荒野の攻防戦
建築途中の防壁の前に作られた巨大な門の前には、黒山の人だかりが出来ていた。誰もが落ち着きなく、そわそわと自身の装備を何度もチェックし、これから始まるであろう戦いを前に手持ち無沙汰な時間を過ごしている。
レオナと土田も、その群衆の中にいた。彼らもまた、互いの間に流れる緊張を紛らわすかのように、すでにお互いの装備のチェックを、これで五度も繰り返していた。
その間にも、セーフゾーン全体にジャッジの事務的なアナウンスが響き渡る。
『各生徒はチームを一時解散し、迎撃部隊はセーフゾーン南防壁の門前に集合してください。クラフターは露店エリア中央の広場に……』
どこかから、「もう待ちきれない」「早く行かせてくれ」という、苛立ちの混じったひそひそ声が聞こえ始めた、その時だった。
門の上に作られた仮設足場に、一人の男が姿を現し、その場の全ての視線が、一点に集中した。
「待たせたな。陵南の高城だ。これより、迎撃部隊の指揮を執る」
その声は、不思議なほどよく通った。高城は、眼下に広がる数多の生徒たちを、まるで王が民を見下ろすかのように、ゆっくりと見渡す。
「今、この島で何が起ころうとしているか。大体の奴は理解しているだろう。知らなければ、隣の奴に聞け。大まかに言えば、このセーフゾーンが守れるかどうかは、お前たちの双肩にかかっている。作戦は一度しか言わん。よく聞け」
土田は、その尊大な態度に、顔をしかめて小さく舌打ちした。
「うへぇ、マジかよ。よりによって、高城が指揮官か」
「土田君は、去年、彼のチームにいたのよね? 彼は、どういう指揮を執るの? 私は、彼がただ強いということしか、知らなくて」
「あー、そうだな。分かりやすく言えば、『目的のためなら、犠牲を厭わない、冷徹な湊』って感じか? 湊は、最悪な作戦を思いついても、仲間を思って口には出さないタイプだろ。高城は、それを平気で実行する」
高城は、作戦会議で話した内容を、簡潔に、しかし、力強く告げる。
最初の戦場は、森と荒野の境目にある、丘陵地帯。そこに、魔獣の軍勢を誘い込み、迎撃部隊の総力をもって、その足を止める。そして、この防壁から敵の軍勢が見える距離まで後退したら、第二次防衛戦へと移行する、と。
集まった生徒たちは、黙ってその言葉を聞いている。
「いいか、お前たちの役目は、ただ一つ。セーフゾーンの防衛設備が完成するまで、一分一秒でも長く、敵の侵攻を遅らせることだ。リスポーンした者は、速攻で、後方支援部隊が用意している『土田式リスポーンセット』を受け取り、すぐに前線へ復帰しろ!」
「……は? 土田式って、なんだよ!? なんで、俺の名前が勝手に……」
「湊が、桃瀬さんに、後方支援の仕組み作りを頼んでいたのよ。きっと、桃瀬さんが、あなたが考案者だからって、そう名付けたんだわ」
レオナに、こっそりと耳打ちされ、土田の顔が少しだけ赤くなる。「じゃあ、まあ、仕方ないか……」と、彼は小さく呟いた。
高城は、集まった生徒たちの顔を、もう一度見渡し、そして、ゆっくりと息を吸い込むと、その口元に、不敵な笑みを浮かべた。
「時間稼ぎとは言ったが、もちろん、ただで死んでこい、と言うつもりはない。先ほどジャッジから確約を取った。この防衛戦は、緊急イベントとして、【魔物討伐ランキング】のポイントに、特別ボーナス付きで加算されるそうだ! 向こうから、大量のポイントが、列をなしてやってくる! これは、またとないチャンスだ! 敵の総大将、セイレーンをぶち殺し、ランキングの頂点に立つつもりで、戦え!」
その言葉に、それまで不安と恐怖に沈んでいた生徒たちの間から、どよめきの声が上がる。この状況下でランキング。その、あまりにも意外な「報酬」に、生徒たちの瞳にギラリとした欲望の光が宿り始めていた。
高城は、その空気の変化を満足げに見届けると足元に合図を送る。
今まで固く閉ざされていた門が、地響きを立てながら、ゆっくりと開いていった。
「行くぞお前ら! 俺たち、迎撃部隊の力を見せてやれ!」
そう言って、高城が取り巻きを連れて、門の外へと真っ先に駆けていく。
それを見た先頭の集団が、雄叫びを上げて駆け出すと、それは、瞬く間に、後続の集団へと伝播していく。
恐怖は、欲望に塗り替えられた。
レオナと土田もまた、その巨大な鬨の声に知らず知らずのうちに飲み込まれ、大声で叫びながら、荒野へと駆け出していた。
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迎撃に参加した生徒たちは、丘陵地帯まで、不気味なほど魔獣に遭遇することなく、無事に到達することができた。誰もが、安堵していた。魔獣の侵攻が、思っていたよりも遅く、十分に間に合ったのだ、と。
木々がうっそうと生い茂る森エリアを抜ければ、木立はまばらになり、一気に視界が開ける。
だが、彼らがそこで見た風景は、その淡い安堵を、根こそぎかき消すには、あまりにも十分すぎるものだった。
いつもなら、遠くに美しい地平線が見えるはずの丘陵地帯は、今まさに、その地平線の向こうからやってきた、黒い津波によって飲み込まれようとしていた。
魔獣。魔獣。魔獣。
蠢く甲殻、きらめく牙、ぬらつく粘液。おびただしい数の魔獣が、大地を黒く埋め尽くし、地響きを立てながら、こちらへ向かってきている。
その、あまりにも絶望的な光景を前に、先頭を走っていた生徒から、足が止まる。その硬直は、瞬く間に、後続へと伝播した。やがて、迎撃部隊の全員が、その場に立ち尽くしてしまった。
しかし、その凍り付いた人の波の中から、わずか数人だけが、前へと進み出る。
レオナと土田。そして、高城が率いる、陵南のチームだった。
「うへぇ……」
「想像の、十倍はいるわね……。土田君、サポート、できる?」
「……同じセリフ、そっくりそのまま返すぜ。やるしか、ねえだろ!」
レオナと土田は、互いに頷き合うと、その手に、湊が作ったばかりの、強度だけを重視した代替品の武器を構える。そして、二人だけが、あの黒い津波に向かって、突撃を開始した。
その背後で、高城が、動かない味方に向かって、怒声にも似た咆哮を上げた。
「クソがッ! 貴様ら、何で止まってやがる! 七橋! 後ろから、そいつらの髪の毛でも引っ掴んで、無理やり前に連れてこい!」
「了解!」
「……まともなのは、湊のチームの奴らだけか。俺たちも、遅れるなよ!」
七橋と呼ばれた一人が、チームを離れ、硬直する集団へとUターンしていく。
最初に、敵の戦列に到達したのは、土田だった。彼は、正面からぶつかるのではなく、まるで石切り遊びで投げられた石のように、軍団の側面を、高速で駆け抜ける。そして、すれ違いざまに、最後尾にいた魔獣の足を、ナイフで一閃。一体の注意を惹きつけ、そのまま、群れの一部を、本隊から引き剥がすように、誘導していく。
その、土田が作り出した、ほんのわずかな隙。
そこへ、レオナが、まるで黄金の砲弾のように、真正面から突っ込んだ。彼女の棍棒が、唸りを上げて、先頭の魔獣の頭蓋を粉砕する。それは、彼女が普段使う『聖獅子王の棍杖』とは違う、ただの、重く、硬い鉄の塊。だが、今の彼女には、それで十分だった。彼女は、その圧倒的な膂力で、次々と、魔獣の壁を、内側からこじ開けていく。
その、二人がこじ開けた突破口へ、高城が、二番槍として突入する。
彼の戦い方は、あまりにも苛烈だった。
その剛腕から繰り出される魔槍の一撃は、もはや、ただの突きや薙ぎ払いではない。一振りごとに、衝撃波が発生し、周囲の魔獣を、まとめて木っ端みじんに吹き飛ばしていく。
高城の破壊は、単独で行われているわけではない。
彼の背後と両側面には、残りのチームメンバーが、まるで鉄壁の陣形を組むように展開していた。大盾を構えた一人が、高城が打ち漏らした魔獣の突進を完璧に受け止め、動きを止め、その隙に大剣を構えたもう一人が、横薙ぎの一閃で複数の魔獣をまとめて胴薙ぎにする。
彼らは、高城という圧倒的な『矛』が開いた道を、確実に確保し、押し広げる『壁』としての役割を、完璧に果たしていた。その統率された動きは、他の生徒たちとは明らかに次元が違う。
レオナと土田が戦線を「こじ開けている」のに対し、高城のチームは、ただ、道を塞ぐ邪魔者を、効率的に「処理」していった。
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今演習最強の二人が最前線で獅子奮迅の活躍をしている光景を見ても、一度足が止まった迎撃部隊は地に根が生えたかなお用に動かなかった。その、膠着した空気を、力ずくでこじ開けたのは、高城のチームから離れ、Uターンして戻ってきた七橋だった。
彼は、硬直する迎撃部隊の一番前にいた生徒の襟首を、何の躊躇もなく掴み上げた。
「おい、てめえら! いつまで突っ立ってんだよ!」
その声は、高城のようなカリスマ性はないが、体育会系の、腹の底から絞り出すような、荒々しい迫力に満ちていた。
「前にいる奴らが、体張ってんのが見えねえのか!? ランキングのポイントが欲しいんだろ!? だったら、突っ込めよ、臆病者がァ!」
七橋は、そう叫ぶと、掴んだ生徒を、文字通り、魔獣の群れの中へと放り投げた。
悲鳴を上げて、魔獣の只中へと転がり込む生徒。その、あまりにも乱暴なやり方に、周囲の生徒たちが、ぎょっとした顔になる。だが、その躊躇は、一瞬で、別の感情に塗り替えられた。
「う、うおおおおおおっ!」
投げ込まれた生徒が、死に物狂いで剣を振るい、近くの魔獣に一太刀浴びせ倒す、そして次の魔獣を切り倒す、そして次、次、次、と続く。その光景が迎撃部隊の目に焼き付く。
七橋は、次々と、近くにいた生徒の背中を蹴り飛ばし、盾で突き飛ばし、無理やり前線へと押し出していく。
「行け! 行け! 行けぇッ! 突っ立ってるだけじゃ、ポイントは一銭も入らねえぞ!」
直接的で、野蛮な叱咤激励が、恐怖に固まっていた生徒たちの、最後のタガを外した。
そうだ。怖い。だが、それ以上に、ポイントが欲しい。手柄が、欲しい。
恐怖よりも、屈辱と、そして高城が植え付けた功名心が上回ったのか。一人の生徒が、「うおおおおっ!」と雄叫びを上げて、魔獣の群れへと突っ込んでいく。
その一人の勇気が、伝播した。
欲望が、恐怖を上回り、一人、また一人と、硬直から解けた生徒たちが、武器を構え、鬨の声を上げながら、黒い津波へと突撃していく。
迎撃部隊は、ついに、一つの巨大な波となって、魔獣の軍団へと殺到した。
剣が唸り、魔法が炸裂し、怒号と悲鳴が入り混じる。
もはや、統率された陣形など、どこにもない。もはや、戦場の流れは誰にも止められない。
前の生徒が邪魔なら飛び越えて敵陣の真っただ中へ行け、大物がいたら囲んで突き刺せ。誰に言われずとも各々がその場の最適解に合わせて事前と体が動いた。多少の傷はアドレナリンで吹き飛ばし、受けた傷の十倍の攻撃を加える。
レオナたちがこじ開けた小さな突破口は、後続の生徒たちがなだれ込んだことで、巨大な風穴へと変わった。
魔獣の咆哮、生徒たちの雄叫び、剣戟の音、そして、魔法の炸裂音。丘陵地帯は、あらゆる音が混じり合う、地獄のような大乱戦の舞台と化した。
その混沌の渦の中心で、レオナは、ただひたすらに棍棒を振るい続ける。一体の魔獣を殴り飛ばし、その反動を利用して、別の魔獣の顎を砕く。彼女の周りだけが、まるで台風の目のように、凄まじい速度で敵をなぎ倒していく。
そして、その彼女が作ったわずかな隙間を縫うように、土田が影となって駆ける。彼は、大乱戦の喧騒に紛れ、敵陣の奥深くへと潜り込み、後方で指揮を執っていた魔獣の首を、的確に、そして、静かに刈り取っていた。
第一次迎撃作戦の火蓋は、今、完全に切って落とされた。
それは、この魔災の運命を決める、長く、そして過酷な戦いの始まりだった。
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