第33話 心身の限界

 絶体絶命の状況で、パソコン室に飛び込んできたのは市川だった。


「市川!?」

「今助けるッス!」


 市川は走り込んできた勢いのまま、長峯の背中へ、心臓の辺りを狙って槍を突き刺した。


「ナイスだ!」


 長峯がひるんだ隙をつき、旗野は拘束から逃れた。

 床に転がった長剣を拾い上げて、素早く長峯の右目へ突き刺す。


「ぅゥぅうウア!?」


 長峯は電極を振り回し、じたばたと暴れた。

 旗野に突き刺された左目が完治していない長峯は今や、ほとんど盲目だった。


「今だ、出るぞ!」


 旗野の合図で、夜島は芥を支えながら部屋を出た。

 市川もそれに続く。

 旗野は長峯の治癒を少しでも遅らせるため、火炎瓶を投げつけてからパソコン室を後にした。


***


「はぁ、はぁ……何とか戻ってこれたな」


 家庭科室に帰還した四人は、大至急バリケードを組みなおすと床にへたり込んだ。

 夜島は祈るような眼差しで芥の顔を見つめている。


「アクヤ。アクヤしっかりして? お願い」

「ヤ、ヤミコ……」


 芥の意識は朦朧としていた。

 その原因は恐らく、心が”もう一人の芥”に蝕まれている事だけではない。

 疲労、ストレス、栄養不足。

 あらゆるダメージの蓄積が彼を苦しめていた。


 旗野はヒビの入った眼鏡を拭きながら、隅の方でうずくまって泣いている市川に近寄った。


「市川。その脚、見せてみろ」

「はいッス……」


 市川の左腿にはボールペン大のトゲが刺さっており、そこから血が流れている。

 それも垂直に刺さっているわけではないのと、怪我をしてから動き回ったことによって傷口はかなり広がっていた。


「このトゲはモンスターの……そうか、とりあえず抜いて消毒しないとな。痛いけど我慢しろよ」

「んぅッ……ぐッ」


 旗野はトゲを慎重に抜くと、消毒用のアルコールを含ませた布を当て、その上から端材で作った包帯を強めに巻いた。


 本当にトゲを抜いて良いのだろうか。

 トゲに毒は無かっただろうか。

 止血方法は包帯で合っているのだろうか。


 そういうことを考えるだけの気力が、今の旗野には無かった。

 市川は雨と涙でぐしゃぐしゃになった顔をさらに歪ませて、アルコールの染みる痛みに耐えた。


「よく頑張ったな、市川」


 旗野は疲れていたが、できるだけ笑顔を作りながら市川の頭を撫でた。


「ひぐっ、旗野部長ぉ……えぐっ、ズーッ……旗野部長ぉ」

「お前は頑張ったよ。生きてて良かった」

「で、でも……壷内が……壷内がぁ」


 市川と一緒のはずの壷内がいない。

 その事には旗野も夜島も気付いていたが、敢えて聞かないでいた。


「市川、無理に喋るな。今は身体を乾かして、少し落ち着こう」

「はいッス……ズーッ」


 市川は旗野と夜島に支えられながら移動し、即席の布団に横になった。

 夜島は尋ねた。


「ところで旗野さん。アクヤはどうするの?」

「……どうするか」


 本当はいつかのようにしっかり拘束して隔離するのが良いのだが、それをする体力が今の旗野には無い。

 とりあえず手足を布で軽く縛り、家庭科室に隣接した更衣室に寝かせておくことにした。

 更衣室と言っても、クローゼットも兼ねている大きめの更衣室である。

 芥一人を寝かせておくのには十分すぎる広さだ。


「みんな疲れてるだろうし、とりあえず一旦横になろう」


 食事を取る元気も無い。

 芥以外の三人は、とりあえず休むことに決めた。


***


「……ッ……ズッ」


 深夜0時頃。

 旗野は、鼻をすする音で目を覚ました。


「市川?」

「旗野……部長ぉ……ズーッ」

「ずっと泣いてたのか」


 旗野は眼鏡をかけて起き上がり、市川の寝ている傍まで行くとあぐらをかいて座った。


「そうだよな……。壷内の事は残念だった。良いヤツだった」

「ッス……」


 壷内がどうやって死んだのかなど、詳しく聞ける状況では無い。

 が、どうやら市川が責任を感じているらしい事だけは察した。


「あのな……俺にも責任があると思うんだ」


 旗野は細い目をさらに細め、うつむいた。

 市川は黙って不規則な呼吸を漏らしている。


「壷内はあの時、危険地帯に出る事には反対だったんだ。俺がもっと計画的に……いや、むしろもっと早く探索を開始していればあるいは……」

「……」

「って、すまん。こんな事、今言っても仕方ないよな」

「……」

「市川?」


 旗野は市川の異変に気付いた。

 そういえばさっきから妙な臭いがする。

 旗野は断りなしに、勢いよく市川の布団をめくった。


「市川、お前これ……!」


 薄暗い部屋でも分かる。

 市川の布団は一面、赤黒い液体で染まっていた。

 それは一目で致死量と分かるほど、おびただしい量の血液だった。

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