自分の仕事もそこそこにベルティは至る所へ引っ張り凧だった。


 ――「一息ついたら、また調査のため王都を離れる」なんて……先に言ってしまったのがいけなかった。俺がいなくなる前にと、誕生日パーティーの招待やらどうでもいいことまで声が掛かってくる。


 戻るのは、もうしばらくかかりそうだな……。

 短いため息を吐くと、軍服の内ポケットから一枚の写真を取り出した。


 ガスサレムの戦争資料の中にあった、銃を持ったセヴェーロの写真。

 これだけ資料に直接貼られておらず、ページの最後に挟まれていた。


 写真の裏には『戦場から消えた美しき獣』と書かれている。

 資料の筆者と同じ人物だろう。ガスサレムの戦争が終わった後、行方が分からなくなった……と言うことだろうか。


 ――獣か……。


 ベルティは写真に写るセヴェーロを見つめた。


 ……まだ噛み傷のない、綺麗な頸。

 鎖を知らない獣が両の手で戦場を物にするその姿は――間違いなく恐ろしく、美しかっただろうな。


 傭兵として働いていた、右手が使えた頃の彼。

 俺の知らない、決して会うことは出来ない過去の姿。


 別に……番に求める事はαの子を産む事だけだ。

 知ったところで何だという話だが……彼について知らない事だらけというのも、何だか詰まらない――面白くなかった。


 少し遠くに離れてしまえば、運命と言えど相手の匂いもフェロモンも感じられない。

 その状況に、只々不安を募らせていた。急に運命から引き離されたαの本能が、無意識に焦り苛立っている。


「何の写真ですか?」


 不意に後ろから聞こえて来た声に、ベルティは振り返った。

 そこには柔らかなホワイトブロンドの長髪をなびかせた、儚げな印象の女性が立っている。


 ――イラリア少尉。

 王国の中でも珍しい女性のαだ。今日の会議に、中尉と共に付き添いとして参加していた。

 元は平民だが、その腰に下げた剣と統制力の高さが認められ少尉の座まで登ってきた実力者。


「綺麗な人ですね。大尉のお知り合いですか?」


 イラリア少尉は隣に来ると、バルコニーの手すりを軽く握る。ベルティの手元にある写真へ視線を落とした。


「ああ……俺の番になる予定のΩ」

「え?……えッ!大尉の、ですか?」


 驚いて口に手を当てたその表情には『意外』とはっきり書き込まれている。


 ……今まで、二十一歳になってもまだ番の一人も作っていないからか、他所では『βの思い人がいるのでは?』とか『相当の遊び人で番を作る気がない』だとか、勝手な噂をよく言われていた。

 少尉のこの疑うような反応も、その噂のせいだろう。


 「そう、俺の」と答えれば、端整な彼女の顔がピシッと軍人らしく引き締まる。


「それはおめでとうございます!予定と言うのは、次の発情期には番にするという事ですか」

「あぁ……なるべく早くそうしたいけど、番にしたいのは俺だけで向こうは嫌がってるんだよね」


「公爵家の、Ωになる事をですか?」


 首を傾げた少尉の表情に、今度は『?』が大きく浮かび上がった。

 公爵家の次期党首に気に入られ、家に入りその後継を生むことは名誉あることだし、役目を果たせば一生安泰だ。この地位を望むΩは数多くいるだろう。


「そうなんだ……どうしたら、大人しく番になってくれるのかなって」

「なら、さっさと頸を噛めばいいですよ。彼らにとってあそこが生命線ですから」


 あっけらかんに彼女はそう言うと、長い髪耳の横に掛けながら清楚な笑みを浮かべた。


「Ωってのは単純ですからね。こっちのフェロモン散々浴びせて何回かイかせてやれば、どれだけ強情な野郎も一発ですよ」


「それ、本当……イラリア少尉」

「ホントです!Ωは快楽とαのフェロモンに抵抗できない生き物だから。嘘みたいに大人しくなりますよ。男のΩだったら多少乱暴にしても壊れませんし、むしろ乱暴したほうが上下関係をよく理解できるかもしれません」


 その姿には似つかわしくない発言に、ベルティは微笑んだまま顔を引き攣らせる。


 ……見た目に騙されてはいけなかったな。

 彼女もちゃんと、アルフェラッツ王国のαだ。


 そもそも『Ωはαの家畜』と言う考えが根本にあるこの国で、たった一人のΩを番にするのにここまで時間を掛けてるのは俺ぐらいだろう。


 ――セヴェーロは一度、その命綱を引きちぎってαを殺し、自ら番の破棄を行っている。

 同じ結果を辿るつもりはないし……恨まれて一々殺しに来るより、俺は指示に従って足を開いてくれる素直なやつが好きだ。


 少尉は目を楽しそうに輝かせると「ふふっ」と思い出すように小さく笑い声を上げた。


「でもその躾けている時が一番楽しいかもしれません。彼らの快楽に抵抗する仕草や表情、それを無理やり押さえつけて愛を押し込んでる時が最高に本能が満たされます。……あぁ、もう一匹欲しくなって来ちゃった。最近王都にはいないんですよねぇ、Ω」


 ぞくっと背筋が震え、持っている写真を胸元のポケットに戻した。


 ――本音を言えば、そうしたい気持ちが全くないと言えば嘘になる。


 あの細身をベッドの上に押さえつけて、力尽くで身体を開き、柔い中を掻き回せば……どんな声を上げて、綺麗な顔を歪めながら、黒い瞳を濡らすんだろうと。


 ――だが頸を噛むのは、本当に手懐けられたと確信してからだ。

 じゃないと……追い詰められた獣が逃げ場を失い、恐怖とストレスで攻撃的になるのは目に見えている。


 セヴェーロが、本気で銃を持って殺しに来たら……こちらも銃を撃つ他止めようがないだろう。


 運命を殺してしまっては意味がない。


「ベルティ大尉、イラリア少尉。そろそろ会議が再開します。席に戻ってください」


 部屋の中からヴィラに呼ばれ、バルコニーを後にした。一気に重くなった足を動かして会議室へと向かう。





「フェランテ卿は軍事作戦から降ろした方が良いんじゃないか?あの指示じゃ兵を無駄死にさせるだけだ」

「そう言いましても、ナバラクとの領土戦争に名乗りを上げたのはフェランテ卿ですし……卿が降りたら、大尉が代わりに連れて行かれますよ」


「それは面倒だな」


 ――随分と長引いた会議から解放され、自身の部隊室へ戻る途中。

 イラリア少尉は先に帰し、ベルティとヴィラは情報部へと別件で向かっていた。


 だだっ広い廊下を歩いていると、ふと甘い香水の香りが鼻先を掠める。

 まるで発情したΩのような匂いに、二人は不快感から眉間に皺を寄せた。


 ――この悪趣味な匂いは……。


「これは、これは……ご無沙汰しております。ベルティ公爵子息」


 廊下の先で待ち構えるように、恰幅のいい男が立っている。

 ベルティは冷たい笑みを顔に張り付けたまま、その場に立ち止まった。


 ――マルコ・メリーニ。

 王都にあるα専門高級娼館『クレマチス』のオーナー。


 メリーニは深々と頭を下げると、その口元にいやらしい笑みを浮かべる。


 司令部には貴族のαが多い。

 メリーニと繋がりのある貴族が、タチの悪い薬やΩの取引をするためにこの男が軍基地内に入ることを許可していた。

 ……通常ならありえないことだ。


 ベルティは事務的に挨拶を返すと、その金の指輪が散らばった下品な手元に視線を落とす。


「軍に入り用ですか」

「えぇ、マルティネス中佐にお呼ばれ頂きまして。丁度、中佐が好みそうな男娼のΩが今度入りますのでね。その、お知らせも兼ねて」


 ――軍内で堂々と奴隷の取引か。

 王国で奴隷制は良しとされていない。だがΩに至っては、メリーニの高級娼館から『身請け』をするという名目で買い取るαがいる。


 これが奴隷商売とどう違うのか。


「宜しければ是非、ベルティ大尉もいらして下さい。好みのΩを揃えてお待ちしております」


 メリーニの舌舐めずるような目線に、ギッと奥歯を噛み締めた。


 ――誰がそんな汚らわしい場所へ行くか。

 早く立ち去ろうと、表情を変えないまま軽く会釈し歩き出した。


「大尉殿は……テナイドと言う廃れた街の、マフィアのボスをしているΩの話を聞いたことがございますか」

「――はっ?」


 予想もしない言葉に思わず足を止める。

 驚いたベルティの表情に、メリーニは『話に興味を持った』と捉えるとニィッと弛んだ目元を細めた。


「新しく仕入れる予定のΩでございます。これがまた異色でして……番だったボスのαを殺し、その座を奪った身の程知らずなΩでございます。人の血の通わない凶悪なΩですので、私達どもだけでは心許ないと思いましてねぇ。――是非とも彼の調教をお願い出来ないかと、強く素晴らしいαの方々にこちらからお声がけをさせて頂いているのです」


 「もちろん、お値段はお安く致しますよ」と手を揉むメリーニに、ベルティは再び笑みを繕った。


「……番を殺したΩ?」

「はい。この話を頂いた時……もう一度うなじを噛まれた使い古しなのでねぇ、私もどうかと思ったのですが――いやはやとんでもない!この目で確認しましたが、とても綺麗なΩでしたよ。あれは物好きにはたまらない掘り出し物でしょう」


 メリーニが大袈裟に手を上げると、首元に下げられた金のネックレスが煩わしく揺れる。


「鼻筋の通った美しい顔立ちに、鷹のような鋭い眼差し。マルティネス中佐は快く引き受けて下さいました。『反抗的なΩほど甚振なぶり甲斐がある』と……ベルティ大尉もご興味ございませんか」


 下から内側を探るような目がじっと覗いていた。

 その言葉の一つ一つが、イライラと感情を逆撫でる。


「なに、あれは番のαを殺した極悪人です。戸籍もない、家族もいない。どれだけ酷く扱おうとかまいません。……あの、プライド高いΩが、快楽に溺れαに屈する姿は」


「――何よりもこの本能を、煽り満たしてくれるでしょうね」


 ベルティの唐突な低い声に、メリーニは驚き目を丸めた。

 緊張し上った肩を誤魔化そうと「ほっほ」と軽い笑い声を上げる。


 エメラルドグリーンの綺麗な瞳が細まると、メリーニの目の前に歩み寄り、頭上から静かに見下ろした。

 

「それは楽しみだな……入荷はいつ?」

「早ければ、三日後の夜には……他のお客様からもご予約を頂いておりますが……ベルティ大尉には特別、早い席をご用意致しましょう。必ずやお楽し頂ける事をお約束いたします」


「あぁ……いい連絡を待ってるよ」


 再び深いお辞儀をするメリーニを一瞥し、廊下を蹴るようにその場を後にした。

 革靴の音が響く度に、サァーっと凍えるような冷気が満ちていく。


 後ろを歩くヴィラはその攻撃的なαのフェロモンに口をつぐんだ。


「……あれは俺のΩだ」


 威圧的な声に皮膚が痺れ、空気が重くなる。

 廊下の先を睨むベルティ大尉の冷めた眼差しに、呼吸さえ息苦しく感じた。

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