第35話 テムリッジ村
いつもは通過点としての村。そうではなくて、目的地として訪れるのはまた違った印象があった。
ここが
ただ広く広がる空と草原。川は流れているのに音はしない。時々吹き渡る風が草を揺らす音だけ。アークボローと比べると、とても静か、いや穏やか。確かに彼の性格に合っている気がする。
私は言われていたとおり、村の酒場『三つの竪琴』へと向かう。アークボローと違って人が少なく、通りは歩きやすい。それに歩いている人もゆっくりとしていて、誰も焦って歩いていない。緩やかな時間が村に流れている。いくつかの店が並ぶ通りに酒場はあった。幾つもの店の中では大きな方だ。きっと村の殆どの人々を受け入れているからなのだろう。
「おや、お客様だ。いらっしゃい」
大柄でがっしりとした体つきの店主が出迎える。酒場の中は果実を詰めた瓶や酢漬けの樽がたくさん並んでいた。質素のように見えて、実は食材が充実していることがうかがえる。
「……待ち合わせをしているの。何かこの村のお勧めの飲み物はあるかしら?」
たくさん並べられている机の一つに荷物を置くと、私は店主に尋ねた。
「お勧めは、今の時期だと紫すぐりの果実を搾って花蜜と混ぜたものだね。で、誰と待ち合わせだ?」
「ヴィオリーノ、って最近この村に越してきたでしょ?」
ああ! と店主は目を見開いた。
「ヴィオの知り合いか! そうかそうか! まぁ気長に待つといい。奴は昨夜それなりに呑んでいたからな」
……住む場所が変わっても行動は同じね。あまりにも遅ければ家を聞いて訪ねればいいわ。しょうがない人だ。荷物を置いた机に戻ると、すぐに店主が飲み物を持ってきてくれる。
「申し遅れたが、俺は店主のコルノ・モーダンだ。困ったことがあったらいつでも聞いてくれ」
「ありがとう。私はアリア。アークボローから来たわ」
「そんな遠方からわざわざ奴に会いに?」
そう、と頷いた時、酒場の扉が開いた。店主がぱっと振り返る。
「お邪魔するよー」
あの気の抜けた声は……
「おっ! 思ったより早起きだな!」
「どういう意味だよーそこまで呑んでないって昨日は」
昨日は、ってことは、さてはしょっちゅう酒場に来てるわね?
「かわいいお嬢さんと会う約束があるから控えめにしていた、っていうのかい?」
店主のからかうような言い方に、ようやくヴィオが私に気付く。
「アリア!!」
「相変わらずたくさん呑んでいるみたいね?」
「いつものことだよー」
見慣れたふわふわした微笑みに私は安堵した。元気そうね。ヴィオは机までやってくると、私の前の椅子を引いて座る。店主がそれを見て戸惑うような表情だ。
「おいヴィオ、どういう関係だ?」
「えっ……あー……言ってなかったっけ?」
「結婚してるの、私たち」
得意げに私は言った。虚を突かれたヴィオと、店主の驚いた顔。コルノ店主はヴィオの顔をしばらく無言で見つめる。
「お、お前……結婚してたのかっ!? でも一緒に住んでいないって」
「そうだよーまぁ、色々あって俺たちはこの形なんだよ」
はぁ、と店主は大きなため息をついた。
「……そうかい。なんだか知らんがヴィオとお嬢さんがそれでいいって言うなら、俺は何も言えないさ。ただな、だからって好き放題呑んでちゃダメだと思うぞ! 心配かけるような真似をするんじゃないぞ!」
「それは……はーい。気をつけるさ」
なんだかいい人に恵まれていそうな気がした。私がそばに居なくても、この人を助けてくれる人がいる。それを見ることが出来て安心する。ヴィオは人付き合いが上手いから大丈夫だろうとは思っていたけど。いい場所に巡り会えていたのね。
「アリアさんと言ったかな、まぁゆっくり過ごしていってくれよ」
そう言ってコルノ店主は店の仕事に戻っていった。それを見届けてからヴィオが私を見て微笑む。
「よく来たね」
「思ったより遠かったわ。早く馬が使える階級にならないと、結構大変かも」
「そうだねー平原が続くとはいえ、距離があるからね」
私はカップのなかのものを飲み干した。酸味と甘みが絶妙で、旅の疲れを取ってくれる感じがした。それを待って、ヴィオが立ち上がる。私の荷物を軽々と持った。
「行こうか」
酒場を出て、村の中を歩いていく。時折すれ違う人たちが、誰しもヴィオに好意的な反応を返していた。ヴィオ自身もなんだか楽しそうだ。よっぽどこの村に馴染んでしまっているんだろう。
中心部を抜け、家がまばらになったあたりに目的地はあった。
「アークボローと違ってね、家も一人には広すぎるんだ」
「これだけ土地があれば大きく作れるわよね」
「だからちょっと正直まだ部屋を持てあましていて」
そう言って石造りの壁に、焦げ茶色の扉の家の前まで来る。家の前には桶が無造作に置かれていて、雑草もそれなりに生えている。手入れなんか、きっとこまめにしていないのだろうな。
扉を開けると、思っていたよりも広い空間が広がっていた。そして
「……か、片付ける余裕がなくてごめん」
「知ってるわよ。ヴィオの部屋って感じで懐かしいわ」
「ものすごい嫌味だね?」
困った顔でヴィオは私を見る。私は意地悪な顔をして見上げた。
「あら、本当に懐かしいと思っているのに? アークボローの隊舎にいた頃を思い出しただけよ」
参ったな、とヴィオは頭を掻いた。扉を閉めると、食卓用の机の上に私の荷物を置く。ざっと見渡せば、一通りの家具は揃っているように見えた。部屋は二つのようで、壁と扉で区切られている。食卓のある部屋には、本棚と物を置くための棚が置かれていたけど、まだその中には物があまり置かれていない。そこまで必要としていないのかもしれないけど。
「アリア、ここの棚を空けてあるから使うといいよ」
「えっ?」
驚いた反応にヴィオがきょとんとする。
「だって、時々来るでしょ? よく使うものとか服とか、置いておけば荷物を減らせるよ?」
「あ……そ、そうね」
そう言われて、改めてこの家がもう一つの『私たちの家』であることを自覚する。その棚の空いた場所は私のために用意してくれていたらしい。ヴィオの家、ではなくて、この家には私も居ていい場所。それがなんだか嬉しくてむずがゆくて。
「それで、こっちが寝室」
そう言ってヴィオは部屋の扉を開けて案内する。寝室は隊舎の個人部屋のような広さがあった。机と椅子、服を収納するための家具。そして一人で寝るには大きめの寝台。
「随分と大きめなのね?」
「二人で寝ても十分な広さがあったほうがいいと思って」
あっけらかんとヴィオは言った。確かにそうなんだけど、改めてそう言われると……
ヴィオリーノが私の隣にいる、という現実に鼓動が自然と早くなる。夢ではない。
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