月明かり

 もしも、あの日をやり直せたとして――俺はエディから逃げられただろうか。





 ――三年前。

 ガスサレムでの戦争も終わり……セヴェーロは、元々自分が売られた娼館のある街へと帰ってきていた。


 アルフェラッツ王国は一年ほど前に停戦していたが、敵国軍の入り口となったテナイドの街並みは酷く荒れ果て、国境付近の北側は建物のほとんどが瓦礫になっている。

 まだ娼館や食品街のある南は人も住んでいるが、煌びやかだった以前の姿は見る影もなかった。


 子供の頃に、一緒に売られたエマが変わらず働いていることを知りながら……まだロウトへ顔を出していない。


 あそこの主人に、生きているのを知られたくなかったのもあるが……十二の時に娼館で客を殺して、一人だけ逃げ出したのを、恨まれているのではないかと思うと会いに行けなかった。


 ――ひっそりと、家主を失い空っぽになった家へ入り込み銃とナイフの手入れをする。

 まだガスサレムで稼いだ金が十分あるから、戦場に出ることはないが……何処かに、必要とされる居場所は欲しかった。


 ガスサレムでの騒がしかった生活から一人になり、仲間や家族のような存在への憧れが増したのもあったのかもしれない。


 ……側にいて、支え合って……その内、番とか……。


 自身の真っ白い頸を、覆うように右手で撫でた。

 シレーナを飲んでいれば発情期も微熱程度で普通に動けたし、二、三日で終わるから特に番が欲しいと思った事はないが……Ωとして一生を添い遂げるなら、やはりαなんだろうと思う。


 ――優しくて、安心感のある……俺より強い人がいい。

 子供が好きで、銃の扱いが上手くて、家族を大切にしてくれる……最悪、俺より弱くてもいいから、優しい人がいい。


 銃に弾を込めながら、そんな夢物語を考えた。

 でも……Ωの男は人気がないから無理だろう。だったら仲間が欲しい。……一緒に戦って、同じ時間を生きてくれるような……。


 純粋に、一人が寂しかった。金で雇われる傭兵の関係にも飽きが来ていたんだろう。


 ――路地を歩いている際に、声を掛けられたのもそんな時だった。


 真っ黒な髪、血に濡れたような赤い瞳。そして二メートル近くある巨大な長身。

 初めて会った時、ピリピリと背筋に恐怖が走った。兵として培った感が、こいつは自分よりも強いと告げている。


「お前が、ガスサレムの『黒い傭兵』か」


 見た目通りの低い声が響いた。

 後ろの道はすでに手下達で塞がれている。


 セヴェーロはホルスターから銃を引き抜いた。


「何のようだ」

「噂を聞いてな。雇われた国を勝利へ導く、獣のように強い傭兵がいると」


 じっと獲物に狙いを定めたような冷酷な眼差しが、上から注ぎ込まれる。

 緊張に息を潜め、その威圧的な瞳を強く睨み返した。


「……いい目だな。ツラも傭兵にしちゃ綺麗だ。気に入った、言い値で雇ってやる――俺のファミリーに入れ」


 ――ファミリー家族

 思ってもいなかった言葉に、すぐに声が出てこなかった。


 ――雇われたんだ。と理解すると、すぐに銃をしまい主人あるじを見上げる。


「いつまで、ですか」

「死ぬまでだ」

「……は?」


「役に立たなかった時は、その場で解雇してやるからそう思え。付いて来い」


 大きな背を向け、歩き出した後ろ姿を見つめた。

 そんな契約聞いたことがない……戦いで、負傷するまでという事だろうか……。


「オラっ!さっさと歩けよ新人!ボスを待たせるきか?」


 ガッと後ろから肩を組まれると、驚いて顔を上げる。

 そこには自分と同い年ぐらいのブラウン髪の青年が、にっと口端を片方だけ持ち上げるように笑っていた。


「まぁ、俺も最近入ったばかりだけどな。ジャック・E・ルッソだ。新人同士仲良くやろうぜ」

「あぁ……よろしく。俺はセヴェーロ・シッド・ポリアンカ」


「ああ!知ってるぜ。ボスが自らスカウトするなんて初めてだからな。よろしくな、兄弟!ようこそ『フェクダ』の仲間へ!」


 背中を押され、半ば強引に連れて行かれる。

 だが、捕まえられていたわけでもなかった。逃げようと思えば逃げられただろう。


 そうしなかったのは……家族とか、兄弟とか、仲間とか……その薄っぺらい飾り付けられたような言葉に、少なからず焦がれてしまったのもあった。


 ――まぁ、いいか……。

 どうせ行く宛てもない。丁度、居場所が出来た。





 ――鳥の賑やかな鳴き声が聞こえ、窓の外が徐々に明るくなっていく。

 朝日に染まっていくベッドの上で、セヴェーロはぼんやりと目を覚ました。


 朝の刺さるような空気が冷たい。

 身を震わせては、被っている布団を引き寄せようと右手を伸ばし……掴めず、布の上を擦るだけの指先に(あぁ、そうだった……)と腕から力を抜いた。


 ……懐かしい夢。


 あの頃のルッソは、まだ薬もやってなくて……エディは確かに恐ろしかったが、大勢の部下をまとめられる華と器を持っていた。


 俺が……入ってさえいなければ……。


 暖かい日差しから目を逸らすように、ベッドの上で身を小さく丸めた。



━━━━━━━



 夕方頃――。


 セヴェーロはエマと近況を確認し合うため、ロウトへと訪れていた。

 オスカーは縄張り内の見回りに外へ出ており、エンツァはパティと共に食品街へ買い出しに行っている。


 館内のラウンジは落ち着いており、ほとんどの客が泊まりで客室へと移動していた。

 残っている数人は、娼婦と共にソファー横のテーブルでポーカーを楽しんでいる。


 時折、森の鳥に近い甲高い悲鳴が聞こえてくるので……賭けはあまり勝てていないのだろう。


「最近は平和よ。街中でΩの子が襲われたって話もないし、静かすぎて不気味なぐらい。野盗はちょくちょく出てるみたいだけど」


 エマの書斎で話を聞きながら、セヴェーロはソファに腰を下ろした。テーブルに出された熱い紅茶からはゆっくりと湯気が昇っている。


 平和なのはいいことだが……ルッソがこのまま何もしないとは思えなかった。何か……ずっと嫌な不安感が、心の内で渦巻いている。


 セヴェーロもガスサレムとの取引が無事に終わったことを伝えると……話の途中でラウンジから「あ゙あ゙ぁ゙あ゙っ私のお金ー!」とスエラの絶望染みた叫びが聞こえてきた。


 「まったく……」とエマは頭を抱え、ソファの上から腰を上げる。


「あの子は、また散財する気じゃないでしょうね。稼いだところで取り返されたら意味ないじゃない、そろそろ止めさせるから手伝って」


 そう言われ部屋から連れ出されると、廊下を抜けラウンジへと入った。正門の方を見れば、スエラと客の姿が見える。


 「もう一回!絶対取り返す!」と客に絡む彼女を止めに向かえば……突然目の前の正門から、ドンッと何かがぶつかるような音が響いた。


 驚いて身構えると、勢いよく開いた扉からなだれ込むように、エンツァとパティが駆け込んでくる。

 パティは急いで起き上がり扉を閉め、エンツァは床に膝をついたまま動かない。


 ――セヴェーロはその姿に息を呑んだ。

 荒い呼吸を繰り返すエンツァの右肩と左足からは、服の上から切り付けられたように赤く染まっている。


「エンツァ!」


 急いで駆け寄れば、痛みと緊張で大きく開いた目がこちらを見つめた。傷口を押さえたのであろう両手が、血に濡れ小さく震えている。


「ボス……ルッソの手下です。大通りで、彼奴ら急に襲ってきました」

「彼奴ら!エンツァの事を狙ってたよ!」


 パティはその目に涙を溜めながら叫んだ。

 フェクダの縄張り内、しかも人目の多い通りで襲ってきたというのは俺への宣戦布告だろう。


 狙ったのは俺の部下か、それとも若いΩか……どちらにせよ、危険なことに変わりない。


「傷の手当が先だ。スエラ!湯を沸かしてきてくれ」

「は、はい!すぐに!」


 バタバタと部屋へ駆けていくスエラを見送り、エンツァを両手に抱え上げると、横にいるエマへ呼びかけた。


「しばらく、館の外に出るのは控えたほうがいい」

「えぇ……そうね。分かったわ」


 その顔には隠しきれない動揺が浮かび、綺麗な顔は薄く色を塗られたように青白く染まっている。

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