第6話 風の国・ゼータ(1)



 【七耀の星】のひとり、聖者ユノーグの生国である西国ゼータは、特殊な地形のせいか、年中西風が吹いている別名『風の国』だ。


 神聖皇国の聖騎士である聖者ユノーグと聖女グレイスは、厳しい神殿生活を知る者同士として、ときに愚痴をこぼし合い、ときに公然と上層部の文句を吐露し合う間柄で、現在も良好な友人関係を築いている。


 魔神アバドーサ討伐作戦の完遂とともに、神聖皇国からおさらばしたグレイスとはちがい、現聖皇のお気に入りである1歳上の彼は、いまだに神聖皇国に留め置かれるという、貧乏くじを引いたひとりである。


 心地よい西風が吹くなか。


 西国の国境にある町。『フェロン』の入国検問所についたグレイスは、〖特別法政区・神聖皇国〗の高位聖職者である証、『聖なるメダイ』を提示した。


 初代聖皇の横顔が彫られたこれメダイさえあれば、面倒な入国証の記入を免除され、余計な詮索を受けることなく、入国は許可される。


「ようこそ、風の国へ。神聖協会へ御用ですか?」


「ええ、そうです。定期訪問です」


「ゼータに聖なる御加護をお与えください」


「すべては御心のままに」


 こんな具合だ。


 入国を果たしたグレイスがその足で向かったのは、神聖皇国の支部がある神聖協会とは真逆。海沿いにある市場マーケットだ。


「えーと、ユノーグがいっていた屋台は……あ、あれか!」


 巨大な風車かざぐるまが目印の屋台には、昼前だというのにすでに行列ができていた。


 グレイスも、さっそくならぶ。


 列にならんで待つ間、西風にのって漂ってくるのは、屋台の巨釜で煮ている魚介スープの香りだ。列がすすむにつれ、匂いはどんどん濃厚になっていく。


 ユノーグ曰く、見た目はかなりグロテスクな深海魚だが、一度食べたら病みつきになる、絶品の怪魚スープらしい。


 ブツ切りにされた魚身のスープを受取ったグレイスは、近くの階段に腰かけ、さっそくひとくち。


 果たして、そのお味は――最高。


『深海魚のグツグツ煮を食べないで死ぬなんて、人生大損だ』


 ユノーグの言葉は一言一句、間違っていなかった。


 その後、激うまスープをおかわりしたグレイスは、近くの酒屋で酒を買い、市場マーケットで目についた菓子を買って、山側にある『ゼータ神聖協会』に赴いた。


 神聖協会とは、世界各地にある神聖皇国の支配下組織であり、皇国より派遣された司祭が長となって、地域の祝祭行事や奉仕活動、神聖力の測定や寄付金集めに従事している。いわば、神聖皇国の地方支部という位置づけだ。


 過去に、聖女一行として各地を巡礼していたグレイスは、これまで2度『ゼータ神聖協会』を訪れていた。今回で3度目となる協会は、相も変わらず独創的な佇まいをしている。


 敷地をぐるりと取り囲む塀には、色彩豊かな壁画が一面に描かれているのだが、統一感はまるでなく、風刺画的なものから先進的な構図の紋様。ともすれば暗号をモチーフにした図像まである。


 また、人の出入りは基本自由で、ユノーグの話では、入口の門扉が閉じられることはなく、食料庫や金庫室の扉なども年中開けっ放し。鍵束は数年前から、行方不明になっているそうだ。


 そんな開放感あふれる協会の長は、聖騎士ユノーグの師匠であり、神聖皇国時代には大司祭の地位までのぼりつめながら、歯に衣着せぬ発言で異端児扱いされているヨハネス・カイマンだ。


 酒瓶と菓子袋を抱えて門扉から入ってきたグレイスを目ざとく見つけるなり、


「あれ?! ちょっと待て、もしかして光陰の――」


 大声で走りよってきた。


「うわっ! まさかと思ったけど、まさかまさかの本物かっ!?」


「お久しぶりです、カイマン司祭」


「なんの先ぶれもなく、いったいどうした? アンタならもちろん大歓迎なんだが、ユノーグは知っているのか?」


「じつはお忍びなんです。ユノーグも知りません。あっ、これどうぞ~」


「おっ、いい酒持ってきたなあ~」


 差し出された酒瓶に目を輝かせたカイマンは、「とりあえず、中に入れ」と笑顔でグレイスを協会へと招き入れた。すぐさま、グラスを2つ持ってくるなり、昼間っから酒を注ぎはじめる。


「それで、何があったんだ? いいからいってみろ。この酒に誓って口外はしない! 俺は聖皇に忠誠は誓わないが、酒神のことは心の底から崇めている。だから、信じろ!」


 独創性豊かな協会の長は、信仰心もまた独特だった。


 酒神を崇拝する司祭は、婚約破棄にまつわる経緯をグレイスから聞くと、


「ありえねえ、クソ王子だな。ソイツを魔物の餌にしてやりてえ」


 およそ聖職者とは思えない口調で毒づいた。


「クソったれが」と酒は急ピッチで減り、グレイスが持参した酒瓶はあっという間に底がみえてきた。


「それで、その、レブロン国王陛下は了承済みなのですが、対外的な公式発表は、もう少しあとになりそうなので……」


「他言無用ってことだろ。わかってるさ、酒に酔ってもいわねえよ」


「ありがとうございます」


 口は悪いが、話しのわかる司祭様でたすかる。


「それで、これからどうするんだ? 旅をつづけるのか?」


「はい、せっかくの機会ですから、このまま大陸を一周してもいいですし、それか……アルザンから暗黒島ディストピアに渡って、久しぶりに島の様子を見ておくのもいいかと」


暗黒島ディストピアに? ひとりでか?」


 カイマンの顔が曇った。


「光陰の聖女様なら心配いらねえと思うが、やっぱりユノーグあたりを連れていったらどうだ?」


「でも、ユノーグは聖皇様の護衛担当になったそうですからね」


 しばらくは、聖皇がそばから離さないだろう。


「それじゃあ、ルイーザ大魔女様はどうだ? アンタが誘ったら、すぐにほうきにまたがって、爆速で飛んでくるぞ」


 それこそダメだ。


「ルイーザはつい先日、魔法連邦長官に就任しました。いま彼女が連邦から消えたら、それこそ大騒動ですよ。箒にまたがった魔法捜査官たちが大陸中の空を飛びかって、追跡魔法が張り巡らされます」


「たしかに。それじゃあ……そうだ、ライアン! 勇者様なら――」


 つづいて勇者ライアンの名前をあげたカイマンだったが、「あっ、ダメか……」浮かない顔つきになる。


「いまジリオンは、大変だろうからな」


「何かあったんですか?」


「じつはな……」


 空になった酒瓶を逆さに振りつつ、カイマンは声をひそめた。



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