第7話 菖蒲兄さま「入室の許可は出していないのだぞ」
桃華ちゃんに引っ張られるままに屋敷の奥に進み、とある襖の前で立ち止まった。
桃華ちゃんが深呼吸し、ごくりと生唾を飲み込んでから声をかける。
「
どうやら三番目のお兄さまは「菖蒲」という名前らしい。
桃華ちゃんと私は返事を待ったが無言が続く。
中に誰もいないわけではないだろう。
気配がする。
ということは、無視されているのだ。
歓迎されていない。
私がどうしたものかと困惑していると、桃華ちゃんが。
「失礼します」
の声とともにスパンッと襖を開けた。
その大胆さに『え、いいの?』と内心慌てながら中を見ると、広いが薄暗い空間にぽつんと存在する布団がこんもり盛り上がっている。
「入室の許可は出していないのだぞ」
布団の中にいる「菖蒲お兄さま」のくぐもった声が届いてきた。
どうやら声変わり前のようだ。
いかにも不機嫌そうな響きだったが、桃華ちゃんは。
「入るなとも聞いておりません」
しれっとそう返すあたり心が強い。
さらに桃華ちゃんは奥の襖を引き開け、その向こうの雨戸もガタガタ言わせながら全開にした。
薄暗かった部屋に太陽光が差し込んでくる。
「やめるのだぞ。まぶしい。陽に当たるとますます疲れるような気がするんだぞ」
再び響いた菖蒲くんの声は弱弱しかった。
私はつい。
「確かに紫外線は浴びすぎると危険ですが、適度に陽に当たった方が健康にはいいですよ」
と口出ししてしまった。
こんもり膨らんだ布団がびくりと震える。
「君が『神徒』か。薬師だというから男だとばかり……まさか女だとは」
この「なんちゃって江戸時代」の薬師は男性が多いのかと、この世界の知識を一つ仕入れつつ自己紹介する。
「はじめまして。私の名前は桜井草子と申します。おっしゃられた通り、一応『神徒』というものみたいです」
菖蒲お兄さまは「一応?」と気に食わなそうに反芻し、ハッと嘲笑しながら。
「自分が何者かもわからない人間と会話する気はないのだぞ。帰りたまえ」
語気強く私を拒絶した。
これに慌てたのは桃華ちゃんだ。
「兄さま、わらわは手のひらに擦り傷を作ったのですが、草子の薬により一日で綺麗に治りました。痕も全くなくて、だから……」
「うるさい! 一人にしてほしいんだぞ。こうしているだけでも体力が削れていくんだ」
桃華ちゃんはどうにか説得しようと言葉を探しているのか唇を開いたり閉じたりしたけれど、やがてガックリと肩を落として私の手を引きながら退室した。
無言で悲しそうにとぼとぼと廊下を歩く桃華ちゃんに、なんとか元気が回復する糸口を見つけようと私は話しかける。
「三番目のお兄さまのお名前は『菖蒲』とおっしゃられるのね。素敵な名前」
つないでいる桃華ちゃんの手の指がぴくりと動いた。
「お母さまから聞いたところによると、菖蒲兄さまは生まれた時に身体が小さかったそうな。それゆえ、邪気を寄せ付けないように『菖蒲』と名付けたと……節句の日に菖蒲の葉で身体をたたくと邪気が祓えるとか、菖蒲湯とかあるじゃろ」
なるほど、と納得する命名の仕方だった。桃華ちゃんは続ける。
「けれど、名付けでは邪気は祓えなんだ。菖蒲お兄さまは現在十歳になられるのだが、相変わらず同じ年頃の男児より身体が小さく、ふさぎがちで、食事もろくに食べることができない。このままでは儚くなってしまうのではと、わらわは不安で……」
歩いていた足が止まった。
桃華ちゃんはうつむき、つないでいる私の手をぎゅっと握って震えだす。
桃華ちゃんの様子に私の胸も痛んでくる。
まだこんなに幼いのに、もう近しい人の死に怯える経験をしているなんて。
私は少しでも桃華ちゃんの心が慰められればと頭をなでながら。
「まずは、どこが悪いのか診察して確かめられるくらいまで『菖蒲お兄さま』と信頼関係を築かなきゃね」
と口にした。
私の発言に桃華ちゃんが勢いよく顔を上げる。
私は。
「今の状態だとどんな薬を調合すればいいのかすらわからないから、時間はかかるけど……その間このお屋敷に滞在していてもいいかな」
桃華ちゃんの表情がパァアッと明るくなってゆく。
「もちろん、もちろんである! お父さまもお母さまも否やはあるまいと断言できるのである!」
「では、今からご両親に許可を得に行かないとね」
「うむ!」
桃華ちゃんは私の手を今度は希望にあふれた強さで引き、ご両親のもとへ走り出した。
そんなに走っちゃまた奥方様に怒られてしまうよ、と苦笑しつつ桃華ちゃんの元気が戻ってよかったとホッとするのだった。
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