第33話 清吉「逃げるのか。母さん」
夜も深まり、人々が移動し始めた頃。
「楽しかったね~!」
蓉子さんが感想を漏らすと、桃華ちゃんが。
「蓉子殿、夏祭りはまだまだ続くのである!」
両手を腰に当ててふんぞり返る。
蓉子ちゃんはというと目を輝かせて。
「花火だね! いつも河川敷は人でいっぱいだし、舟遊びできるほど金持ちじゃないから無縁だったけど……」
桃華ちゃんがふっふっふと笑い。
「葛城屋でおさえてる場所があるのである!」
と宣言した。
蓉子ちゃんは口笛を吹いて桃華ちゃんの頭を抱きしめ。
「やったー! 持つべきものは大店のお嬢様な友達!」
と欲望丸出しの正直な思いを叫んだ。
「蓉子殿は裏表がなくて素直であるな」
「そこがあたしの長所だから~。嫌われる場合も多々あるけどね~!」
八方美人にならず自分には自分の長所があり、それを伸ばし活かすべきだという心得。
素晴らしいわ。
全人類に好かれるなんて無理なんだから、嫌われるたびに原因をつぶしていったら最終的に「私の個性って何?」ってなっちゃうものね。
「草子、なにぼぉっとしているのであるか」
「行くわよ。草子ちゃん」
またしても両側から手を握られヒヤッとしたが、今回は蓉子さんが場所を知らないので走らず歩いていくようだ。
よかった。
この状態で駆け足は転ぶもんね。
さっきは奇跡的に無事だったけど。
なんて考えるうちに葛城屋がおさえている場所へ着いた。
「お母さま!」
花火が始まる前からゴザの上に座り、飲んで歌いと大賑わいの男性陣とは少し離れた場所で涼んでいた奥方様が歩んでくる。
桃華ちゃんも私の手を放して駆け寄った。
「桃華、きちんと桜井さまと蓉子さんを連れてこられたのですね。よくできました」
「このくらいのお使いはできて当然です。あなどらないでいただきたいですね」
生意気な発言だが、奥方様に頭をなでられてうれしそうだ。
「ここはお酒臭いでしょう。あそこの……衝立で仕切ってある部分から見物すると良いですよ」
「わざわざありがとうございます! 草子、蓉子殿、特別席であるぞ」
私はつながったままの蓉子さんの手をぎゅっと握った。
「草子ちゃん?」
不思議そうな蓉子さんに笑顔を向けて、小走りに特別席へ向かう桃華ちゃんの後へ続く。
そしてそこには……。
「蓉子?!」
「お義母さま! それに清吉さんも……なぜ?」
どうやら成功したようだ。
そう、これは私と清吉さん、それに桃華ちゃんをはじめとした葛城屋の人々が仕組んだ「仲直り作戦」なのである。
蓉子さんとお姑さんに「話し合おう」と正面から頼んでも拒否される。
ならばドッキリを仕掛けましょうというわけだ。
「大店から花火見物の招待を受けたから行かないかだなんて、変だと思ってたんだ。私は帰らせてもらうよ」
お姑さんが踵を返そうとしたとき。
「逃げるのか。母さん」
清吉さんが挑発的な発言で引き留める。
「逃げる? 聞き捨てならないね。用がないだけだよ」
「疑わしいな。逃げるつもりがないなら、蓉子の方を向いて見せろ。きちんと視線も合わせるんだ」
お前の命令など聞く必要がない、と反論することもできただろうが、お姑さんはゆっくりと蓉子さんに向き直る。
「久しぶりだね。蓉子」
「ええ。ご無沙汰しております。お義母さま」
二人の声はかたく、あいさつの所作もぎこちなかった。
沈黙が流れる。
数秒か数十秒といったわずかな間だったが空気は信じられないほど重かった。
呼吸すらためらう無音の膜を最初に破ったのは蓉子さんだった。
「お義母さま、あたしずっと月のものの周期が不安定で、来ても三日もたたずに終わってしまって……でも、草子ちゃんが『大黄牡丹皮湯』っていうお薬を調合してくれてから体調がよくなった気がして……」
話の順序や言葉の選び方に自信がないのか途切れ途切れだが、一生懸命に伝えようとしている蓉子さんに心の中で『頑張って』とエールを送る。
「この間、月のものがきて……そのときは普通の女の人と同じくらいの日数だったんです……だから、このまま草子ちゃんの『大黄牡丹皮湯』を飲み続ければ、もしかしたら子供を生める身体になるかも……」
よし、ちゃんと言えた。私が内心で安堵したとき。
「『もしかしたら』なんて余計たちが悪いよ……」
氷水のように冷たい声だった。
せっかく希望が生まれてきた蓉子さんになんという仕打ちと腹を立てかけたけれど……。
「期待しちまうじゃないかい。期待しちまうのが嫌だからウマズメだの離縁しろだの罵っちまってたのに。あんたと清吉の血を継いだ孫を……どれだけ二人の子を望んでいたと……」
涙声だった。
そうだ、この間もどちらが悪いわけでもなく、きちんと大切な存在だと思い合っているのだと、だからこその悲劇なのだと知ったばかりではないかと私は己を責めた。
「ごめっ……すみません。あたしの身体が不良品だから……」
蓉子さんが泣きながらそう告げると。
「不良品なんて言うんじゃないよ! 謝る必要もない。散々ウマズメだと罵ったけれど、あんたが悪くないことなんてわかってるんだから……たちが悪いのは私もだね。申し訳ない」
お姑さんが頭を下げると、蓉子さんはザァッと血の気を引かせてふらついた。
私は隣にいたので肩を支える。
「お義母さんが謝罪を……えっ……もうあたしには関心がない? あたし、見捨てられちゃったの?」
私の脳内に大きなクエスチョンマークが浮かぶ。
蓉子さんはお姑さんに罵られるのをとても恐れていた。
それが解消されるのにどうして今度は『見捨てられる』なんて心配をしているの?
私と同様の疑問を持ったのだろう。
清吉さんが怪訝そうにしている。
すると蓉子さんは続けた。
「嫌われるのもツラいけど、無関心になられるのはもっと精神的にえぐられる。まだ新米のお針子だったあたしに指導してくれた思い出とかがお義母さまの中から消えて、あたししか覚えてないとか想像すると……」
蓉子さんは自分で自分を抱きしめるように腕を回してブルッと震える。
どうやら感情が絡み合って「考えすぎ」な状態になり複雑な思考になってしまっているようだ。
だが、お姑さんはあきれるように長く息をついたあと。
「馬鹿だね。あんたは。昔から変わらない。大馬鹿者だよ」
蓉子さんが涙声で「ご、ごめっ……」と謝りかけるが、清吉さんが口をはさんだ。
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