第19話
ブザーが鳴る。
鋭く、短く、体育館の空気を切り裂く音。
センターが跳び上がる。
ボールが宙を舞い、僕たちのチームが最初のポゼッションを取る。
ボールはタケルさんを経て、僕の手元へ。
——そこまでは、よかった。
「ナイス、日向!」
味方の声が飛ぶ。けれど、どこか遠くに聞こえる。
手のひらのバスケットボールが、急に異物のようだった。
重い。冷たい。しっくりこない。
目の前に立つ相手のディフェンス。
その向こう——ディフェンスとディフェンスの隙間に、あの顔がまた、視界に入り込む。
城山。
あくびでもしそうな顔で、こっちを見ていた。
さっきコンビニで会ったばかりなのに、今は敵として——僕のプレイをニヤニヤしながら眺めている。
……見んなよ。
喉の奥が、きゅっと締まる。
冷静に。ルックして、オープンを探せ。ドリブルで崩してもいい。
頭ではわかってる。でも、体がついてこない。
小さく一歩踏み出す。……重い。鈍い。
パスフェイクを入れようとして、出しかけた手が止まる。
また外したら——また、あのときみたいに。
脳裏に、あの声が蘇る。
「お前のせいで負けたんだよ」
「いらねぇって、お前のパス」
「早くやめろよ、ヘタクソ」
胸の内側がざらつく。呼吸が浅くなる。
その一瞬の迷いを、相手は逃さなかった。
「っ……!」
慌ててパスを出す。だが、わずかにズレた。
ボールはタケルさんの手からこぼれ、敵の手に渡る。
速攻。スリーポイントシュート。
——スパッ。
きれいな弧を描いて、ネットが揺れた。先制点、奪われる。
「大丈夫、大丈夫、切り替えてこう!」
田中さんの声が飛ぶ。
わかってる。そんなこと、わかってるのに。
でも、今のは——僕のせいだ。
手元のぬくもりが、急に遠くなる。
再び、ボールが回ってくる。
敵のディフェンスは甘い。スリーポイントラインの外——打てる。
「フリー!」
味方の声。けれど、手が……止まった。
——打てない。
躊躇した、その一瞬でマークが寄る。
打てない。選択肢は、もうない。慌ててドリブルで逃げる。
——その動きに、余裕のなさが滲んでいた。
フェイントを仕掛けようとするが、キレがない。
足も、手も、重い。シュートクロックが迫る。
追い詰められるように、苦し紛れのミドルを放つ。
——リングにすら当たらない。大きく外れた。
「あっ……」
声にならない声が、喉から漏れる。
なにやってんだ、僕……。
コートを駆けながら、自分の足が誰のものかわからないような感覚に陥る。
目線をそらすように、ふと視線を上げた。
体育館の二階、観客席の通路——そこに、見慣れた人影がある。
なつみだ。手すりに寄りかかりながら、静かにコートを見下ろしている。
城山とは違う。なにも言わない。ただ、目を細めて、こちらを見つめていた。
まるで——「大丈夫だよ、見てるから」って、言ってくれているみたいに。
でも、そのまなざしが、胸に刺さった。今のプレイを、なつみは見てしまったのだ。
こんな、逃げ腰で、過去に縛られて、何もできていない僕の姿を。
……だめだ。情けない。
このままじゃ——
あのときの僕と、なんにも変わってない。
前半の中盤、スコアはじわじわと離され始めていた。
こっちの得点は止まりがちで、逆に相手は勢いに乗ってきている。
「ディフェンス戻れ! 右! 右にスクリーン!」
タケルさんの声が響く。けれど、その指示もわずかに遅れ、相手のシュートがストンとリングを貫いた。
——3点差。
まだ小さい点差。でも、流れは完全に向こうに傾いていた。
再びボールが僕の手に渡る。ドリブルを刻みながら、パスを探す。
けれど、足が重い。体が鈍いわけじゃない。考えが、体に追いついてこない。
頭のどこかで、またあの言葉がこだまする。
——「下手くそなんだから、ちゃんと練習しとけよ」
「おい、ヒナタ!」
気づけば視界が狭くなっていた。呼びかけられてハッとする。
遅い——そう思ったときには、すでに囲まれていた。トラップ。
パスを出そうにも、コースが見えない。頭が真っ白になり、無理に弾いたボールは相手の手元へ吸い込まれていった。
スティール——からの速攻。パス一発、レイアップ。あっという間の2失点。
次のオフェンス。
ようやく持ち直そうと、タケルさんが仕掛ける。
カットインからのパスが、僕に来た。
ここで、決めなきゃ。そう思って手を伸ばす。
……でも、キャッチが甘かった。手の中でボールがわずかに弾かれた。
慌てて拾うも、タイミングは完全に狂っていた。
シュートも打てない。パスも出せない。
コートの真ん中で、僕だけが止まっていた。
「早く! シュートでもいいから打て!」
タケルさんの叫びが飛ぶ。
焦って跳んだ。スリーポイントライン、ぎりぎりの位置から。
けれど——リリースの瞬間、手が迷った。
ボールはリングにすら届かず、虚しく床にバウンドした。
体育館の空気が、ほんの少しだけ静まり返る。
焦りだけが、全身を支配していた。
汗が目に入り、視界がにじむ。呼吸も荒い。
それでも、足だけは止まってくれなかった。
——チームには控えなんていない。
倒れようが、崩れようが、立ち続けるしかない。
……それでも、僕は逃げ場を探していたのかもしれない。
シュートが外れ、パスがずれるたびに——
どこかで誰かが、「もういい」って、止めてくれることを期待していた。
そして——次の瞬間だった。
相手ゴール下でボールを受けた僕に、背後から気配が迫る。
振り返るより先に、ボールが手からふっと消えた。
「……甘いな、相変わらず」
聞き覚えのある声に、背筋が凍った。
城山だった。
振り返ると、やはりそこにいた。
スティールしたボールを軽く回しながら、こっちを見て——ニヤリと笑う。
その笑みには、意味なんてない。ただの軽口。ただの優越感。
けれど僕にとっては、それだけで十分すぎる棘だった。
「ああ、やっぱ変わってねぇな。トロいわ」
そう言い残し、城山はボールを仲間にパスする。
受けた選手がそのまま切り込み、レイアップ。
ボールは音もなくリングに吸い込まれた。
さらに点差が開く。
タケルさんが歯を食いしばりながら近づいてくる。
何か言いたげに立ち止まったが、結局、何も言わずに背を向けた。
言葉にしなくても、その態度には痛みが滲んでいた。
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