第5話


 惣弥が出ていったのち、時を置かずして咲夜も部屋を出ていった。仕事だと言ったということは、これから人を殺しに行くのだろう。隣同士の布団で一晩をともにしたというのに、まるで妻など霞のような存在だと言わんばかりの振る舞いだった。


 お見送り致します、と言えば、身支度を待つ時間がもったいない、そんなものは不要だと彼は言う。咲夜にとって妻はなんなのだろうと考えさせられる。夜に手を握るだけの関係でいいのだろうか。


 取り残された志乃は拍子抜けをし、しばし呆然としていた。だが、ずっとこうしてもいられない。


「とりあえず、身支度を整えなければ。それからどうするか考えよう」


 志乃が昨晩たたんでおいた銘仙に袖を通そうと探したが、跡形もない。


「嘘。だって私一睡もしていないのに。誰が、どうやって」

「失礼致します。志乃様、昨晩はよくお眠りになれましたか?」

「わ……」


 いつの間にか障子の向こうに女中の影がある。


「お支度を手伝わせていただきます」


 驚く志乃の様子など気にも留めず、女中は障子を開けた。現れたのは昨日と同じ、「朝顔」と筆で書かれた半紙を貼り付けた女。小物入れと洗面具を手に和室の中に入ってくると、手慣れた様子で世話を焼いてくれる。


「私、自分でやります」


「いけません。志乃様は旦那様の奥様になられるお方。しっかりお世話せよと申しつかっております」


 彼女は襖を開けると、寝室に隣接する衣裳室へと志乃を案内する。八畳ほどの部屋に和箪笥がずらりと並んでおり、その全てに物が入っているようだ。事前に着せるものを決めていたのか、迷いなく女中は引き出しを開ける。そして、薄青に朝顔の柄が入った涼しげな着物を手に取った。


「すごく、綺麗な着物ね……」


 しかもすごく高価そうな、と言いかけて、口をつぐむ。下品なことこの上ない。元とはいえ華族令嬢である身分で、そのようなことを言うものではないと猛省する。


「志乃様のために旦那様が購入されたのですよ」


「あの方が……ですか」


「お嫁様を迎えるなら、ああせよこうせよと、惣弥様がうるさくおっしゃいまして。そういうものなのか、と一通り揃えられました。好みの柄がありましたらお申し付けください。おそらく衣裳室内にあると思いますので。なければ取り寄せます」


「はあ……」


 どれだけ注文したのだろう。到着した際はすでに日が暮れていて屋敷の全貌は見ていないが、相当な資産を持った家なのかもしれない。


「あの、こちらには御門様のお母様やお父様も住まわれているのですよね? 私、ご挨拶を……」


 着付けをしていた女中の手が止まる。彼女は口を開こうとして、言葉を発することを、やめた。いや、やめさせられたように見えた。


「わたくしはその質問にお答えすることはできません。旦那様が直接、お話になるそうです」


「どういうこと?」


まるで今、咲夜と話してきたような口ぶりだ。


「申し遅れました。わたくしは旦那様の式神の一人、朝顔と申します。主が許す範囲でしか働くことができないのです。何卒ご理解いただけますと幸いにございます」


「式神……」


 式神とはなんと便利なものなのか。失われた四肢と右目を補い、女中の役割もこなす。


「あなたが、咲夜さんの体も補っているの?」


「いいえ、式神一体につき役割は一つ。旦那様の体には五体の式神が棲んでおります。私は女中の役割のみを果たしているのですよ」


「そういうものなのね」


 神社と陰陽道が統合されつつあるといっても、呪いのことともなればわからぬことだらけだ。


 ——でも、式神を持つには相当な精神力を必要とするはず。六体ですべてだとしても、とんでもない力の持ち主なのね、あの男は。


 御門咲夜の言う通り、志乃には身を寄せる先がない。父親があのような男であるせいで、親族は皆織比良家と関わることを避けている。このまま一年ここに身を置くのが一番良いのかもしれない。身の安全が保障されれば、の話だが。


「ああ、そうでした。お伝えすることを忘れておりましたが。織比良神社には当家の物が『清掃』に行っておりますのでご安心ください。志乃様が留守にされている間は、きちんと手入れをしておきます」


「そうなの、それは安心したわ。ありがとう」


「お礼は旦那様に」


 意外だ。あれだけ志乃には興味のない様子なのに、ずいぶんと細やかに気を回してくれている。これも惣弥の入れ知恵なのだろうか。


 ——とりあえずやらなければならないことは。


 自分の身を守るために、まずは御門咲夜について知らなければ。触れてはならない禁域を知っておくためにも。


「咲夜さんの余命が一年というのは、本当なの?」


「本当でもあり、本当ではないとも言えます」


「え?」


「まだすべてはお話になられていないのですね……。ああ、どうもこのお話も、わたくしからは申し上げられないようです。さあ、できました」


 朝顔は志乃の肩にそっと手を置と、後ろの鏡を振り返るように促す。

 磨き上げられた姿見の前には、公爵家のお姫様かと見紛う身なりの志乃が映っていた。

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