死にたいときに見る鏡

ラケット

第1章 崩れ去る日常

第1話 俺の目の前で死ぬな

「死ぬって言ったくせに。すーぐ戻ってきてんじゃん」


 カーテンを閉め切った暗い部屋。

 スマホに表示されているのは、SNSのタイムライン。


『あれあれ?(^▽^)アカウント消して死ぬんじゃなかったんですか?wwww』


 あくたの趣味はこうやって、ネット上で人を煽る事。

 と言っても、無差別に見境なく煽ってる訳ではない。

 彼の煽り対象は、所謂”メンヘラ”に限定される。

 でも本当に鬱の人を虐めたい訳ではなくて。

 彼が相手にするのは、”メンヘラ気取り”でただの”かまちょ”なやつらだけだ。


 今メッセージを送った相手も、典型的なメンヘラ気取り。

 『アカウント消します。さようなら。もうこの世に思い残すことはありません』と投稿してから三日、すぐに復活した。よくある事だ。


『やっぱり生きることにしました!これからも絡んでね♪』


 典型的な引退詐欺。

 こういう手法でフォロワーの気を引きたいやつらを見ると虫唾が走る。


 死ぬ度胸が無いのなら冗談でもほざくなよ。

 その言葉は、注目を浴びるための道具じゃねえ。


 心でそう毒突きながら、彼は画面を見つめ淡々と文字を打つ。


「ブロックされた……ははっ」


 また次のメンヘラ気取りターゲットを探そうと、検索欄に『リスカ』と入れてみる。

 大量に表示されたのは、リストカットと銘打った”かすり傷”の写真。


 『また切っちゃった』じゃねえよ。

 風呂や洗面台で撮れば良いと思ってるんだろ。

 濡れて滲んだ血が広がって、痛々しく映るもんなぁ?

 大して深く切る度胸も無いくせに。


 そもそも自傷行為とは、死ぬために行うのではないというのが芥の持論だ。

 流れ出る鮮血を見て、自分は赦されたと確信するために切る。

 つまりは、生きるために切る。

 そう信じて生きて来た彼にとって、『死にたい』と自傷行為は両立しない。

 特に最近の中高生は、自傷がかっこいいと思っている節さえあるので本当に不愉快である。


「あ……?」


 ふと、スクロールする指が止まる。


 あるアカウントを見つけた。

 鼻から下の自撮。それから、閉じた片目だけのアップ。

 妙に既視感を覚えた。

 アカウント名は『ジマミ』。


 『ほんとに死のうかな。もうどうでもいい』等と、ありきたりな投稿をしている。

 ターゲットを定めた芥の指が走る。


『それいっつも言ってますよねーww死ぬ死ぬ詐欺乙wwww本当はいつ死ぬんですか?w』


 短いながら濃密な煽りを込めた、嫌味なメッセージ。

 ブロックこそされなかったものの、ジマミから返信は来なかった。


***


 次の日。


 何事もなく午前の授業を終え、昼休みになった。

 芥は屋上で一人、購買で買ったクリームパンをかじる。


 この屋上はとても良い場所だ。

 晴れの日は景色が良くて風が気持ちいいし、昇降口に大きめの屋根があるので雨の日も困らない。

 そして何より、立ち入り禁止の昇降口には鍵がかかっており、誰も入って来ないのだ。


 “誰も入って来ない”と言っても、芥だけは特別。

 小学生の頃ピッキングにハマって練習したおかげで、古い鍵ならワイヤー1本で開けられるようになった。

 この校舎はかなり古いので、恐らく校舎中の全ての鍵を開けられるだろう。


 ギィー。


「──ッ!?」


 ドアの開く音がした。

 芥は驚き、昇降口の壁の影に滑り込む。


(しまった……)


 鍵を閉めるのを忘れていた。


(教師だったらヤバいな……ちょっと見てみるか)


 そこにいたのは、同じクラスの女子、夜島美咲子やじまみさこ

 教師でなかった事にひとまず胸を撫でおろす。


「……ここでいっか」


 彼女が小さく呟くのが聞こえた。

 

(何だ? まさかアイツもここで昼食を……? クソ。せっかく一人になれる、俺だけの場所なのに)


 静かに見守っていると、夜島やじまはスマホを取り出した。

 そしてそれを数秒間操作し、すぐにポケットにしまった。

 と同時に、芥のスマホが振動した。


 嫌な予感がする。

 急いでスマホを取り出し、SNSを開いた。


「これ……」


 ジマミからの返信だ。


『今日です。おかげで決心がつきました。ありがとう。』


 『今日です』とは、昨日送った『本当はいつ死ぬんですか?w』に対する答えだろう。


 ふと、ジマミの投稿欄にある画像に視線が吸い寄せられる。

 手首の傷跡を映した写真。

 その隅に、わずかだが服の袖が写り込んでいる。

 芥はそれを、自分が着ている制服の袖と見比べた。


──同じだ。


 彼はスマホをポケットに突っ込みながら、壁の後ろから飛び出した。


夜島やじまさん!」

「えっ」


 彼女は既に、フェンスの向こう側に立っていた。

 足場は20㎝ほどしかなく、彼女はフェンスにつかまって辛うじてバランスを取っている状態。

 手を離せばすぐに落ちてしまうだろう。


夜島やじまさん。やっぱりジマミって……」

あくた君、だっけ? どうして」


(名前、知ってくれてたんだ。いやそんな事は今はどうでもいい)


「あ、あのさ、一回こっち来て。ちょっと話そうよ」

「え、いや……え?」


 本来なら彼は、クラスの女子が飛び降りようとしてる現場に居合わせた事を焦るべきだろう。

 しかし今は、別の理由で冷や汗をかいている。


 とにかく自殺をやめさせないとまずい。

 自分のメッセージがきっかけで死なれるだけでも相当寝覚めが悪いのに、目の前で飛び降りなんてされた日には最悪だ。

 これからの人生、どんな気持ちで生きていけば良いというのか。


 この状況になって彼はようやく理解した。

 ネット上には、軽はずみに『死にたい』等とほざくやつらがたくさんいる。

 しかし、それをバカにして煽っていた自分こそ軽はずみだった。

 あまりに軽率で、幼稚だった。


 そんな事を考えながら彼女の方へ歩み寄る。

 その時。


 ガコンッ!


 大きな音がした。

 この校舎は古い。

 長年の雨風に打たれ老朽化したフェンスは、彼女の体重を支え切れなかった。

 フェンスは折れ、彼女の身体が落ちていくのがスローモーションのように止まって見える。


──嘘だろ。

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