第7話
目を開ければ、気だるそうに胡座を組む、白髪男の後ろ姿が見える。
男としては華奢だが背中は大きい。昨晩志乃を包み込んだ腕は長く、逞しく感じた。
それは夢の中ではわからなかったこと。触れてみて初めてわかったことだ。
——この人が私の、旦那様。
口に咥えられたキセルから、紫煙が燻る。
「起きていたの」
「……ああ、目を覚ましたか」
頭がぼんやりする。布団の上で抱き留められてからの記憶がない。
「よぼど疲れていたのだな」
「そうみたい」
「何かする前に寝られてしまった」
「な……!」
志乃は飛び起きると、慌てて部屋の隅まで後ずさった。
「何かするつもりだったの?」
「そりゃあするだろう。初夜だぞ」
大真面目にそう言った咲夜を前に、志乃は動揺し、顔を伏せる。落ち着きなく両手を揉みあわせ、体が熱くなっていくのを抑えようとする。
「だって、あなた、ひどい痛みがあるようだし」
「肌を合わせていれば大丈夫だ」
「肌……なんてふしだらな!」
「夫婦の営みにふしだらもクソもあるか」
思わず顔を上げて咲夜を見れば、口元が少しだけ緩んでいる。ほんの誤差程度の表情の違いだが、ずっとこの人形顔を眺めていた志乃にはわかった。
「笑った」
「笑う……? 俺が?」
「少しだけ笑っていたわ」
咲夜は無造作に自分の顔を片手で触る。彼は自分の表情にさえも鈍感らしい。
「そうか、これが『笑う』。俺は、楽しかったのか?」
「そんなの、私にはわからないわ。あなたが判断することでしょう」
「……たしかにそうだな」
感慨深そうにまた頬を触った咲夜だが、実感がないらしい。首を傾げ、不思議そうな顔をしている。
突如、凄まじい音を立てて障子が開け放たれる。またもや惣弥が夫婦の寝室に乱入したのだ。
「おはようさん。なんやもう起きてたんか、つまらん」
「きゃあああああ!」
叫べば、ばさり、と咲夜に布団を投げつけられる。それをひしと受け止めた志乃は、体の前に布団を抱えなおした。粗忽者から寝姿を隠してくれたのはいいが、もう少しやり方はなかったのだろうかと、咲夜を睨む。
「何の用だ」
「おーこわ。そんなに殺意むき出しにせんといてえな。ええ情報持ってきてからに」
「なんだ」
「雪彦、話してやりい」
惣弥の隣には、花嫁行列に参加していた、おっとりした風貌の美少年が立っている。刺青丸出しの惣弥とは違い、上品な紺色の羽織と着物を着こなす栗毛髪の彼は、いいところのお坊ちゃんというふうな容貌だ。
「奥様、ご挨拶が遅れまして申し訳ございません。御門家に仕える家礼の雪彦と申します。このたびはご当主様とのご結婚おめでとうございます」
その場に正座し、爽やかな笑顔で丁寧な礼をした雪彦に志乃は虚を突かれる。驚いた。この家にまともな挨拶をできる人間がいるとは。だが今ひとつ、聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。
「ご当主様、って?」
「おや、ご当主様、奥様に御門家のことを説明されなかったのですか?」
雪彦に問われ、咲夜はあさっての方向を向いたあと、首を傾げた。
「……説明、しなかった……かもしれない」
「ハッ、殺戮人形はこれやからあかん。殺しのことしか頭にあらへんからな。あのな、志乃。御門家っつーのは殺しの名家や。蘆屋道満の子孫の中で最も高貴な血筋って言ったらええかな。で、咲夜はその御門家のご当主様やねん」
「殺しの名家……ご当主様……?」
惣弥の言葉に志乃はめまいがした。殺し屋の家に嫁いだだけでなく、その名家の当主の嫁に自分がおさまってしまったという事実に、気が遠くなってしまう。膝から崩れ落ちた志乃を、咲夜が抱き止める。間近に迫った黒と金の瞳に、志乃は慄いた。
「惣弥、しゃべりすぎだ」
咲夜の背後から、光の帯が飛び出した。借金とりを殺した時に見たのと同じ、ねずみ花火のような物体。それは弧を描いて惣弥に飛びかかり、脳天に勢いよく直撃した。
「くぅ、効くなあ。さすが殺戮人形や……」
衝撃を受け、派手に後ろへひっくり返った惣弥の後頭部を、雪彦が受け止める。頭を打つのを防いだらしい。彼が手を離せば、そのまま惣弥の体は廊下へと大の字を描いて崩れ落ちた。
「し、死んだの……?」
動かなくなった惣弥を見て、おそるおそる志乃が問う。
「死んでいません。が、腕の立つ呪術師である惣弥さんでなければ、今頃頭から真っ二つでしょうね。彼はたびたびご当主様の逆鱗に触れるので、自分を守る呪をかけているようです」
「はぁ……」
怒らせなければいいのに、と志乃は思う。が、口から生まれたような彼のこと。喋らないという選択肢が取れないのだろう。
「早く用件を話せ」
咲夜が雪彦をせっつけば、では、と雪彦は姿勢を正す。
「御当主様の右腕らしき情報を得ました」
途端、咲夜の表情が変わった。目を細め、何かを探るような顔をする。
「気配はしないぞ」
「ええ、惣弥さんもそうおっしゃっていました。ですが内容を聞けば、ご当主様も関心を持たれるのではないかと思い」
——右腕? どういうこと。仕事に失敗して失ったのではなかったの?
とても正気とは思えないやり取りに、志乃は困惑する。
「横浜の黒曜村で奇病が流行っています。なんでも、体が樹木化していく病だとか」
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