寄り添い
意識がゆっくりと浮上すると、まず感じたのは鉛を詰め込まれたような頭の重さだった。寝不足の時特有の、あの嫌な感覚だ。
ぼんやりとした視界に映ったのは、見慣れた拠点の天井。どうやら俺は、自分のベッドに寝かされていたらしい。
まさか、あの作業は、全部夢だったんじゃないだろうな……
一瞬、そんな考えがよぎり、背筋が凍る。もう一度、あの極限の集中を要求される作業をやれと言われても、正直、できる自信がない。
俺は、ベッドから起き上がって、ある違和感に気づいた。汗でぐしょぐしょだったはずの服が、綺麗な予備のシャツに着替えさせられている。体のべたつきもない。
不審に思いながら、作業台のあるリビングへ向かうと、そこにはレオナがいた。
彼女は、ポーションの製作に苦戦しているようだった。魔力の加減を間違えたのか、台から黒い煙が上がり、失敗。また挑戦し、失敗。その何度目かの挑戦で、ようやく、ポン、と軽やかな成功音が響いた。
「……やった」
レオナは、完成したポーションを手に、小さな声を上げて喜んでいる。その視線が、ふと、出入り口に立つ俺を捉えた。
「おはよう」
「なっ! み、湊! い、いつからそこに……!?」
「数回、失敗しているところから、かな」
「そ、そう……。お、おはよう。起きたのね」
練習風景を見られたのが恥ずかしいのか、レオナは少し顔を赤らめる。そして、今しがた作ったばかりのポーションを、ぶっきらぼうにこちらへ投げてよこした。
「わ、私が作った回復ポーションよ。ありがたく飲みなさい。……あと、軽食も作ってあげるわ。何も食べてないでしょう?」
「マジか。……ありがとう。お言葉に甘えさせてもらう」
俺がしおらしく感謝の言葉を述べると、レオナは「なんか、調子が狂うわね……」と呟きながら、調理場の方へと移動する。その背中を見送りながら、俺はリビングとして使っている部屋の椅子に腰を下ろし、もらったばかりのポーションを呷った。味は、問題ない。効果も、しっかり出ている。徹夜明けの体に、その優しさが深く染み渡るようだった。
改めて拠点を見渡すが、桃瀬と土田の姿が見えない。二人はどこへ行ったのだろうか。
俺の疑問を読み取ったかのように、調理台に向かったままのレオナが背中越しに教えてくれた。
「桃瀬さんと土田君なら、朝早くから露店を開きに、セーフゾーンへ行ったわよ」
「そうか。……なんで、レオナは残ってるんだ? 魔獣狩りには行かないのか?」
「あら? 一人寂しく、この拠点に取り残されていた方が、よかったかしら?」
レオナが、フライパンを片手に、こちらを振り向いて、いたずらっぽく笑う。その仕草が、あまりにも可愛すぎて、俺はまともに彼女の顔が見れず、咄嗟に視線を逸らした。少し、顔が熱い。
「……お前がいなかったら、寂しすぎて、二度寝してたかもな」
「ふふっ。湊は、『夜蛇の
結局、一人寂しく拠点に残してるじゃないか。というツッコミが喉まで出かかったが、無粋な気がしてやめておいた。
それよりも、だ。鬼スズメバチ――成虫が人間の子供ほどの大きさにもなる、巨大な蜂の魔獣。大きさ以外は通常のスズメバチと変わらないが、その巨体ゆえに牛や豚といった大型動物すら捕食対象とする、畜産業界の天敵。もちろん人間も例外ではなく、極めて危険度の高い魔獣だ。
「……苦戦したか?」
「苦戦はしなかったけど、数が多かったから。桃瀬さんには、私と土田君へのバフと、範囲魔法での牽制に集中してもらって、私が桃瀬さんを護衛。そして、土田君を主体に、巣を切り崩していったわ。……あの武器、本当にすごいのね。『夜行の暗殺者』一式の効果も相まって、気配に敏感な鬼スズメバチが、土田君の存在に、一切気づかなかったの。だから、思いのほか、早く片が付いたわ。ちゃんと、女王蜂も倒せたし、結構なポイントになったんじゃないかしら」
誇らしげに語るレオナの話を聞きながら、もし自分がその場にいたらどう動いたかを想像する。
鬼スズメバチは素早く、大群で襲ってくる。中途半端な指揮は全滅に繋がるだろう。レオナが立てた作戦は、現状の最適解に近い。桃瀬が支援に徹し、レオナが護衛、土田が主力の斬り込み役。完璧な布陣だ。
翻って、俺にできることと言えば、せいぜいネットをクラフトして投げつけ、動きを一時的に封じるくらいか。いや、あの短剣の効果を最大限に活かすなら、俺がいない方がむしろ土田は戦いやすかったのかもしれない。
仲間の成長は嬉しい。だが同時に、ほんの少しだけ、自分が取り残されたような寂しさを感じてしまう。
そんな物思いにふけっていると、「はい、おまちどうさま」という声と共に、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
レオナが運んできてくれた皿の上には、完璧な半熟に焼かれたベーコンエッグが二つ、湯気を立てている。
手を合わせて、ありがたくいただく。
空っぽの胃に、そして疲弊しきった心に、その温かさと塩気がじんわりと染み渡っていくようだった。
「うまっ……。レオナ、料理できたんだな。すごくおいしい」
夢中でベーコンエッグを頬張る俺の言葉に、レオナは自分の皿にはまだ手を付けず、どこか安心したように「よかったわ」と柔らかく微笑んだ。その顔を見て、ようやく彼女も自分のフォークを手に取る。
二人分の咀嚼音だけが響く空間で、俺はふと思い出したように口を開いた。
「でも、俺がいなくても三人で鬼スズメバチを討伐できたのは大きな収穫だな。装備がアップグレードできた証拠でもあるし、みんなが強くなってるってことだ」
「まあ、そうね。……でも、私は湊がいた方がよかったわ」
フォークを置き、レオナがどこか含みのある言い方をする。その真意を測りかねて首をかしげると、彼女は少しだけ不満そうに唇を尖らせた。
「桃瀬さんって、きっと土田君のことが好きなのよね。行きも帰りも、ずーっと二人は楽しそうに話し込んでて。土田君は気を使って私にも話を振ってくれるんだけど……なんというか、二人の世界、っていうの? まるでデートの護衛をしてるみたいで、ちょっと居心地が悪かったわ」
「へえ、そうなのか」
俺は相槌を打ちながら、内心で土田のやつ、隅に置けないなと感心する。そういえば、桃瀬がチームに入った時も、俺の顔を見て少しがっかりしたような反応をしていた気がする。なるほど、最初から土田がお目当てだったというわけか。確かに思い返してみれば、去年も桃瀬は土田によく話しかけていた気がする。
合点がいった俺は、目の前のレオナに悪戯心が湧いてくるのを止められなかった。
「じゃあ、レオナは俺がいなくて寂しかった、と。そういうわけだ」
その軽口を放った瞬間、レオナの手がぴたりと止まった。
視線は皿の上のベーコンに突き刺さったまま、まるで時が止まったかのように固まってしまう。
まずい。これは完全に地雷だったかもしれない。
こういう時、女子は「バカじゃないの」とか「そうかもね」とか、何でもいいから瞬時に返してくれないと、言った側はとんでもなく焦るのだ。沈黙が気まずい空気を作り出し、俺の脳内では「今のなし!話題変更!緊急会議!」のランプが激しく点滅を始める。
よし、話題を変えよう。『そういえば桃瀬の占いって受けたことある?』これでどうだ!
「そう……」
「……正直言って、わからないわ」
「えっと?」
俺が必死に口を開こうとした瞬間、レオナがそれを遮るように、静かな声で言った。予想外の返答に、俺は間抜けな声しか出せない。
「湊が聞いてきたんでしょ。あなたが居なくて寂しかったのかどうか、よ」
「アッ、ハイ。ソウデス」
「それで、考えてみたの。四人で行動する時、私は自然と湊の隣を歩いていたわ。でもそれは、桃瀬さんが当然のように土田君の隣に行くから、空いた場所がそこだっただけだと思ってた」
「まあ、今の話を聞く限り、そうなるな」
「それに、私は日本に来てすぐにこのサバイバル演習でしょう? 前の国では隊列が優先だったから……チームで誰かと並んで歩く経験自体、ほとんどないの。だから、試しに他の男子……桜井君とか、演習中に会った他の生徒が隣にいるのを想像してみたんだけど、どうにもしっくりこないのよ」
「そうか。しっくりこない、のか」
返答に窮する。なんだこの流れは。俺はとんでもない話の引き金を引いてしまったのではないか。
「そう、しっくりこないの。だって、思い浮かべた人たち全員、どうすれば無傷で叩き伏せられるか、具体的に想像できちゃうから」
「……物騒すぎるだろ、おい」
「でも、湊だけはそのイメージがどうしても湧かない。……前にも言ったでしょう? 私は、自分を倒せる人のチームに入るって。あの時、私を仲間に引き入れるのは、きっと高城君みたいな実力者なんだろうなって思ってた。でも、自分から彼のチームに出向く気にもなれなくて、あそこで時間を潰していたら……湊が来たのよ」
レオナとの出会い頭の戦闘。あの些細な行き違いと、桃瀬の占いがなければ、今こうして二人で朝食を囲むことなど決してなかっただろう。
「あなたと本気で戦うなんて、それまで考えもしなかった。だからあの時、改めて考えたの。どうすれば、この人に勝てるんだろうって。でも、どうしてもわからなかった」
「まあ、自慢じゃないが、俺がレオナの前でまともに戦ったことなんて一度もないからな」
「本当に自慢にならないわね。でも、普通ならそれでも勝つイメージは湧くの。回避しきれない速度で攻撃すればいいだけだから。でも、湊にはそれが通用しないと思えた。『私、この人に負けるのかもしれない』って、生まれて初めて本気で感じたわ。……そして、実際に負けたしね」
「あれは判定勝ちみたいなもんだろ」
「それでもよ」
レオナはきっぱりと言い放つ。
「そういう問題じゃないの。私を倒せるかもしれない唯一の相手。そう認識してしまったら、もう……」
そこで彼女は言葉を切り、潤んだ瞳が左右に揺れる。必死に、自分の気持ちを表す言葉を探しているようだ。
そして、数秒の逡巡の末、か細い声で結論を紡いだ。
「……湊がいないと、寂しいのかも……しれない」
いや、なんでだよ!
どういう論理展開でそこにたどり着くんだよ!
『カップルに取り残されてイラっとした』という話から始まって、なぜか『他の男は叩き潰せる』という物騒な話に転がり、最終的に俺との戦闘を振り返って、なんで最初の問いの答えに戻ってこれるんだ!?
俺がどう返したものかと完全にフリーズしているのを尻目に、レオナは先ほどの告白がまるで嘘だったかのように、すっきりとした顔で再び朝食をもぐもぐと食べ始めた。その横顔は、なんだかとても晴れやかだ。
「だから、そういうわけ。湊がいないと、私は寂しいのよ」
念を押すように、しかしその声色はどこまでも自然で、俺はついに観念した。
「……そうか。わかった。できるだけ……うん、努力する」
その煮え切らない返事に、レオナは満足げに小さく頷く。俺の硬直はようやく解けたが、心臓はまだバクバクと落ち着かない。こいつめ、とんでもない爆弾を投下しおって。
食事を終えると、俺は気まずさを振り払うように二人の食器を重ねて立ち上がった。
「皿、洗ってくる。レオナはポーション作りを続けるんだろ?」
「ええ、そうするわ」
拠点近くの川でジャブジャブと食器を洗っていると、不意に無線機からノイズ混じりの声が響いた。桃瀬の声だ。
『こちら桃瀬! 聞こえる!? チームがうまくいかないって占いに来る人が、さっきから何人も来てるの! チーム編成が変わったからかもとか、武器を新調したからかもとか、理由は様々だけど……要は、みんな急に魔獣に苦戦し始めたって! これって、やっぱり魔獣襲来と関係あるのかしら? ……湊は起きてる?』
俺は無線機のボタンを押す。
「俺だ、起きてる。昨日の今日だから、疑心暗鬼になる気持ちもわかる。だが、それだけじゃ情報が曖昧すぎるな。新チームの連携不足なんてよくある話だ。一概に魔獣が強くなったとは断定できない」
すると、今度は土田の声が割り込んできた。
『こちら土田! そいつらのほとんどが湿地帯に行って気が付いたらやられたって言ってる! 俺がそれとなく桃瀬の占いに誘導しておいたから、多分間違いない!』
……こいつら、まさか。人がリスポーンして心身ともに弱っているところに付け込んで、占いやらお守りやらで魔石を巻き上げているんじゃないだろうな? そういえば以前、お守り的なアイテムをクラフトさせられた記憶がある。土田が考案した『リスポーン復帰セット』といい、この二人は商売の才能がありすぎる。色恋沙汰も含めて、実にお似合いのコンビじゃないか。
ともかく、情報の出所は『湿地帯』か。前回のケアパッケージイベントの主戦場となった場所だ。あそこは碌な資源もないうえに、足元がぬかるんでいて戦いにくいからイベントでもないと寄り付く理由がない。どんな地形だったか思い出そうとしても、どこも似たような沼と草原ばかりで、特筆すべき目印はなかったはず。……いや、一つだけ。小高い丘があり、俺たちはそこに簡易拠点を築いた。
思考を巡らせながら、洗い終えた食器を手に拠点へ戻る。作業台にいるはずのレオナの姿が見えない。あれ、と首をかしげると、戦闘準備を整えたレオナが奥から出てきた。その手には、『聖獅子王の棍杖』が握られている。
「……おい、何してるんだ?」
「何って、決まってるじゃない。みんなで行くんでしょ? 湿地帯へ。準備はできてるわよ」
「いやいや、一言も行くなんて言ってないぞ!? なんでわざわざ危険かもしれない場所に行かなきゃならないんだ。大勢がリスポーン送りになってるんだろうが!」
「でも、ほら……」
レオナが悪戯っぽく笑い、俺の背後を指さす。
恐る恐る振り返ると、そこには拠点の入り口で肩で息をしながら、目を爛々と輝かせている桃瀬と土田の姿があった。二人は俺とレオナの顔を見るなり、そのまま自分の部屋へ飛び込んでいく。そして、ものの数分で完全武装に着替えて戻ってきた。
「お待たせ、湊! よし、行こうか!」
「行こうかじゃねえよ! お前ら、露店はどうしたんだ!」
息を切らせながら、桃瀬が興奮気味に叫ぶ。
「そんなの、急いでたたんできたに決まってるでしょ! それより大変! まだケアパッケージが、湿地帯にいくつか残ってるみたいなの! だからみんな、危険を承知で湿地帯に向かってるのよ! 私の占いで確かめたから、残ってるのは事実よ!」
「そういうわけだ、湊! 急いで戻ってきたんだ! 今から出発すれば、まだ明るいうちにあの丘の拠点に着ける! 明日一日かけて、残りのケアパッケージを探しながら、魔獣の強さも検証しようぜ!」
三対一。三人の瞳が、期待と興奮に満ちた光で俺を射抜く。
ここで「危険すぎる」と正論を言ったところで、この三人に通用しないことくらい、わかりきっていた。非合理的な行動は俺の信条に反する。だが、この状況では勝ち目がない。
俺は天を仰ぎ、大きく、大きくため息をついた。
「……出発は、この食器を片付けてからだ」
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