聖獅子王の棍杖

 レオナの足の治療を終えると、俺たちは八紘と氷結ゴーレムから身を隠すため、再び岩陰に潜んだ。


「それで、どんな杖がいい? 片手で持てる『ワンド』か、両手持ちの『スタッフ』か。ハリーポッターみたいなやつか、ロードオブザリングのガンダルフみたいなでかい杖か、ってことだな。注文は受け付けるから、好きな形を言ってくれ」

「え、えっと……その、中間があれば……」


 中間、か。つまり、片手で扱える手軽さと、両手杖の頑丈さを両立させたい、と。いざとなれば攻撃を受け止め、棍棒のように殴ることもできる武器が欲しいというわけか。なかなか欲張りな注文だ。


「よし。今から設計図を改造する。時間がないから手早くやるが、よく見て覚えておけよ」

「わ、わかった」


 俺はアイテム袋から、坂井に譲ってもらった『森王の枝杖』の設計図を取り出す。


「設計図の改造ってのは、要するに魔力を流す『経路』の書き換えだ。武器の形ごとに経路のパターンは大体決まってる。今回は杖に棍棒の要素を加えるから、結構な大改造になるぞ」


 俺は設計図の右下隅を指す。


「幸い、この設計図には製作者の計らいで、基本形以外に両手持ち用のスタッフのパターンも記載されてる。まずはこれを参考にする」


 俺はごちゃごちゃした線の中から『スタッフ』と書かれたパターンを選び、設計図を修正していく。


「だけど、ここに棍棒のパターンはないから、別の設計図から線を引っ張ってくる必要がある。さっきまで使ってた木の棍棒、あれの設計図から拝借する。こっちはフリーハンドでの作業だ」

「フリーハンド!?」


 驚くレオナを横目に、俺は木の棍棒の設計図と『森王の枝杖』の設計図を見比べる。なるほど、全体的に丸みを帯びていて、特に持ち手部分に特徴があるな。


「レオナ、さっきの棍棒は使いやすかったか?」

「え、ええ。結構手になじんで。拠点に戻ったらもう一本お願いしたいくらいよ」

「よし」


 その言葉で方針は固まった。俺は指先に魔力を込め、持ち手部分を中心に、棍棒と杖、二つの経路を滑らかに繋ぎ合わせていく。さらに強度を確保するため、金属パーツを追加する構想も盛り込んだ。


「……すごい魔力制御ね。普通に戦闘要員としても通用しそうだけど」


 感心したようにレオナが呟く。


「最低限は戦えるさ。けど、レオナみたいな大質量の魔力を扱おうとすると、まとめきれずに暴発する。正直、うらやましいよ。個人で魔獣をなぎ倒せるその力が、俺は欲しかった」

「望んで手に入れた力じゃないわ。私は、湊みたいなその器用さの方が、ずっと欲しかった」

「……意見の相違だな。でも、違うからこそ手を組む価値がある。よし、できた。少し下がってくれ」


 設計図を完成させた俺は、レオナを数歩下がらせる。彼女の頬が赤いのは、先ほどの戦闘で負った凍傷の影響だろうか。後でポーションを渡しておこう。


 俺はアイテム袋から、クラフトに必要な素材を次々と取り出していく。地面に並べられた材料は圧巻だった。


 千年杉の心材 × 30

 アーマーボアの上質ななめし革 × 50

 グリフォンの風切り羽 × 10

 凍結水晶 × 5


 山のように積まれた素材はどれもレオナと二人でファームして集めた素材だ。特に凍結水晶は、先ほど彼女が命がけで採ってきたばかりの逸品である。

 失敗は許されない。俺は呼吸を止め、意識を研ぎ澄ませる。世界から音と色が消え、ただ俺と設計図だけが存在する。いつも以上に慎重に、俺は素材へと魔力を流し込み始めた。


 ---


 ポン、と軽やかな完成音と共に、設計図から立ち昇った白い煙が晴れると、そこには一本の杖が横たわっていた。


 千年杉の心材から削り出された本体は、黒光りするような深い色合いを放っている。その表面には俺が刻んだ魔力経路ルーンが、呼吸するように翠色の光を明滅させていた。杖頭は王冠のように枝分かれし、その中心には白く冷たい光を放つ『凍結水晶』が鎮座している。水晶の根元にはグリフォンの風切り羽、そして杖の各所には俺が補強のために取り付けた金属パーツが、自然の造形と無骨な技術を見事に融合させていた。


 我ながら会心の出来栄えだ。まさに、レオナが手にするにふさわしい。

 レオナの金色の髪と、獅子のような気高さ。この威厳ある杖に「森」の名は少し違うな……よし。


「名付けて、『聖獅子王の棍杖せいししおうのこんじょう』だ」

「え? 『森王の枝杖』じゃないの? 名前が変わってるじゃない」

「お前のための杖だからな。聖フローラに通っている、獅子みたいに、強くて、美しい女が使う魔法棍マジックメイスだ」

「……それ、褒めてるの?」

「もちろん」


 軽口を叩き合いながらも、手は休めない。クラフトの『素材軽減』スキルがうまく発動したおかげで、かなりの素材が余った。俺は余剰分をアイテムボックスへ手早く収納する。特に、あの凍結水晶が4つも手元に残ったのは大きい。


 岩陰から八紘たちの戦いを窺うと、状況は芳しくないようだった。

 八紘のメンバーたちは、剣や斧で絶え間なくゴーレムに斬りかかっている。火花を散らし、甲高い金属音が響くが、どれも分厚い氷の装甲を削るだけで、致命傷には至らない。対するゴーレムは、ダメージを受けるたびにその傷口から冷気が噴き出し、瞬く間に氷が再生していく。完全に消耗戦の様相を呈していた。

 八紘のリーダーの顔には、焦りと疲労が色濃く浮かんでいる。


「八紘のリーダーさんよ、手助けはいるかい? もっとも、俺たちが加勢したら、もうそれで決着だがな」


 俺の声に、リーダーの男は一瞬こちらを睨みつける。仲間たちの消耗ぶりは彼自身が一番よく分かっているのだろう。しかし、ここで他者の助けを借り、手柄を横取りされることへの葛藤がその表情に見て取れた。


 その、一瞬の油断が命取りだった。

 八紘の一人がぬかるんだ雪に足を取られ、大きく体勢を崩して尻もちをつく。


「しまっ……!」


 氷結ゴーレムがその好機を逃すはずがない。瞬時に狙いを定め、口内に極低温のエネルギーが収束していく。ブレスの発射は目前だ。


 その瞬間、俺の背後で空気が爆ぜた。

 振り返るより速く、金色の残像が飛び出していく。――聖獅子王の棍杖を握りしめたレオナだ。


 レオナは雪面を滑るように駆け、尻もちをついた男の襟首を掴むと、力任せに後方へ引きずり倒した。直後、男がいた空間を、すべてを凍てつかせるブレスが薙ぎ払う。

 レオナはそれを意にも介さず回避すると、がら空きになったゴーレムの懐へ踏み込み、手に持った棍杖を渾身の力で横薙ぎに叩きつけた。


 ゴッ、と骨まで響くような鈍い打撃音。

 直後、レオナが杖に込めた魔力が炸裂した。ゴーレムの胴体に入った亀裂が、一気に全身へと広がり――甲高い音を立てて、その分厚い氷の装甲が砕け散った。


 レオナは反動を利用してゴーレムの胴体を蹴り、その場から離脱すると、猫のように軽やかに俺の隣に着地する。


「ふぅ……。手助けって、こんな感じでいいのかしら?」

「ああ、ばっちりだ」


 俺は、先ほどレオナに助けられた八紘の男に向かって、恩着せがましく言い放つ。


「おい、お前。よかったな。今度からレオナ『さん』って呼べよ」


 氷結ゴーレムは、初めて砕かれた自らの体に困惑しているのか、その動きが明らかに鈍い。

 好機と見た八紘のチームは、レオナが作った傷口に集中攻撃を仕掛ける。ときの声を上げながら、彼らはさらに亀裂を広げ、ついにゴーレムを胴体から真っ二つに分断した。


「やったか!?」


 上半身と下半身が泣き別れになり、ピクリとも動かなくなったゴーレムを見て、八紘のリーダーが歓喜の声を上げる。

 だが、俺の胸には言いようのない嫌な予感が渦巻いていた。俺はレオナを腕で制しながら、無言で後ずさる。


「どうしたの、湊? ゴーレムは倒れたわよ」

「いや……何かがおかしい。もう少し距離を取る」


 八紘のメンバーたちも、さすがに猟師だけあって、とどめを刺すまでは油断なくゴーレムにじりじりと近寄っていく。しかし、大物を仕留めたという高揚感が勝っていることは、その足取りからも明らかだった。


 その、浮ついた心が命取りだった。

 ピクリとも動かなかったゴーレムの上半身。その眼窩がんかに、再び青白い光が妖しく灯る。


「まずい、下がれ!」


 俺の叫びは、しかし遅すぎた。

 ゴーレムの上半身と下半身、その双方から凄まじい冷気が爆発的に放出されたのだ。絶対零度の吹雪が、油断して近づいていた八紘のメンバーたちを容赦なく飲み込む。


「ぐわぁっ!」「うっ!」

 短い悲鳴と共に、彼らの体は木の葉のように宙を舞い、周囲の岩壁に叩きつけられた。


 俺は距離を取っていたおかげで直接のダメージはないものの、あまりの風圧に思わず尻もちをつく。だが、隣に立つレオナはさすがの体幹というべきか、腕で顔を覆うだけで、一歩たりとも動いていなかった。


 やがて風圧で舞い上がった雪が静かに落ちてくると、俺は信じられないものを目にする。氷結ゴーレムがいた場所には、元の半分ほどの大きさになったゴーレムが二体、ギシリと音を立てて身を起こしていたのだ。


「……分裂、だと?」


 八紘のメンバーは衝撃で気を失っているか、動けずにいる。この状況で彼らに戦えというのは無理な話だ。


「レオナ、頼む。二体に増えたが、足止めできるか? 八紘の連中は、見殺しにするのも後味が悪いから俺が全員回収する」

「ええ、問題ないわ。けど……」

「?」


 レオナは、その口元に美しくも獰猛な笑みを浮かべた。


「――倒してしまっても、いいのよね?」


 その好戦的な光に、俺も思わず口角が吊り上がる。ああ、そうだ。こいつはそういう奴だった。


「当たり前だ。素材も残さず、粉々にしてやれ」


 俺の言葉が終わるか終わらないかのうちに、レオナは地を蹴って飛び出した。

 同時に俺も八紘たちの元へ駆ける。得意ではない身体強化を無理やり発動させ、軋む体に鞭打って少しでも急ぐ。


 リーダーの男は気を失っているだけで、まだリスポーン送りにはなっていない。他の奴も同様だ。俺は近くにいた二人の腕を掴むと、全力で岩陰の安全地帯へ放り投げた。「ぐしゃっ」と嫌な音がしたが、この程度で死ぬなら先ほどの冷気でとっくにリスポーン送りになっている。俺は残りの人員も同じように投げ飛ばすと、急いでその場から退避した。


 元いた岩陰に八紘の全員を転がし終え、俺は戦場へと視線を戻す。

 そこでは、息を呑むような光景が繰り広げられていた。


 二体のゴーレムが、レオナを左右から挟み撃ちにする。放たれる無数の氷弾と、薙ぎ払われる剛腕。だがレオナはその猛攻を、まるで舞うように、あるいは滑るように、そのすべてをいなしていく。紙一重で攻撃を躱し、時には聖獅子王の棍杖で受け流す。俺が仕込んだ金属パーツが火花を散らすが、杖はびくともしない。


 一体のゴーレムが大振りの一撃を繰り出した、その瞬間。

 レオナは攻撃を避けるのではなく、逆に懐へ踏み込んだ。棍杖が唸りを上げ、カウンターの一撃がゴーレムの腕を根元から粉砕する。


 バランスを崩したゴーレムに追撃を加えようとした、その背後からもう一体が迫る。

 しかしレオナは振り返らない。


「――喰らいなさい!」


 杖に魔力を注ぎ込むと、翠色に輝いていたルーンが赤熱した光を帯びる。彼女の号令と共に、杖頭の凍結水晶とは相容れないはずの螺旋状の炎が巻き起こり、背後のゴーレムを業火で包み込んだ。


 氷が蒸発する甲高い絶叫を上げ、二体目のゴーレムが片膝をつく。

 戦場には、片腕を失いながらも敵意を向ける一体と、足が溶け満足に動けない一体、そして獰猛な獅子のように笑みを浮かべ、杖を肩に担ぐレオナだけが残されていた。


「さて、と」


 レオナは担いでいた杖を静かに下ろすと、その切っ先を、まだ立っている片腕のゴーレムへと向けた。その瞳は、獲物を前にした捕食者のように、冷たく燃えている。


「グルォァァ!」


 咆哮と共に、片腕のゴーレムが最後の力を振り絞って突進してくる。もはや魔法を放つ力も残っていないのか、ただがむしゃらに拳を振りかぶるだけの、捨て身の攻撃だった。


 レオナはそれを避けようともしない。

 ただ、棍杖を両手で持ち、突進の勢いを真正面から受け止める。凄まじい衝撃音が響き、ゴーレムの氷の拳が杖にめり込むが、レオナは一歩も引かない。


 逆に、杖を軸に体を回転させ、遠心力を乗せた渾身の一撃を、無防備なゴーレムの胴体に叩き込む。


「――砕けなさい」


 冷たい声と共に魔力が解放され、ゴーレムは内側から弾けるようにして、輝く氷の塵となった。


 レオナはキラキラと舞う氷の塵の中をゆっくりと歩き、膝をついたままの、最後のゴーレムの前で立ち止まる。ゴーレムはもはや抵抗する力もなく、ただその青白い眼窩でレオナを見上げていた。


 レオナは杖頭の『凍結水晶』を、ゴーレムの額に、まるで戴冠させるかのようにそっと押し当てた。

 杖に刻まれたルーンが一斉にまばゆい翠の光を放ち、水晶は絶対零度の冷気を凝縮させていく。


「……これで、おしまい」


 パリン、と。

 まるで薄いガラスが割れるような、静かな音が響いた。

 次の瞬間、ゴーレムの体は形を保ったまま白く凍りつき、やがて足元からサラサラと、ダイヤモンドダストのように崩れて消えていった。


 戦場には完全な静寂が戻る。

 月明かりに照らされてきらめく氷の塵の中、レオナが一人、静かに佇んでいた。

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