第003話 初の株式投資

 1995年7月6日 夏休み開始


「聡、何か大切な話があるって?」


 父さんが仕事から帰ってきて、夕食の後に僕を見つめた。母さんも心配そうな表情を浮かべている。


「うん。実は、株を買ってみたいんだ」


 リビングに静寂が訪れた。両親は顔を見合わせた。


「株って、前に話していたあれか?」


「そう。僕、もう10,000円貯めたんだ」


 実際には、ゲーム売買とお小遣い、手伝いの報酬で8,240円まで貯めていた。あと少しで目標額に達する。


「10,000円?そんなに貯めたのか?」


 父さんが驚いた。


「ゲーム交換クラブで少しずつお金を稼いだり、家の手伝いをしたりして」


 母さんが心配そうに言った。


「でも聡、株は大人でも難しいのよ?」


「分かってる。でも、勉強したいんだ。小さな金額で実際に体験してみたい」


 僕は準備していた資料を見せた。新聞の切り抜きや、図書館で借りた本のコピー。


「この会社、仁天堂っていうんだけど、ゲームを作ってる会社なんだ」


 父さんが資料を見た。


「確かに最近話題だな。ファミコンが人気だし」


「そうなんだ。僕が思うに、これからもっと人気が出ると思う」


 僕は前世の記憶を整理しながら慎重に説明した。ポケモンのことは直接言えないが、ゲーム業界の成長性については話せる。


「ゲームは子供だけじゃなくて、大人も楽しめるようになると思う。それに、海外でも人気が出そう」


 両親は真剣に聞いていた。


「でも、なぜ株なの?普通に貯金じゃだめなの?」


 母さんの質問はもっともだった。


「貯金も大切。でも、良い会社に投資すれば、会社が成長した時に一緒に成長できるんだ」


 父さんが考え込んだ。


「確かに長期的に見れば、株式投資は有効な手段だ。でも聡、失敗する可能性もあるんだぞ?」


「分かってる。だから小さな金額で始めたいんだ。もし失敗しても勉強代だと思う」


 僕の本気が伝わったのか、両親の表情が変わった。


「分かった。でも条件がある」


 父さんが言った。


「まず、投資金額は5,000円まで。残りは貯金しておくこと。それと、株のことを勉強し続けること。そして、結果に関係なく責任を持つこと」


「ありがとう!約束する」


 翌日、僕は父さんと一緒に証券会社を訪れた。


「こんにちは。株式投資について相談したいんですが」


 受付の女性が驚いた。小学生が株の相談に来るなんて、珍しいのだろう。


「申し訳ございませんが、未成年の方は親権者同伴でないと...」


「僕が父親です」


 父さんが身分証明書を見せた。


「それで、この子が株式投資を始めたいと言っているんです」


「そうですか。まずはご説明させていただきますね」


 担当者の田中さん(僕と同じ苗字だった)が詳しく説明してくれた。


「株式投資には元本保証がありません。価格は上下しますし、最悪の場合、投資金額がゼロになる可能性もあります」


「理解しています」


 僕は真剣に答えた。


「仁天堂の株を5,000円分購入したいです」


 田中さんがコンピューターで株価を確認した。


「現在、1株1,050円です。5,000円では4株購入できますね。手数料を含めて4,300円になります」


『1,050円!』


 僕は心の中で驚いた。前世の記憶では、仁天堂株はポケモンブーム前は確かに低い水準だった。今が絶好の買い時だ。


「お願いします」


 手続きを済ませ、僕は人生初の株主になった。


 家に帰ると、僕は投資日記に記録した。


『人生初の株式投資』

『銘柄:仁天堂株』

『購入数:4株』

『購入価格:1,050円/株』

『投資金額:4,200円(手数料込み4,300円)』

『残り現金:3,940円』


 夕食時、母さんが心配そうに聞いた。


「どうだった?」


「無事に買えたよ。仁天堂の株主になった」


「株主?」


「会社の一部を持ってるってことだよ。仁天堂が儲かれば、僕も儲かる」


 翔が遊びに来たとき、この話をした。


「すげー!聡って本当に株を買ったんだ」


「うん。でも、まだ始まったばかり」


「俺にも教えてよ」


「いいよ。でも、まずはお金を貯めないとね」


 夏休み中、僕は仁天堂の動向を新聞で追った。ゲーム業界のニュースを切り抜いて、スクラップブックを作った。


 図書館で投資の本も借りて読んだ。大人向けの本は難しかったが、基本的な概念は理解できた。


 ある日、翔が興奮して僕の家にやってきた。


「聡!大変だ!新しいゲームの話を聞いた!」


「新しいゲーム?」


「うん。俺の従兄弟がゲーム会社で働いてるんだけど、仁天堂がすごいゲームを作ってるって噂があるんだって」


『ポケモンのことかもしれない』


 僕は胸の鼓動が早くなった。


「どんなゲーム?」


「詳しくは分からないけど、モンスターを集めるゲームらしい。来年発売予定だって」


『やっぱりポケモンだ』


 僕は冷静を装った。


「面白そうだね」


「だろ?仁天堂の株買って正解だったじゃん」


 その夜、僕は投資日記を更新した。


『ポケモン情報確認』

『発売時期:1996年予定』

『期待度:最高レベル』

『戦略:現在の株数を維持し、追加購入を検討』


 8月に入ると、仁天堂の株価に少し動きが出始めた。1,050円だった株価が1,100円になった。


『含み益:200円(50円×4株)』


 小さな金額だが、僕にとっては大きな意味があった。投資が現実のものになった瞬間だった。


「聡、株価が上がったんだって?」


 父さんが新聞を見ながら言った。


「うん。でもまだ200円だけ」


「200円でも立派な利益だ。でも、下がることもあるからな」


「分かってる。長期間持つつもりだから」


 母さんが微笑んだ。


「聡って本当にしっかりしてるのね」


 夏休みの終わり、僕は今後の計画を立てた。


『現在のポートフォリオ』

『仁天堂株:4株(取得価格1,050円、現在価格1,100円)』

『含み益:200円』

『現金:3,940円』

『月間収入:2,000円(お小遣い+手伝い)』


『今後の戦略』

『1. 現在の株数を維持』

『2. 毎月1,000円ずつ追加投資資金を積み立て』

『3. ポケモン発売前に追加購入を検討』

『4. 青春も大切に』


 最後の項目が一番重要だった。投資はあくまで手段。目的は最高の人生を送ることだ。


 翔との友情、家族との時間、学校生活。前世では味わえなかった青春を存分に楽しもう。


 2学期が始まる日の朝、僕は鏡の前で自分に言い聞かせた。


「今度こそ、すべてを手に入れる」


 投資で経済的自由を得て、同時に素晴らしい人間関係を築く。


 そのための第一歩を、僕は確実に踏み出していた。


 学校に向かう道で、翔が待っていた。


「おーい、聡!」


「おはよう、翔」


「夏休み、ゲームクラブのおかげで楽しかったよ。ありがとう」


「こちらこそ。2学期も頑張ろう」


 僕たちは並んで学校に向かった。


 青空が広がる9月の空を見上げながら、僕は確信していた。


 この人生は、前世とは比べものにならない素晴らしいものになる。


 投資と青春。両方を手に入れる僕の物語は、まだ始まったばかりだった。

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