序章:始まり
俺は走った。
カゲリの手を掴んで。振り返ることなく。
不思議と魔獣は襲い掛かってこなかった。恐らくカゲロウ村へ戦力が集中しているのだろう。ロウやイリスが時間を稼いでくれているのだ。無駄にはできない。
無駄には――。
俺の脳裏にはイリスとの別れ際の様子が何度もフラッシュバックしていた。
残された村人たちを救うために自ら危険地帯へと乗り込んでいった。あの勇敢な姿が。
それに比べて俺はどうよ? こうして無様に逃げている。なんて情けない。不甲斐ない。反吐が出る。自分自身を許せない。
足手まといとイリスが言った。
そう俺は足手まとい。仮についていっても役に立てないのだ。魔獣とも戦えないし。瘴気への耐性も皆無。お荷物が一つ増えるだけ。
ほんっと俺って奴は!
なんて役立たずなんだッ!!
ああ誰か俺を殺してくれ。
「く、ふふ」
気が付くと涙が出てきていた。
「あっはっはっは!!」
どれだけ拭っても止まらない。
「ざ、ザクロ、くん? 大丈夫?」
カゲリが不安げに訪ねてくる。
「大丈夫……いや、嘘だ。全然大丈夫じゃない! なんだよこれッ! なんでこんな、ことに」
繋いだ手が強く握られた。カゲリの、掌の温もりが伝わってくる。
「だ、大丈夫、だよ。森を抜けたら、あ、安全な場所に行ける。私たち、助かるんだ、よ?」
俺は答えなかった。
喉の奥から、押し殺したような声が漏れるだけだった。
助かる? 安全な場所?
そんなものに、なんの意味がある?
――イリスがいないのに。
足が止まった。
カゲリも引き留められて一歩遅れて止まり、驚いたように俺の顔を見た。
「俺は、何一つできなかった。……あいつに、全部、背負わせて。全部だ。悔しいって、情けないって、わかってる。でも――でもさ」
声が震える。言葉が詰まる。喉が焼けるように熱い。
「――俺は、死にたくないって思っちまったんだよッ!! あいつを置いて逃げる時、思っちまったんだよ! 生きたい、って……! それが、こんなにも、後ろめたいなんて、知らなかった……っ」
カゲリが小さく息を呑んだ。
「ごめん、ごめんなイリス……! 俺は、俺は最低だ……ッ」
膝をついた。地面に手をついて、嗚咽を漏らす。涙と鼻水と泥で、ぐちゃぐちゃだ。
それでも、俺の中からはどうしようもない感情が溢れ出し続けていた。
その時だった。
背中に、ぽすん、と小さな重みがのしかかった。
カゲリだった。
ちいさな両腕で、そっと俺を抱きしめてくれる。
「……ザクロくん、イリスちゃんは、怒ってないよ」
その声は震えていた。けれど、しっかりと、俺の胸に届いた。
「怒ってない。絶対に。だって、あなたが生きてくれること……イリスちゃんが、一番望んでたんだよ」
カゲリの頬が、俺の背に当たる。濡れている。
「私もそうだよ……生きててくれて、よかった、って思ってる。だから、が、がんばろ? 諦めないで……立ち上がって……」
――生きていていいのか。
そんな言葉が、胸の奥でぼんやりと浮かんでは、まだ信じきれずに沈んでいく。
けれどその腕の温もりだけは、確かに俺を、引き止めていた。
……ふと、思う。
イリスやロウに生かしてもらったこの命。自身の生涯を通してカゲリを守るというのもいいのではないかと。
カゲリは泣き虫で。いじめられっ子で。俺が守らないといけない存在。か弱い女の子なのだから。
いいんじゃないか?
いつか結婚とかして。二人で幸せに暮らすのだ。今日の出来事はすべて忘れて。ずっとカゲリと共に過ごす。
こいつのためになら俺は頑張れる。駐屯地についたらどうにか働き口を見つけるのだ。そして頑張って賃金を上げる。家に帰ったらカゲリが笑顔で待っている。素晴らしい。最高の未来。
そうだ。忘れよう。あんな魔獣共のことも。カゲロウ村の人たちのことも。何もかも。あんな――。
忘れるなんて出来るわけねーだろ。
目をつむると思い出す。あの巨大な魔獣を。大魔リヴァイスを。あいつが来なければカゲロウ村は平和だったのに。あれが襲来したせいで全てが破壊された。
俺の平穏な日常。イリスと勝負したり。畑仕事の手伝いをしたり。そういった毎日が崩壊してしまった。全ては魔獣が来たせいだ。
この世に魔獣が存在しているせいだ。
ならば。
自分のするべき使命とは。
「ありがとう。カゲリ」
俺は礼を言った後に立ち上がった。
「ザクロくん……よかった。元気になったんだね」
「ああ」
「……どう、したの? なんか変だ、よ?」
「何が?」
「う、ううん? なんでもない」
「……じゃあ、行くか」
「そう、だね」
俺たちは再び走り始めた。
森の出口を目指して。
……ありがとうカゲリ。おまえのお陰で覚悟が決まった。もう迷わない。下を向くこともない。
俺は勇者になれるくらい強くなる。
強くなって。
あの凶悪な魔獣・大魔リヴァイスを殺してやるんだ。
幸せな未来なんていらない。弱いくて役立たずなままでいるのは嫌なんだよ。
たとえどんな困難が待ち受けていようとも。必ず成し遂げて見せる。
〇
駐屯地にたどり着いたのは、夜が明ける少し前のことだった。
森を抜けて、山を越え、川を渡り、靄のなかをひたすら走り続けた。すでに体力は限界を超えていたが、足だけは止まらなかった。気づけば、目の前に高い柵と灯りがあった。兵士たちがいた。剣を手にした者たちが、俺たちに駆け寄ってきた。
それが、救いだった。
村から逃げ延びた人々は、すでに駐屯地に保護されていた。
大勢が生きていた。
見覚えのある顔が並んでいた。畑の爺さん。仕立て屋のばあさん。いつも喧嘩していた兄弟。
泣き崩れている者もいた。ぼんやりと焚き火を眺めている者もいた。
カゲロウ村の人々は、確かにそこにいた。
ただし、全員ではない。
イリスとロウの姿は、どこにもなかった。
誰も、彼らがどうなったかを知らなかった。
最後まで村に残っていたという話だけが、あちこちの口からぽつぽつとこぼれてきた。
それ以上は、誰も語ろうとしなかった。
死んだのか、生きているのか。
まだ戦っているのか、すでに地に伏したのか。
分からない。誰にも。
ただ、焚き火の光に照らされた顔の中に、彼らの姿はなかった。
カゲリはすぐに医務棟に運ばれた。擦り傷と軽い脱水。だが命に別状はなかった。
俺は簡単な事情聴取を受けたあと、テントの片隅で毛布を渡された。
それで終わりだった。
崩れたままの世界を、無理やり継ぎ接ぎしたような場所。
それが、この駐屯地だった。
誰もが疲れ果てていた。兵士も、逃げ延びた村人も。
泣いて、黙って、祈って、怯えて、それでも生きていた。
焚き火の明かりが揺れていた。朝日はまだ昇らない。
〇
寝返りを打っても、眠れなかった。
毛布の中で何度も、イリスの背中が頭に焼き付いた。
気づけば、立ち上がっていた。
行かなくちゃと思った。行かなければ、何かが壊れてしまう気がした。
だからその日。俺は駐屯地から姿を消した。
目的地はカゲロウ村。イリスを探すために戻る。理由はただそれだけだ。
長い時間をかけて村に戻った。
そこには酷い惨状のカゲロウ村と。
信じられないような存在が立っていた。
目を疑うほどに、堂々と。まるで……物語の中の英雄のように。
「ん? きみは……」
金髪の美少年が立っていた。
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