夜蛇の短剣

 俺は、拠点の作業台の上で腕を組む。全員の装備のアップグレード。来るべきイベント、そして高城との再戦に備え、一人でも多く、一秒でも早く、チームの戦力を底上げする必要がある。こういう複雑な問題は、まず、すぐに解決できるところから一つずつ着実に片付けていくのがセオリーだ。


 三人のうち、誰の装備から考えるべきか。答えは、もう決まっている。土田の武器だ。

 彼の場合は、すでに俺が製作した『夜行の暗殺者』一式の防具で全身が固められている 。残るは、彼の戦闘スタイルを完成させる、専用の武器だけだ。



 桃瀬の占いを安定させるための新装備は、まだ解決策が浮かんでいない。レオナの防具一式は、最高の物を作るつもりだが、それゆえに膨大な時間がかかる。

 ならば、まずは土田から。それが、最も合理的で、効率的な判断だった。


 俺は、白紙の設計図を広げ、これから生み出す土田の武器に、要求される性能を頭の中で列挙していく。



 第一に、完全なる隠密性。 土田の代名詞ともいえるスキル、【隠密】と【気配遮断】の効果を、さらに増幅させる必要がある 。武器自体が光を反射せず、音を立てず、持ち主の気配と「同化」するほどの性能が欲しい 。


 第二に、一撃必殺の殺傷力。 彼の戦い方は、敵の死角から急所を正確に突く、純粋な「暗殺者」としての立ち回りだ 。二度目のチャンスはない。だから、切り札として、任意で毒を付与できる機能も組み込みたい 。


 第三に、高い汎用性と生存性。 彼は斥候として、時に武器を投擲する必要もあるだろう。この一点物の専用武器を失うリスクは、絶対に避けなければならない。投げた後でも、確実に手元に戻ってくる回収機能は必須だ 。


 思考がまとまる。

 俺は、それらの要求を満たすための素材を、アイテムボックスの中から選定し始めた。


 まず、刀身の素材。光を一切反射しない、マットブラックの刃を作るため 、高純度の黒曜石と、影を生み出す魔獣**『シェードパンサー』の鱗を取り出す 。

 次に、柄と鞘に使う、『サイレントバット』のなめし革。これは、音を吸収する特殊な性質を持つ。この貴重な素材は、先日、桜井たちのチームと、俺が作ったポーションを交換する形で入手できたものだ。同盟も、なかなか役に立つ。


 そして、切り札となる毒の機構には、魔力伝導率の高いミスリル銀の細管を。

 最後に、自動回収機能の核となる、『帰燕石きえんせき』。


 選りすぐりの素材たちを、作業台の上に、一つ、また一つと並べていく。

 俺はペンを握り、白紙の設計図に、これから生み出す土田の凶刃の、最初の一本目の線を、ゆっくりと引き始めた。


 まず、刀身。光を一切反射しない、マットブラックの刃を形成するため、黒曜石と『シェードパンサー』の鱗を混ぜ合わせるための、極めて緻密な魔力線を幾何学模様のように描いていく 。


 次に、つか。土田の手の大きさを想像しフィットするような形状にし、『サイレントバット』のなめし革が持つ吸音効果を最大限に引き出すため、螺旋状の滑らかな線を引く 。


 そして、この武器の核となる特殊機能の数々。柄の内部に仕込む、遅効性の麻痺毒を生成・塗布するための【一滴の死毒ワン・ドロップ・ヴェノム】の超微細な経路 。投擲後の自動回収を可能にする【帰燕きえん呪印ルーン】の複雑な魔法陣 。刀身そのものが気配を希釈する【影同化シャドウ・マージ】の魔術回路 。


 俺は、それら全ての機能を、一枚の設計図の上に、完璧な形で共存させようと、ペンを走らせ続ける。

 だが――。


「……くそっ」


 思わず、悪態が漏れた。

【影同化】のための魔力線と、【一滴の死毒】のための魔力線が、柄と刀身の接合部で、どうしても干渉してしまう。それぞれの機能が複雑すぎるせいで、一枚の設計図に全ての経路を詰め込むと、魔力の流れが滞り、互いの効果を打ち消し合ってしまうのだ。このまま無理やり作れば、それぞれの性能は、よくて7割がいいところだろう。

 そんな妥協の産物を、死地に赴く仲間に渡せるわけがない。


 俺は一度ペンを置き、椅子に深くもたれかかって、描きかけの設計図を睨みつける。

 何か方法はないのか。どうすれば、全ての機能を、100パーセントの効率で発動させられる……?


「……待てよ。なぜ、俺はこれを『一つの物』として、一度に作ろうとしているんだ?」


 もちろんその方がクラフトの効率もよく最終的な強度が上がるからだが、強度を上げる方法はほかにいくらでもある。


「刀身と、柄。この二つを、全く別のパーツとして、別々の設計図でクラフトする。そして、最後にその二つを『合体』させればいいんだ」


 その方が、それぞれのパーツの性能を極限まで高められる。最後の接合工程で、より高度で複雑な魔力調整が必要になるが、大した問題ではない。


 俺は、描きかけの設計図を破り捨てると、新しい紙を二枚、作業台に広げた。

 一枚には、刀身の設計だけを。もう一枚には、柄の設計だけを、改めて描き込んでいく。俺のペンは、滑るように、淀みなく、二つの完璧なパーツの設計図を完成させていった。出来上がった二つの設計図の線をチェックする。


「……よし。問題ない。これなら、いける」


 俺は、完成した二枚の設計図を前に、不敵な笑みを浮かべた。

 ここからが、クラフターとしての、俺の本領発揮だ。


 俺は一度、深く息を吸い、そして、ゆっくりと吐き出した。気持ちを切り替えるためだ。

 設計図を「描く」頭と、設計図からモノを「生み出す」頭は、全くの別物だ。前者が自由な発想を求める芸術家なら、後者はコンマ1ミリのズレも許さない、精密機械の職人。実際、プロのクラフトの現場では、設計担当と製作担当は、完全に分業制だと聞く。俺のように、一人で両方やるのは、よほどの趣味人か、常軌を逸した作家くらいのものだろう。


 俺は、慎重に、まるで薄氷に触れるかのように、一枚目の設計図――刀身のそれに、手を伸ばす。

 指先に意識を集中させ、ゆっくりと、描かれた魔力線に自らの魔力を通していく。あまりにも線が細く、そして、迷路のように曲がりくねっている。ここで魔力の通し方をほんの少しでも間違えれば、魔力は制御を失って暴発し、すべてがパーだ。


「……くそっ」


 思わず、さっき設計図を描いた自分自身を、殴りつけたくなってくる。なんで、こんな複雑な設計にした。もっと線を太く、単純にしておけと。


 しかし、同時に、頭の冷静な部分が、そんな俺を諭す。この設計を実現するには、これでもまだ、線が太すぎるくらいだと。

影同化シャドウ・マージ】の効果を最大限に引き出すため、光を吸収する魔術回路は、可能な限り高密度に配置する必要があったのだ。


 額から、脂汗がぽつりと垂れる。

 肉体的な疲れではない。指先の一点に、全神経を集中させ続ける、あまりにも濃密な精神的プレッシャーが、俺の体力を奪っていく。


 ようやく、最初の山場である、刀身の切っ先部分のクラフトを終える。だが、息をつく暇もなく、すぐさま次の工程へと移らなければならない。設計図全体を見渡せば、まだ全体の十分の一にも満たない。長い、長い道のりだ。

 これが終わっても、まだつかの設計図がもう一枚残っている。さらに、その二つを完璧に接合し、一つのナイフとして完成させなければならない。


「……ははっ。こりゃ、徹夜コース、確定だな」


 俺は、乾いた笑いをこぼしながら、再び、設計図の細い線へと、意識を沈めていった。


 ---


 最後の工程――刀身と柄、二つのパーツの「接合」。

 それは、今までで最も繊細で、高度な魔力制御を要求される作業だった。俺は、ほとんど止めていた息を、さらに細く、長く、吐き出す。一滴の汗が、額から設計図の上へと落ちた。


 指先から流れる魔力は、もはや糸のように細い。その魔力で、刀身と柄、二つのパーツの接合部に描かれた、複雑怪奇な魔法陣を、ゆっくりと、確実になぞっていく。一つでも線を間違えれば、このナイフはただの鉄屑になるか、最悪、暴発してこの拠点ごと吹き飛ばすだろう。


 最後の線に、魔力を通しきる。

 ポン、と小さな音が響いたのは、東の空が白み始め、世界の闇が消え去ろうとする、まさにその瞬間だった。


 全身の力が抜け、俺は椅子に深く倒れ込んだ。汗でぐしょぐしょになったシャツが、肌に張り付いて気持ち悪い。

 その物音で目を覚ましたのか、土田とレオナが、眠たげな目をこすりながら部屋から出てきた。


「湊……? もしかして、徹夜したのか……?」


 土田の心配そうな声に、俺は顔を上げる力も残っていなかった。ただ、かすかに笑みを浮かべると、震える指で、作業台の上を指し示す。


「……おはよう、土田」


 その声は、自分でも驚くほど、嗄れていた。


「お前の、新しい武器だ」


 土田が、おそるおそる作業台に近づく。

 そこに置かれていたのは、昨夜の暗闇そのものを凝縮し、刃の形を与えたかのような、一振りの凶刃だった。光を一切反射しない漆黒の刀身が、昇り始めた朝の光さえも吸い込んで、静かに沈黙している。


『夜蛇の短剣ナイトサーペント』 。


 土田のためだけに作られた、最高の暗殺具が、今、ここに誕生した。

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