第18話

「ここだよ」


 咲夜に蹴飛ばされ蹴飛ばされ案内役をさせられた喜一は、怯えた目でそう言った。すでに太陽は西に沈み、村の住居からは炊き上がった米や、煮物の匂いがかおっている。神社の石段を上った先、さらに左手奥の坂を登った先——この立派な蔵が祭具を納めている「倉庫」らしい。


「ここには祭具だけでなく、神社の宝物なんかもしまわれてるらしい。俺たち村人は祭りの前後しか出入りしねえ。かんぬきをかけた上、しっかりと鍵が閉められてるだろ」


 光源は志乃の持つ手燭のみ。寅吉に気づかれぬまま「バケモノ」の正体を確かめるためだ。彼に許可を取ろうとすれば、何がなんでも咲夜たちがこの中を改めることを阻止するだろう。下手に止められてこれ以上事態を悪くさせたくはなかった。


 咲夜は空洞のような眼でじろじろと蔵を眺めながらその周りを一周し、入り口に戻って止まる。


「……ずいぶんしっかりした結界がはってあるな。これは才蔵を閉じ込めたあと、宮司がやったのか?」


 蔵には立派なしめ縄が四方にかけられている。よく見れば四隅に札も貼られていた。


「このしめ縄のことか? いや、これは昔からこうだったと思うな。今の宮司の婆ちゃんが力のある巫女だったとかで。ここに悪いものを封じ込めるためにこうしたって聞いたけど」

「なるほど」


 咲夜はかんぬきに手をかけ、乱暴に取り外す。かけられていた錠前は見事に吹き飛んだ。


「んなっ、何してんだあんた。勝手に壊すなんて」

「お前は才蔵とやらを助けたいんだろう? だったら黙って見てろ」

「いや、そうだけど……」


 三人はそっと中を伺う。扉は開いたものの、中からは反応がない。


「どこかから、逃げてしまったのかしら……」


 だが咲夜が一歩足を踏み入れた瞬間、ビリビリと稲妻が走った。


「ふうん。これはこれは。なかなかいい趣味をしている」


 感心するように咲夜がそういえば、本殿の方から人の足音が迫ってきていたのに気が付く。


「お前ら、何をしているんだ!」


 浴衣姿の寅吉が走ってくるのが見えた。先ほどのかんぬきが落ちる音に気がついたのかもしれない。


「御門さんと言ったな。そこを開けて何をするつもりだい」


 咲夜にそう問いながら、寅吉は倉庫の中に意識を集中させている。


「寅吉さん、ここに何かおかしなものをおしまいになられませんでしたか」

「そりゃあ、いわくつきの壺だのなんだのはあるよ。一時保存場所としてな。普段は

 俺が祓ってやってんだけど。最近は奇病騒ぎもあって、忙しくてな」

「才蔵さんと言う方をご存知ですよね。おかしな面に取り憑かれたところを、あなたがここへ閉じ込めたと聞きましたよ」


 張り詰めたような神聖さを感じるこの空気。ここに悪いものを封じるために造られた結界というのは間違いないと思う。咲夜が自分の腕を感じられなかったのは、そして獅子面の化け物が外に出ることがなかったのは、この結界の中に閉じ込められていたからに違いない。


 咲夜が感心して見ていた先——そこには、びたびたと札を張られた壺や、禍々しい雰囲気を放つ鏡などが群れをなしていた。


「いや、志乃さん、そんなことは……」

「これを破ってみればわかることだな。今は鳴りをひそめているようだが、こうすれば出てくるはずだ」


 倉庫の周りを囲うようにかけられたしめ縄を仰ぎ見ると、咲夜は躊躇いなく、指で印を結ぶ。すると彼の背後から、光の筋が飛んでいく。

 咲夜が従えるという、十二の式のうちの一つだ。光は残滓を残しながら、しめ縄に直撃する。ぶつりと切れたそれが垂れ下がると同時、倉庫の中から咆哮が響いた。


「これはまさしく俺の右腕! 良い隠れ家を見つけたものだ」


 咲夜の口が、醜く歪む。昏い喜びに満ち溢れたその顔は、咲夜に呪いをかけた術者への嘲笑なのかもしれない。咲夜の感情が吹き出すように溢れる様に、志乃は圧倒される。


 ——腕が見つかって喜ぶとは思っていたけど、この胸騒ぎはなんなの。


 途端、ミシミシと音を立てながら何かが蔵の奥から立ち上がる。蔵の外に現れたその姿は、もはや獅子面とは呼べない代物だった。獣が毛を逆立てるように、蠢く枝を波立たせ、こぼれ落ちそうなばかりにせり出した眼球二つが、ひび割れた獅子の顔からのぞいている。木の幹を手足として得たそれは、呪物を次々と口に放り込み、どんどんと肥大化していく。蔵を超えるまでの姿になったそれは、巨大な獣のような形状をしている。


「なんてことをしてくれたんだ、あんたら。今やうちにゃあこんな立派な封印を作れるものはいないってのに。俺あもう知らねえ、先に逃げるからな!」


 脱兎の如く逃げ出した喜一とは対照的に、志乃は逃げ出せずにいた。

 ざわざわと肌が粟立つ感覚に、志乃は今、自分が人の理解を超えた恐ろしいものを前にしているのだということを、これまでかというほどに感じていた。


「志乃、離れてろ」


 咲夜がそう言うと同時、獣は荒ぶる波のようにうねりながら、咲夜に飛び掛かる。


「咲夜さん!」


 体をひらりと回転させ、化け物の体の上に着地した咲夜は、獣の面めがけて走り出す。


 咲夜は懐から取り出した札を面に貼り付ける。剣で顔面を突き刺されたかのように取り乱し、地面に体を叩きつける化け物の体から、咲夜は飛び降りた。


「……いろいろ取り込んでいる。一枚では効かないか」

「いろいろって、まさか、倉庫の中にあった呪物をほとんど……」

「食べたようだな。あの中に閉じ込められている間、なんとか外に出ようともがいていたのだろう」


 咆哮とともに、体の一部が崩れ出す。その直後、荒れ狂う化け物の目玉は、志乃をとらえた。


「ひやっ」


 慌てて視界から逃れようと、志乃は走り出す。だが石畳で滑って転び、階段の頂上から放り出された。


 ——やだ、私、ここで死ぬの……。


 後頭部から真っ逆様に地面に落ちれば、きっと即死だ。覚悟して目を瞑れば、

 耳元で優しい声が響く。


「だから離れていろと言ったのに」


 いつの間にか細身の体に抱き止められていた。空洞のような双眸は、志乃を見て、ふうと息をつく。


 咲夜は志乃を抱いたまま、神社下のじゃり道へと着地する。だが、逃がすものかと獅

 子面が、石畳を滑り降りてくる。


「とどめだ」


 志乃を地面におろし、札を取り出した咲夜だったが。次の瞬間、咲夜の右腕が、落ちた。


「ぎゃあああ!」


 叫びながら咄嗟に咲夜の襟元を掴んだ志乃は、化け物の攻撃をギリギリ避けさせた。

 あぶなかった。もう少しで首から上がなくなってしまうところだ。


「どうしたんです」


 床に転がったままの咲夜に声をかけて、志乃は、気がついた。

 先ほどまで悠々と動き回っていた咲夜が、動かない。顔を覗き込めば、青白い顔をし

 て、目を見開いたまま、荒い呼吸をしていた。


「まさか痛みが?」


 時計を確認する。まだ十時には届いていない。だが。

 手に触れれば、咲夜はようやく体を起こす、痛みは和らいだようだが、触っていてもいつもより辛そうに見えた。


「……呪いの侵食が進んでいるらしい」

「そんな」

「志乃、悪いが腕を持っていてくれ」


 初めて聞く指示だ。いつも手を握ってくれと言うのに。式神の化けた腕を抱えるだけでも効果はあるのだろうか。


「それでも癒しの力は効くの?」

「多少は。俺と式神は一心同体だからな。だが、お前が俺に直接触れる時の力には敵わない」


 ゆらりと体を起こした咲夜は、不器用に志乃に向かって微笑む。


「どうやら俺は、志乃なしでは生きられぬ体になっていくらしい」

「な……」

 なんてことを言うの、と言い終わる前に、彼は向かってくる獅子目掛けて走っていく。


 崩れ落ちる志乃は、彼の式が模造した腕を、胸に抱いたまま。化け物を調伏せんとする夫の姿を、目で追った。

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