第34話 その声は
怪我の回復と共に任務も再開していった。街の中の巡回ぐらいのことは出来ている。左肩から腕にかけての動きはまだ完全に回復はしていない。ずっと休んでいたこともあって、身体全体がなまっている。教官の指示に従って少しずつ元の状態に戻していくための訓練も始めた。少しずつ、私の日常を取り戻していく。
そうして、また、月日は過ぎていっていた。ヴィオが旅立って三年が過ぎている。相変わらず便りもなく、いない事が当たり前になってきていた。記憶の中だけの存在になっていて、彼がいたという現実味はもう無くなっている。帰ってくる、という気配もわからない。
外の任務を許されるようになって、しばらくしてからのこと。任務を終えて一息つきたいときは、相変わらず中庭のいつもの場所へ行っていた。そこに彼はいないと分かってはいるけれど、もう習慣のようになっている。
ヴィオと別れてから庭の様子も変わっていた。あの時まだ植えられたばかりの木がたくさん枝葉を伸ばして大きくなっている。花が植え替えられた場所もあり、いつも同じように見える庭だって、変化していることに気がつくもの。
今日もそれなりに身体も頭も使ったから特に行きたい気持ちがある。でも、中庭に人の気配があった。
(……最近使う人が増えてきたのよね)
落ち着ける場所、として使う人が前より増えているような気がしていた。軍の敷地内だから私だけが独占するわけにもいかないし、仕方が無い。とはいえ、少しがっかりもする。
様子だけ伺おう、と私は静かに足を進めた。
(……話し声? いや歌……?)
ヴィオリーノみたいに歌う人が軍に入ったのかしら、と興味が湧く。もう少し近くで聞こうと更に歩いていく。歌声は少しずつ明らかになってきた。
(似てる)
あの人の声によく似ている。どちらかといえば聞こえてくる声の方がもっと複雑で、深い気がした。でもそんな声を持つ人、いた記憶が無い。誰だろう? いつもの場所が見える所に足を踏み入れる。長椅子に一人の男。のんびりと足を伸ばして木々を眺めているようだった。でも軍の服ではなくて、どこか旅に出かけていたような服装。それもかなり使い込んだ感じのものだ。あの人と同じ栗色のくせっ毛。髭が少し生えている精悍な顔つきは少し違う? とても似ている。そして手首に目を移せば
(……え……?)
男は私に気付いてこちらを見た。そして目を見開いて驚いた顔をする。私も頭が真っ白になるぐらい混乱した。
「……もしかして、アリア?」
知っている。この声は
「嘘…………」
その場から動けなくなってしまった。だって、まさか、そんなの予想もしてなかった。歌声は確かに少し変わった。顔つきも緩さが減っている。でもその喋り方、のんびりとした座り方、優しい眼差し。
「ヴィオ……なの……?」
「忘れてた?」
ふわっとした懐かしい微笑みで確信する。
「忘れるわけ……っ!」
間違いない。ヴィオリーノが帰ってきた。もうそれ以上何もしゃべれなくなって思わず両手で口を覆った。ことばの替わりに涙だけが一気にあふれ出てくる。ヴィオは椅子から立ち上がって私の方へ歩いてきてくれた。
「ただいま」
おかえりなさい、は言えなくて、そのまますぐ側に来てくれた彼の腕の中に飛び込んだ。私の革紐をつけた手が優しく身体を包む。懐かしい温かさが夢ではないことを教えてくれる。ヴィオは私が落ち着くまで、ただ静かに抱きしめていてくれていた。
涙が止まってから私はようやく顔を上げられた。懐かしい顔、だけど、昔とは感じが変わっている。抱きしめられたときの身体の厚みが、腕も胸も増している気がした。
「ねぇ……身体……大きくなったんじゃない?」
「そうかもね、思ったより身体を使うことが多かったから」
「声も……変わった」
「ほんと? 自分ではそれはわからないな」
そういって微笑む顔はやっぱりヴィオだった。でも声は昔の記憶とは違う。もっと落ち着いて、深くて、安定感があるような声になっている気がする。
「アリアだって……髪、切ったの?」
「魔物との戦闘で負傷したから……左肩をやられて。ヴィオがくれた蒼柱石のおかげで意識を取り戻せて……なんとか助かったの」
「……大変だったんだね」
そう言ってから私の手を取って、「いつもの」長椅子へと座りにいく。ずっと一人だった場所が二人になって凄く嬉しい。
「良かった……無事で」
「アリアもね」
何から喋っていいのかもう、全然わからなかった。聞きたいことも話したいこともたくさんだ。しばらくお互い黙っていたけど、ヴィオの方から口を開く。
「……俺もね、アリアに助けられたんだ」
そう言って手首に巻いている革紐を撫でる。
「修行が思っていたよりずっと大変で。何度もくじけそうになって。やめようかなって思うぐらいでさ」
ヴィオがそんなことを思うぐらいの厳しい修行だったんだ。
「でもこの紐に触れるとね、アリアの声がする。『負けるの?』って。そんなことを言われたら、立ち向かうしかないよね」
いつもの見慣れた笑顔でヴィオは言った。
「……助けになったのなら、よかった」
「うん、ありがとう」
ふぅ、とヴィオは息を吐いた。そして私の顔を見る。凄く久しぶりだからなんだか恥ずかしい。
「一応教官たちにも挨拶しておこうと思って。だから今からちょっと行ってくるね。そのあと食事にでもいこう」
「わかった」
なんてことのないやりとりが戻ってきて、素直に嬉しかった。そんなことに浸っているとヴィオがふっと視線を外して、もう一言付け足した。
「……時間が少し早ければ、お店を見に行ってもいいね」
「そう、ね? って何かすぐに見たいものでも?」
「『新しいもの』を君に贈らなきゃ」
「……っ!!」
私はすっかり忘れていた。ヴィオが帰ってきさえすればそれで満足だったから。だからその後のことは全く頭から抜け落ちていた。照れくさそうにする彼を見てその『忘れて』いたことを思い出した。『新しいもの』、それはお互いの幸せと希望を願って交換する結婚の贈り物。ヴィオは約束をちゃんと覚えていてくれていた。
苦笑しながらヴィオは私の手を取る。優しい温もりが伝わってくる。
「もしかして……忘れてたの?」
「ちっ……違うわよっ!! だって無事に帰ってきてくれたことが嬉しくてそれで……っ」
意地悪なヴィオの眼差しが懐かしくて、恥ずかしい。
「私が言い出したことだし……忘れるわけないじゃないの」
「良かった! ま、俺も帰ったばっかりだし、落ち着いてからにはなると思うけどね。でも折角だから参考程度に見に行くぐらいはいいんじゃない?」
結婚記念品をね、
とヴィオは楽しそうに言った。完全に私がそのことを忘れていたことを悟っている様子で、悔しい。でも、このやりとりが愛しくて、嬉しかった。
ヴィオリーノがアークボローに帰ってきた。
私の中で止まっていた、ヴィオリーノとの時間が再び動き始める。
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