オスカーの番 前

 連なるように並んだ廃墟の隣に、緩やかな下り道が続いていた。石畳状の壁に挟まれたその細い道を、体格の良いスーツの男が歩いている。

 オスカーはその姿に似合わないほど小股で坂を下りながら、俯きがちにまたため息をこぼした。


 ――怒らせてしまったな……。


 昨日あった裏道での騒動を思い出し、小さく肩を落とす。後悔に眉間へ皺を寄せ、視線を小道へと下げた。


 ……大尉に、体調を崩したボスを「抱いてやれば?」と言われた時、すぐに断るべきだったのだ。たとえそれでボスの身が楽になったとしても、あの人は俺に……家族に対してそんな行為を求めたりはしない。

 だが断れば同じαの大尉に、その役目を渡すことになると自然と理解出来た。ボスを『Ω性』としか見ていないあの男を近づけたくない気持ちと……家族に対しての感情が天秤に掛かり、すぐに否定することが出来なかった。


 結果的に、信頼を寄せてくれているボスを傷つけた。『抱く』の意味合いが『ハグ』だと分かっていれば、迷わず抱いたのに……。

 ボスに庇われ、何も出来なかった。大尉の手にあの小柄な背をいだかせてしまった後悔も、ずっと心に重く伸し掛かっている。


 しばらく下り坂を進んだ先に、白基調に赤い格子窓が目立つ可愛らしい家が見えてきた。手入れが行き届いた綺麗な庭と小さな建物は、小人が出てくるお伽話とぎばなしに似合いそうだ。


 ……ここはテナイドで一番有名なパティスリーだった。王都や他国から連日買いに来る人で溢れたが、戦争があってからは店を閉め、王都内に店舗を移している。

 だがこの街と店を愛していた店主は、停戦を機に毎月第三火曜日にだけ菓子を焼きに来てくれていた。本当に、知る人ぞ知る名店だ。


 そして有難いことに、その日が丁度今日だった。

 ボスとエンツァは、ここのシュークリームが好きだ。心配なほど食が細い二人も、この店の菓子はよく食べてくれる。これで機嫌を取ろうなんてつもりは無いが……少しでも笑って欲しい気持ちは、間違いなくあった。


 木の扉を軽く押すと、心地いいベルの音が店の中に流れる。奥から出てきた馴染みの店主に「いらっしゃい」と穏やかな声で迎えられた。

 一番人気のシュークリームと違う種類のケーキを三人分頼むと、淹れたての珈琲をサービスしてくれる。雑談の中で王都に住んでいる店主から国の様子を少しずつ聞きだせば、その現状にオスカーはひっそりと眉を顰めた。


 ――相変わらず、Ωに対しての差別は酷く……王国からますます姿を消しつつある。これは民衆の間で流れている噂だが……王国軍はこれ以上のΩの流失を食い止めるために、『保護』と銘打めいうって軍内にΩを収容するための屋敷を建てているとか……あの国ならやりかねない。


 その後も、「戦争は終わったのに全く景気は良くならない」とか「国王は次の戦争のことしか興味がない」とか……決して王都内では言えない店主の愚痴にしばらく付き合っていると、再び店頭のドアベルが小鳥のさえずりみたいな可愛らしい音を立てた。


「いらっしゃいませ」


 店主の声と共に入り口へ目を向ければ、オスカーは驚きに口へ付けた珈琲を溢しそうになる。その淡い色の金髪は質素な店内で嫌に目立っていた。


「はぁッ!?なっなぜベルティ大尉がここに!」

「やぁ、偶然だね。……王都内で有名なパティスリーがここにもあるって聞いて、来てみたいと思っていたんだ」


 偶然なんてものはこの世にないんだろうと、今この瞬間強く心に思う。テナイドの住人でも、店がこの日にだけ開店している事を知っているのはごく僅かだ。王都から来てまだ日の浅い大尉が、店の存在を把握していたわけがない。


 ――もしかして、最初からつけられていたのか。


 店の中に一つしかないテーブルへ近づいてくる大尉に、オスカーは席を立つと買った菓子の袋を手に店から出ようとした。大柄な男二人が居座るような場所でもない。

 しかしベルティは薄っすらと口元に笑みを浮かべたまま、横切ろうとするオスカーを呼び止める。


「雨降ってるよ」

「雨なんて……っ」


 その言葉に窓の外を見れば……いつの間にか、さっきまで乾ききっていた土の地面に、水たまりが出来るほどの雨が降り注いでいた。

 店主の話に聞き入っていて気が付かなかったのか……雨の飛沫で、遠くまで白く霞んでいる。


「止むまで待ったほうがいい。その袋が濡れて中身が駄目にならないようにね」


 大尉は持ち帰り用のケーキと珈琲を店主に注文すると、テーブルに沿って二つ並んでいる低めの椅子へ腰を下ろした。オスカーは先ほどの席に戻ることなく、立ったまま窓際で腕を抱える。


「セヴェーロの調子はどう?」

「……変わりありませんよ」

「それは良かった。あれは荒療治だし、フェロモンの相性が良くないと逆に悪くなるから……まぁ、運命だから相性は最高なんだけど」


 腹立たしいほど綺麗な顔が自信気に目を細める。

 ……齢二十一にして、王都の平和を守るための第二部隊隊長。大尉の座に着き、王族と深い関わりを持つ公爵家の次期当主。完璧を絵に描いたようなこの男は、今まで手に入らなかった物なんて無いのだろう。

 こちらを見上げる鋭い瞳に、オスカーは眉をひそめた。


「俺に何か」

「君……元は王国の軍人だろう」


 その言葉に驚いて顔を強張らせる。オスカーは内心を見透かされた気がして身を固めた。


「何故それを……」

「前に製紙工場で殴りかかってきた時、君が付けてる腕時計の下にアルフェラッツ王国の紋章が彫られているのを見たからね。……あれは軍に受かった若い兵士がよく入れているタトゥーだ。確かうちの中尉も合格した時、足首に彫ってたよ」


 いつもの『作り物の笑み』ではなくて、その表情には好奇心染みた色が乗っている。大尉はテーブルに肘を当てると、軽く頬杖をついた。


「ずっと気になっていたんだ。軍人でαの君が、番もいるのに何故わざわざこの街でΩの下に付いて働いてるのか……どうせこの雨で帰れないんだ。良かったら話してくれないか」


 「大尉には関係ありません」と、突っぱねてしまいたいが……拒絶したところで、外に出られるわけでもない。

 じっと見上げてくるエメラルドグリーンの瞳には、相手を威圧する支配的な輝きがあった。


 ――ファミリーに関わる話をするわけでもないし……ここで雨が弱まるまで何事もなく過ぎるなら、軽く話をするぐらいいいだろうか。

 少し考えた後、オスカーは重そうに口を開いた。


「……少し違います。番がいるというのは」


 視線を木目がよく浮き出た床上へと落とす。窓から聞こえる雨の音が、少しばかり強くなった気がした。


「彼女は……俺の番は、すでに亡くなっています」


 思ってもいなかった答えに、ベルティは黙ったままその目を僅かに開いた。

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