第9話 菖蒲兄さま「まずい」
ゲンノショウコとは、消化器系の弱い人に効果のある伝統的な生薬だと私は習った。
特に下痢で苦しんでいる人に有効……なはず。
私の覚え間違いでなければ。
いまさらながらに『大丈夫かなぁ』と不安を募らせつつ、煎じて薬草茶にしたゲンノショウコを運んでいる最中だ。
湯呑が染付の高そうな逸品で、落としたら目が飛び出るほどの弁償額になりそうだという点も、緊張に拍車をかける。
慣れている人、例えば長く勤務している女中さんなどに持って行ってもらうという案もよぎったが、薬草茶だけではおそらく根本的な治療にはならない。
なので、きちんと会って診察をする必要がある。
初対面でのきつい対応を鑑みるに、何回か顔を合わせ信頼関係を築かないと診させてもらえない。
薬草茶を届ける今回の任務は、簡単なようでいて重要度は高いのだ。
だからこそ強力な助っ人にも一歩後ろについてきてもらっている。
なので大丈夫なはずだ。
たぶん。
そうこうするうちに菖蒲くんの部屋の前に着いた。
すーはー、と深呼吸してから声をかける。
「こんにちは。二度目の訪問になります。桜井草子です。薬草茶を持ってきました。入ってもいいですか?」
「駄目に決まってるのだぞ」
無言だとまた強引に襖を開けられると予測しているのか、今回は返事があった。
「何故駄目なんですか?」
「得体のしれない人間に身体を診られたくないからだぞ」
やはりな、と私は納得したのだが、ともに来ていた強力な助っ人が。
「良く見知っている人間なら入ってもいいということですね」
そう告げて豪快に襖をスパンッと開けた。
相変わらず薄暗い室内で、布団の隙間からこちらを確認していた菖蒲くんが「は、母上っ!」とひるんだ声を出す。
そう、助っ人は奥方様だ。
桃華ちゃんは襖を開けただけだったが、奥方様はスタスタと歩み寄り、彼のシェルターであろう布団まで見事にひっぺがした。
「寝てないできちんとお座りなさい。さぁ、桜井さま、こちらへ」
私は指示に従い部屋に足を踏み入れる。
「菖蒲、桜井さまがあなたのために煎じてくれた薬草茶です。ありがたく受け取りなさい。飲まなかったり、捨てたりしたら家を追い出すのでそのつもりで」
声の響きからして本気だろう。
菖蒲君が頬をひきつらせる。
私が「どうぞ」と促すと湯呑を受け取った。
菖蒲くんは数秒ためらったが、決意を込めた表情で口をつけ、ぬるくなっていることに気付いてひといきに飲み下した。
「まずい」
菖蒲くんの台詞に『まるで昔の青汁のコマーシャルみたいだな』と感想を抱く。
「菖蒲、せっかく桜井さまがいらっしゃって下さったのです。診察を……」
「ああっ! 母上、一気に薬草茶を飲んだ効果かすさまじい眠気が襲ってまいりました。おやすみなさい」
菖蒲くんはひっぺがされた布団をかぶりなおしてヤドカリ状態になった。
カメでもいいかも。
また布団を引っぺがそうと奥方様が手を伸ばすが、私が押しとどめた。
ひそひそ声で「焦りは禁物です」と耳打ちする。
彼のためを想えば追い詰めるべきではないと悟ったか奥方様は引き下がった。
二人そろって菖蒲くんの部屋を出て、どちらともなく桃華ちゃんのもとに向かう。
薬草茶を飲んでくれたのは良かったが、診察はできなかった。
さて、桃華ちゃんは喜ぶかなガッカリするかな、どちらだろう。
年の離れた友の反応がすこぶる怖い二十五歳……けっこう情けないかもしれない。
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