Chapter4

第55話 教えて

そよそよ。



そよそよ。



風が頬をそっと撫でる。

土と芝生のにおい。

暖かい太陽の陽ざし。

肌も髪も、スニーカーを履いた足の先まで、ポカポカと暖かさに包まれる。



「あったかいね、あーちゃん」



隣で幼い少女の声がする。


芝生に仰向けに寝そべる私の隣で、少女もまた、私と同じように芝生に身を預けている。



「そうだね、しーちゃん」



少女の顔は見えないのに、どうしてか私は、彼女が誰なのかを知っている。



「ずっと、こうしていられたらいいのに」



少女が言う。

少女は少し寂しそうに、「はあ」と息を吐く。


私は答える。


「ずっとねそべっていたら、夜になっちゃうよ。今はあたたかくても、夜になったら、さむくなっちゃうもの」


私の言葉に、少女は「ふふ」と笑う。


「ずっとお昼だったらいいのに」

「むりだよ、そんなの。時間がたったら、夜になっちゃうもの」

「そうだね。わたし、さむいのキライだから、やだなあ」

「わたしもキライ」


そう言って、私は芝生に横たわる少女の手を握った。


「でも、こうすれば、ずっとあったかいね」


すると少女は、私の手を握り返した。




「うん、とってもあったかい」




***




目覚まし時計の音がする。


私は瞼をこすりながらベッドから起き上がり、目覚まし時計を止めた。


――――まただ。


また、小学生の頃に仲が良かった、しーちゃんの夢。


事故で入院した時に、一度しーちゃんと出会った時の夢を見てから、狂ったようにしーちゃんの夢ばかり見るようになった。


公園で遊んだ時の夢。

家で一緒にジュースを飲んだ時の夢。

放課後に約束をして、海へ行った時の夢。

そして、芝生で寝そべって話をした時の夢。


ずっと彼女のことを忘れていたくらいなのに、急に一体どうしたのだろう。


「……ま、色々あって疲れてんだろうなあ……」


問題だらけの現実から逃れるために、幼い頃の美しい記憶を再生している、そんなところだろう。



私はベッドから降りて伸びをすると、制服に着替えた。



***




「……遅いね、実来ちゃん」


朝練を終え、教室に登校した私は、遥と霞と一緒に実来ちゃんが来るのを待っていた。


もうあと二分でホームルームが始まるのに、姿を現さない。


「もしかして、休みなんじゃないかしら?」

「あんなことして、学校に来られないのかもね」

「ありえるな……」


そう考え始めた時。


教室のドアが開き、実来ちゃんが入って来た。


その姿を見て、私たちは絶句した。



目の下には深いクマができ、瞼はパンパンに腫れている。

虚ろな表情で肩を落とし、ゆっくりとした動作で教室を歩く。


そして、実来ちゃんは私の姿を見つけたようだった。

彼女と目が合う。


「……っ」



目が合うと、実来ちゃんは瞼を見開いた。



「あ、実来ちゃ……」



私は声を掛けようと、立ち上がる。


しかし実来ちゃんは、目線を逸らし、速足で自分の席に座った。



その時、


「ホームルーム始めるぞー。席に着けー」


担任の後藤先生が教室に入って来てしまったので、やむを得ず話はホームルームが終わってからすることにした。



***



朝のホームルームは、後藤先生が期末テストの出来の話をしていたみたいだったけど、実来ちゃんのことで頭がいっぱいで、殆ど耳に入らずに終了した。


後藤先生が教室を出ると同時に、私は急いで席を立つ。



そして、真っ先に実来ちゃんの席に向かい、正面に回ると、安心させるように言う。


「実来ちゃん! 大丈夫だよ。私、無傷だから」

「ちゃんと逃げられたの。何もされてないよ」


遥と霞も傍に来て、私の後ろにつく。


実来ちゃんは自分の席に座ったままで、肩を揺らす。

俯いて、なにも答えない。


一限は移動教室なので、教室にいる生徒の数が徐々に減っていく。



私たちだけになった瞬間に、私は口を開いた。



「私、ちゃんとわかってるから。やりたくて、あんなことしたんじゃないでしょ?」

「……」

「手紙で脅迫されたんだよね? そうでしょ?」

「……」

「だから、その内容を教えて! 悩んでいるんでしょ? 私たち、実来ちゃんの力になるから!」

「……っ」


必死で訴えかけるが、実来ちゃんは急いで移動教室の準備をすると、私たちを押しのけて教室を出ようと、走り出した。



「待ちなさい! 村林さん」


それを、遥が厳しい口調で呼び止める。


実来ちゃんは、スイッチを切られたロボットみたいに、ピタリと動きを止めた。


遥はその背中に鋭い視線を突き付けると、言った。


「彩里さんに酷いことをしておいて、無視はないんじゃない? 自分が何をしているのかわかっているの?」

「何か事情があるみたいだけど、あなたは人として……女として最低のことをしたのよ」

「あの時、私たちが助けに行かなかったら、彩里さんがどうなっていたかわかる?」

「あなたが同じことをされたらどうなの? 女ならわかるわよね? 生きて行けるの?」

「わかったなら、責任を持って全部話しなさいよ!」


強い口調で言葉を並べる遥に、実来ちゃんはゆっくりと振り向いた。


腫らした目に涙を浮かべ、


「…………ご、ごめ……なさ……い」


それだけ言って、走って教室を出て行ってしまった。


遥は「はーっ」と息を吐き、


「信じられないわ! 彩里さん、もうあの子、警察に突き出してしまえばいいじゃないかしら?」

「お、落ち着いて、遥」

「あそこまで言ったら、逃げるって」


私と霞が宥めるが、遥は声を荒げ、


「あなたたち、甘すぎるのよ! ああいう人間は、法的罰を受けないと――――」

「おい、お前ら! もうすぐ授業始まるぞ! 何やってんだ?」


遥を遮って、中年男性の声が響いた。


声がした方を見ると、学年主任の田原先生が、開いた教室のドアの前に立っていた。


田原先生は、私を見るなり、


「あれ、中谷じゃないか。ちょうど良かった。ちょっとこっちへ」


そう言って、手招きした。


私が従うと、遥と霞に聞こえないくらいの小さな声で、


「例の話し合いの件だが、明日の放課後はどうだ?」

「あ、はい。大丈夫です」

「よし。じゃあ、明日の放課後、生徒指導室に来るように」

「わかりました」


私が会釈すると、田原先生は「三人とも、早く授業行けよ」と声を掛けて立ち去った。



「もしかして、いじめの話し合いの件?」


急いで移動教室の準備をして、三人で教室を出ると、霞が訊ねた。


「うん。明日の放課後だって」

「決まったんだ。上手くいくと良いね!」

「ありがとう」


私は霞に礼を言ってから、不機嫌な顔で隣を歩く遥に言う。


「……遥、実来ちゃんを叱ってくれてありがとう」

「遥がさっき言った通り、もし明日の話し合いで実来ちゃんを脅迫した犯人がわからなかったら、彼女を警察に告訴しようと思う」

「それがいいわ。話してくれないのなら、仕方ないもの」

「うん。放っておいたら私も、あの時一緒に居た遥たちも危険だからね」

「こういう時は、やっぱり自分の身は自分で守らないと」

「そうだね……」


もしかしたら、友達を訴えないといけないかもしれない。


そう思うと、気持ちが重たくなる。



でも、大丈夫だ。



明日、話し合いの中で、絶対に実来ちゃんを脅迫した犯人を――――私を殺そうとした犯人を見つけてやるんだから!!

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