占い

「レオナ、俺のチーム、抜けてもいいぞ」


 その言葉は、俺の口から、驚くほど平坦な音として発せられた。

 静まり返った拠点の中、レオナが信じられないという顔で、ゆっくりとこちらを振り返る。


「……え?」


 なんで、そんな顔をするんだ? 俺は、彼女の傷ついたような表情から目を逸らし、自分に言い聞かせるように言葉を続けた。これが、合理的な判断だ。彼女を、これ以上俺の個人的な戦いに付き合わせるわけにはいかない。


「お前はもともと、成り行きでこのチームに加わった。俺の監督下で『罰』を受けるという、ただそれだけの理由でここにいただけだ。だが、今回のランキングの結果で、その罰も実質的に意味をなさなくなった。つまり、償う期間は満了した、ということだ」


 俺の言葉に、レオナの翠色の瞳から、すっと光が消えていく。彼女は、低い、感情を押し殺したような声で言った。


「……それで? 続けてもらっていいかしら?」


 その冷たい声と、不機嫌を隠そうともしない表情。それを見ていると、なぜか俺の胸の奥が、ぎしりと軋むように痛んだ。


「だから、もうお前は、俺のチームにいる必要はない。これからは、お前の好きにしていい」

「…………」


 レオナは、もう俺を見ようともしなかった。彼女は、呆れたように、そして助けを求めるように、隣に立つ土田へと視線を移す。


「……土田君、彼はいつも、こんな感じなの?」

「あー……いや、その……」


 土田は顔を手で覆い、天を仰いでいる。


「湊は、物事を損得勘定で考える癖があるんだ。悪気は、ないんだが……。俺が翻訳するから、レオナは一旦、耐えてもらって……」

「いいえ、もう大体わかったわ」


 レオナは、土田の言葉を遮ると、静かに立ち上がった。


「土田君とは、後で話をするとして。彼には、少し反省してもらわないといけないみたいだから。私は、出ていくことにするわ。……今までありがとう。この装備も、大事に使わせてもらうわね」


 そう言って、レオナは『聖獅子王の棍杖』を手に、静かに拠点の扉を開け、出て行った。その寂しげな後姿を見て、胸の奥がまた、ずきりと鋭く痛んだ。だが、これは彼女自身が決めたことだ。俺は、それを尊重しなければならない。


 扉が閉まり、重い沈黙が流れる。

 次の瞬間、土田が手近な木製のコップを掴み、その渾身の力で、俺の頭を殴りつけてきた。


「いっ……てぇ!」

「この、コミュ障がァァッ!! ふざけんのも大概にしろよ!」


 木くずが散乱する床に蹲り、頭の痛みにのたうち回る俺に向かって、土田が怒りを爆発させる。


「さっきまで、やっといいチームになったねって、三人で笑い合ってた直後になんだよ、それ!? 大馬鹿か、お前は!」

「なっ……! だが、もともとレオナは致し方なくここにいただけだろうが!」

「お前、あいつに『お前の母親の母校に行かせてやる』みたいなこと、言ってただろうが! ここでその約束を反故にするのかよ!」

「討伐ランキングは7位だ! もう十分に推薦圏内に入ってる! あいつの実力なら、どこかの強豪チームに拾われれば、それで……」


「どこかのチームに拾われる」その言葉を口にした瞬間、さらに胸の奥が、杭を打ち込まれたように激しく痛んだ。全身が、その痛みで震える。


「……湊が、ここまでバカだったとは思わなかった」


 土田は、心底がっかりした、という声で言った。


「確かにお前は、一人になって反省する必要がある。……レオナがもし戻ってきたら、俺にも教えろ。それまで、俺も出ていく」


 そう言って、土田もまた、拠点を出て行った。

 一人きりになった、がらんとした拠点。俺は、演習の開始時と全く同じ、孤独なソロ活動者に復帰したのだった。


 ---


 突然始まった、二度目のソロ活動。

 ずいぶんと戸惑ったものの、俺は意外とすんなり、その環境に順応することができた。……いや、順応したフリをしていた、と言うべきか。


 新たなファーム方法を開拓し、効率的に素材と魔石を集めて資産を増やす。そして、空いた時間はひたすらクラフトを行い、【クラフトマスターランキング】の上昇だけを目標にする。無駄な感情を排し、ただ合理的に、機械のように動く。それだけを考えていた。


 三人では少し手狭に感じた拠点も、一人になると、がらんとして、不気味なほどに広く感じる。だが、この静寂こそが、俺が最初に望んだものだ。


「……よし」


 ポン、と軽やかな成功音と共に、白い煙が晴れる。目の前には、設計図通りに生み出された一本の細身なナイフ。刀身を黒く染め上げた、暗殺用のショートナイフだ。その絶妙なバランスと切れ味は、土田が使えば、きっと彼の暗殺術をさらに上の次元へ引き上げるだろう。

 ――ああ、そうか。土田は、もういないんだった。

 俺は、完成したばかりのナイフを、まるでガラクタのように、その辺の物置箱へと無造作に放り投げた。


 気を取り直し、次のクラフトへ。今度は防具の設計図だ。

(……ダメだ。これでは、防御力は高いが、色気が足りない)

 俺は何を思ったのか、標準的な女性用の鎧の設計図に、大胆な切れ込みを入れるための魔力線を、勝手に描き加えていた。

(レオナのような高速戦闘を行うなら、体内の熱を効率的に発散させるための放熱機構が絶対に必要だ。この新しく作った切れ込み部分に、放熱用のルーンを刻み込めば……)


 そこまで考えて、俺ははっと我に返る。

 俺は自分でも、訳が分からなかった。クラフトをすればするほど、頭に浮かぶのは、もうここにはいない二人のことばかりだ。

 いや、違う。今まで三人で活動していた時間の方が長かったのだ。考えない方が、おかしい。

 だが、これでは、クラフトに集中できない。


 俺は、使い道が思い浮かばないまま作り上げてしまったいくつかの装備を、アイテムボックスに乱雑に詰め込む。集中できないのなら、一旦、気晴らしが必要だ。セーフゾーンで売り払って、少し頭を冷やそう。


 拠点を出て、セーフゾーンへ向かう道すがら、俺はずっと考え込んでいた。

 何が悪かったのか。

 俺の判断は、合理的だったはずだ。レオナは、成り行きでチームに加わった。彼女の罰も、ランキングの結果で解消された。これ以上、彼女を俺の都合に付き合わせる理由はない。だから、彼女に「自由」を与えた。

 それの、何が間違っていたというんだ。


 なぜ、レオナはあんなに傷ついた顔をしていた?

 なぜ、土田はあそこまで激怒した?

 なぜ、「どこかのチームに拾われればいい」と口にした時、俺の胸は、あんなにも痛んだんだ?


 分からない。

 考えれば考えるほど、答えの出ない問いが、思考の沼となって、俺の頭を支配していく。

 合理的であるはずの俺の行動が、最も非合理的な結果を招いている。その事実だけが、重く、俺の肩にのしかかっていた。


 ---


 セーフゾーンにたどり着いた俺は、先ほど作ったばかりの装備を、武器は武器屋、防具は防具屋へ売り払った。通貨代わりの魔石で、また新しい素材を買う。ただ、それだけの繰り返し。

 遠巻きに、リスポーン地点のトーテムを眺める。今日も、ぽろぽろと光の粒子が人の形を取り戻し、力なく吐き出されている。土田はあそこで露店を開いているのだろうか。あんな別れ方をした直後に、どんな顔をして会えばいいのか分からず、俺はすぐにその場を離れた。


 買うものも買い、目的もなく露店を練り歩いているうちに、日は高く昇り、すでに昼時だった。がらんとした拠点に戻り、一人で食事をとるのは、なぜか無性にためらわれた。俺は、料理を提供している店はないかと、雑多な露店群の中を探す。すると、ひときわ元気で、そして胡散臭い呼び込みの声が聞こえてきた。


「占い―! 当たるも八卦、当たらぬも八卦! 百発百中人生相談! 初めての人は、魔石たったの千個でお安くしときますよー!」


 ちっとも安くない。一回のファームにかかる時間は三時間。それで得られる魔石の量は、せいぜい三百個程度だ。時給百個のこの世界で、千個も要求するとは、肝が据わっている。そもそも、このサバイバル演習の真っ最中に、占いを必要とするような奴がいるのだろうか。俺の疑問は正しいらしく、占い師のような大きなフードを目深にかぶった彼女の店先には、閑古鳥が鳴いていた。


「おっ! お兄さん、占っていく? 魔石千個で、君の未来、何でも占ってあげるよー!」

「いや、いい。料理を提供している露店が、どのあたりにあるか知らないか?」

「うーん、そうだねぇ。それを占うには、魔石が千個、必要ですねぇ」

「ふざけるな。他で聞く」

「あっ、まったまった! 冗談だって! 料理系は、匂いが出るから、あっちの川沿いに集まってるんだよ。洗い物もしやすいしね」

「そうか、助かる」

「ちょっと! 教えてあげたんだから、占いしていきなさいよ!」


 俺が立ち去ろうとした瞬間、占い師の彼女は俺の服の裾を掴むと、ものすごい力で引っ張り、無理やり席に着かせた。さらに、俺の肩を上から押さえつけ、立ち上がれないようにしてくる。くそっ、身体強化を使っても、力で負ける。こいつ、ただの占い師じゃないな。元戦闘職か!


「うっわ、お兄さん、ざっこ~。女の子に肩を押さえつけられただけで、立ち上がることもできないんだね~。よわよわじゃん。このまま、ぎゅーって力こめたら、どうなっちゃうのかな~?」

「わかった、わかった! 占いをすればいいんだろ! 肩を放せ、折れる!」

「ふふん。危うく、か弱い女の子にリスポーン送りにされちゃうところだったね~。こわいこわい。じゃあ、占ってあげましょう」


 俺は腕輪から千個分の魔石を取り出し、このメスガキ占い師に渋々手渡す。先ほど売り払って稼いだ分が消えていく……。


「それで、湊君は、何を占ってほしいの?」

「……なぜ、俺の名前を知っている?」

「あれ? まだ気づいてない感じ?」


 俺の剣呑な雰囲気に、彼女は楽しそうに笑うと、目深にかぶっていたフードをゆっくりと脱いだ。茶色がかった髪の毛、若干目じりが下がった甘めの瞳。勝気に上がった口角。

 その顔には、見覚えがあった。


「桃瀬……か。なんで、お前がこんなところで占い師なんてやってるんだ」

「乙女の秘密。……まあ、正確に言うと、ケアパッケージイベントで失敗して、チームが解散したってわけ。とりあえず暇だし、最近ちょっとハマってる占いで、遊んでるのよ」


 チームの解散。演習序盤では、よくあることだ。


「それで、なんで湊は、そんな世界の終わりみたいな暗い顔してるわけ? ウチと同じで、イベントに失敗してチーム解散でもした? でも、ランキングには湊のチーム、しっかり乗ってたじゃない」

「いや……イベントには、成功した。ケアパッケージも二つ、確保したんだ。チームの連携も、まあ、うまくいっていたと思う」

「すごいじゃん! なのに、なんでそんなに落ち込んでるのよ?」


 俺は、言葉を選びながら、桃瀬にこれまでの経緯と、今日起こった出来事を、ぽつり、ぽつりと話した。チームが、事実上、解散したことも。

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