八紘の猟師
雪熊の素材を剥ぎ取り、俺たちは再び洞窟を目指した。
レオナと雪熊の一件で、俺の心臓はまだ少しだけ、普段より速いリズムを刻んでいる。面倒な感情だとは思うが、同時に、彼女の戦闘能力を再確認できたのは大きな収穫だった。あの力があれば、どんな魔獣が相手でも恐れるに足りない。
やがて、雪に半ば埋もれた洞窟の入り口が、俺たちの目の前に現れた。
洞窟の奥からは、微かだが、純度の高い魔力の気配が漏れ出ている。『凍結水晶』で間違いないだろう。
「行くぞ、レオナ。気を抜くな」
「ええ。でも、気配が多いわ。中にいるのは一体じゃない。多分、先客がいる……」
レオナの忠告に従い、俺たちは慎重に、一歩ずつ洞窟の中へと足を踏み入れた。
果たして、そこには先客がいた。
洞窟の少し開けた場所で、淡い光を放つランタンを囲み、四人の生徒が黙々と装備のメンテナンスを行っていた。全員が弓と剣で武装し、雪熊の毛皮から作られたであろう純白の防寒具に身を包んでいる。陵南の連中のような威圧感はない。だが、その無駄のない動きと、手入れの行き届いた装備は、彼らが素人ではないことを雄弁に物語っていた。
俺たちの存在に気づくと、彼らの中から一人の男が静かに立ち上がる。リーダーだろう。切れ長の目に、冷静な光を宿した男だった。
「……県立第一工業と、聖フローラ女学院か」
男は俺たちを一瞥し、淡々と言った。
「ご苦労だが、ここから先は我々の猟場だ。よそ者は引き返してもらおう」
土田の情報は正しかった。八紘農業高校の、ハンター部隊。
セーフゾーンで会う連中とは、明らかに空気が違う。あれが交易や生産を担う「農家」なら、こいつらは獲物を狩る「猟師」だ。
「それはできない相談だな。俺たちも、この奥にある『凍結水晶』を求めてきた。目的が同じなら、争うより協力する方が合理的だと思うが?」
俺が交渉を持ちかけると、リーダーの男は、ふ、と鼻で笑った。
「協力? 同じ獲物を狙う以上、敵対するしかないだろう。我々はこの獲物を数日前から調査し、この洞窟を発見した。狩りの獲物は、先に見つけた狩人のものだ。お前たちのような、後から死肉を漁りに来るハイエナに分け与えるものなど何もない」
「……なんですって?」
レオナの纏う魔力が、怒りでわずかに揺らぐ。
八紘のリーダーは、そんなレオナの気配を意にも介さず、今度は侮蔑の視線を彼女に向ける。
「そのふざけた格好をしているのが『聖フローラのコソ泥』か。噂通り、手癖も見た目も悪そうだな。だが、ここは森や平原じゃない。この雪山では、ただの力押しは通用しない。悪いことは言わん。死にたくなければ去れ」
その言葉は、最後通告だった。交渉の余地はない。
レオナの闘気が、いよいよ抑えきれなくなり始めた、その時だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ…………。
洞窟の奥から、地響きのような、重い音が響き渡る。壁の氷が、ビリビリと震えた。
「ちっ…! こいつらの気配を察して、起きたか…!」
八紘のリーダーが、初めて険しい表情で洞窟の奥を睨む。
次の瞬間、暗闇の中から、二つの巨大な光が、まるでヘッドライトのように俺たちを捉えた。青白い、冷徹な光。
ズウゥゥン……。
地響きと共に、巨大な影が姿を現す。
それは、洞窟の壁と同じ、氷と岩で形成された巨大な人型――氷結ゴーレムだった。その両腕は、巨大な氷柱でできた、致死の棍棒だ。
そして、その胸の中心には、心臓のように青白い光を放つ結晶体が、いくつも生えていた。
もしかしなくても、あれが『凍結水晶』だろう。ただの番人じゃない。水晶そのものが、こいつの心臓核に見えた。
ゴーレムは、俺たちと八紘チームを交互に見比べ、こちらの出方を伺うかのように、ぴたりと動きを止めた。
三つ巴の睨み合い。
この状況で、俺の頭に浮かんだのは、ただ一つの思考だった。
この混沌こそ、俺が最も得意とする、戦場だった。
---
氷結ゴーレムが現れた結果、八紘のチームは蛇に睨まれた蛙のように固まっていた。この膠着状態、下手に動いた者から潰されるということを、プロの彼らはよくわかっているのだろう。リーダー以外の三人は床に座り込んだまま、武器も手に取れずに脂汗を流している。この場でまともに動けるのは、俺たちに対応して立ち上がっていたリーダーしかいない。
そして何より分が悪いのは、相手が雪熊のような生命体ではなく、石と氷でできたゴーレムであるということだ。連中の持つ剣や弓矢では、物理的なダメージはほとんど通らないだろう。打撃か、強力な魔法で攻めるしかない。
俺はあえて、余裕を見せるように八紘のリーダーに話しかけた。
「それで? 勝てそうなのか? 八紘さん。そちらさんの弓や剣じゃ、あのゴーレムには効果がなさそうに見えるが」
「なっ…貴様、この状況がわかっているのか!」
「わかっているさ。そっちこそわかっているのか? 今、この状況を打破できるのは、お前らが言うところの『コソ泥』しかいないってことをな」
俺は隣のレオナを親指で指す。
「さっき身体強化魔法を使ったからな、効果はまだ持続している。こいつがぴょんと飛んであいつに一撃を入れれば、その隙にお前のお仲間も無事に体勢を立て直せる。逆にリーダーのお前が動けばどうなる? ゴーレムも馬鹿じゃない。動けないお前の仲間を一人か二人、先に潰して戦力を削ごうとするだろうな」
「ぐっ…!」
八紘のリーダーは顔をしかめ、思考を巡らせる。彼の冷静な仮面が、焦りによってわずかにひび割れていた。
「……お前のその『飼い犬』が、一撃を入れられるという保証はあるのか」
「どうだレオナ。できるか?」
「もちろん。でも、注意を引けるほどの威力で殴れば、この棍棒は一発でへし折れると思うわ。その後の追撃は期待しないでほしいわね」
ふむ、棍棒は使い捨てか。今度は俺が考えを巡らす番だった。
一撃で奴の体勢を崩し、胸の水晶をいくつか剥がせれば…その後の展開は、こいつら八紘の援護次第だ
俺の頭の中で、勝利への道筋が組み上がっていく。
「よし。二撃目以降は時間がかかるが、問題ないようにはしてやる」
「わかった。ならば、お前たちが先行して一撃を入れろ。俺たちが体勢を立て直し、後を引き継ぐ」
「いやいや、早まるなよ、リーダーさん。俺たちの報酬がまだ決まってないだろ」
「なっ…!」
「当然だろ。なんで一番危険な初撃を、俺たちが無償でやらなきゃならないんだ。なんなら俺たちは今から洞窟の外に駆け出して、お前らが全滅してから、弱ったゴーレムをゆっくり料理させてもらってもいいんだぜ」
八紘のリーダーは頭に血が上ったのか、眉間に深いしわを寄せ、荒い息を吐いている。まあそう怒るなよ。今は三つ巴の戦闘中だぞ。
「とはいえ、先にこの場所を見つけたことに対する敬意はある。報酬の割合は、四対六。四が俺たちだ。どうだ、悪くないだろ?」
「き、貴様ぁ…!」
八紘のリーダーは何かを喚きそうになる自分を抑え込むように、冷たい外気を大きく吸った。目に理性が戻る。こういう手合いが一番嫌いだ。坂井だったら、ここで泣きながら話が決まっていたのに。
「……最初に一撃を入れてくれたら、あとはすべてこちらでやる。だから、一対九だ。一がお前たち」
「話にならんな。じゃあこうしよう。それは『基本報酬』だ。俺たちが手助けするたびに、俺たちの取り分を1割ずつ上げてもらう。最大で四対六まで。今度は六が俺たちだ。そして、万が一お前らが全滅したら、この話は無し。俺たちが全ての報酬をいただく。これでどうだ?」
「……いいだろう。交渉成立だ」
よし。これで手助けすればするほど、俺たちの利益が上がる。
俺はレオナの耳に口を寄せ、囁いた。
「レオナ、最初の一撃は、あの胸の水晶に叩き込め。そして、できれば折れた水晶を何本か、ばれないように俺の近くに投げてくれ。できるか?」
「…善処するわ」
レオナが、大きく息を吸い込み笑った。
雪熊を葬った時と同じ、歓喜に満ちた、獰猛な笑み。
その笑みを見て俺は無意識に心臓が高まった。
彼女は低く姿勢を沈めると、その身体から放たれる翠色の魔力のオーラが、爆発的に膨れ上がった。
「――行くわよッ!」
号令と共に、レオナの身体が洞窟の床を蹴る。
いや、蹴ったというより、足元に溜まっていた雪を魔力で爆発させて、その推進力で弾丸のように射出された、と言う方が正しい。
一瞬でトップスピードに乗った彼女は、直線的に氷結ゴーレムへと突撃する。
「グオオオオオッ!」
ゴーレムも、その脅威を即座に認識したのだろう。巨大な氷柱の右腕を持ち上げ、レオナの小さな身体めがけて振り下ろす。山を揺るがすほどの轟音と共に、致死の一撃が迫る。
普通なら、回避の一手だ。
だが、レオナの行動は俺の、そしておそらくは八紘の連中の想像をも超えていた。
彼女は、振り下ろされるゴーレムの腕を、避けるのではなく、踏み台にした。
迫りくる腕の側面に寸分の狂いなく着地すると、その勢いを殺さずに、巨大な腕の上を駆け上がっていく。
「なっ…!?」
八紘のリーダーから、驚愕の声が漏れたのが聞こえた。
そしてレオナは、ゴーレムの懐――胸の中心で青白く輝く『凍結水晶』の目の前まで、一気に到達する。
空中で、彼女はしなやかに身体を回転させ、遠心力と、身体強化で増幅された筋力の全てを、手に持った棍棒の一点に集中させる。
「――砕けなさいッ!」
甲高い、ガラスが千切れるような絶叫と共に、渾身の一撃が、ゴーレムの心臓核たる『凍結水晶』に叩き込まれた。
バキャャァァァンッ!
凄まじい破壊音が洞窟に響き渡る。
レオナの棍棒は衝撃に耐えきれず、木っ端微塵に砕け散った。しかし、その代償はあった。ゴーレムの胸に生えていた水晶のうち、数本が根元からへし折れ、キラキラと光を反射しながら宙を舞う。
「グオオオオオオオオオッ!!」
心臓部を穿たれたゴーレムが、怒りと苦痛に満ちた咆哮を上げた。
その巨体が、衝撃でわずかに後ずさる。
「いいぞレオナ! 戻れ!」
俺は、計画通りこちらへ飛んでくる数本の水晶に駆け寄り、そのすべてをばれないようにアイテム袋に滑り込ませた。
作戦は、成功だ。
だが、代償は大きい。レオナは武器を失い、今は無防備なまま空中にいる。
そして、怒り狂ったゴーレムの憎悪は、完全に彼女一人に向けられていた。
「グオオオオオオオオオッ!!」
心臓部を穿たれたゴーレムが、今までとは比べ物にならない、怒りと苦痛に満ちた咆哮を上げた。その巨大な顎が、まるで捕食者のように大きく開かれる。
ゴーレムの口から、絶対零度の吹雪――凍結ブレスが、レオナめがけて一直線に放たれた。広範囲を薙ぎ払う、回避不能の必殺の一撃。
「レオナ!」
俺の叫び声は、轟音にかき消される。
だが、空中にいたレオナの判断は、俺の想像を超えていた。彼女は落下する勢いを利用して、近くの洞窟の壁を蹴る。一度、二度。重力を無視したかのような三角跳びで、ブレスの直撃コースからコンマ数秒で離脱する。
しかし、完全には避けきれなかった。ブレスの余波が彼女の左足を掠め、瞬時に白銀の霜が張り付いていく。
「くっ…!」
動きがわずかに鈍ったレオナが、体勢を崩しながらも俺の近くに着地する。
その隙を、ゴーレムが見逃すはずがない。再び巨大な氷の腕を振り上げる。
もう終わりか、と思った、その時だった。
「――散開! 弓兵、眼光を狙え! 前衛、足を止めろ!」
八紘のリーダーの、冷静で、しかし鋼のような強さを持つ号令が、洞窟に響き渡った。
さっきまで呆然としていたはずの八紘チームが、その声に反応し、完璧な連携で動き出す。
ヒュッ、ヒュッ、と風切り音が二つ。二人の弓兵が放った矢が、寸分の狂いもなくゴーレムの両目に突き刺さった。矢尻に込められた魔力が、閃光となって炸裂する。
「グッ、オオオッ!?」
視界を奪われ、ゴーレムが苦悶の声を上げる。その隙に、リーダーを含む二人の剣士が、左右から回り込み、ゴーレムの足首――氷と岩の関節部分に、寸分違わず同時に斬りかかった。
キンッ、と甲高い金属音が響く。剣は通らない。だが、目的はダメージではない。体勢を崩し、動きを止めるための、完璧な足止め。
なるほどな。個々の力ではレオナに遠く及ばない。だが、これがあいつらの、八紘農業高校ハンター部隊の「狩り」のやり方か。
統率の取れた、見事な連携だった。
「湊、足が…少し、痺れる…」
隣でレオナが霜の付いた左足を押さえながら、苦しげに息をついている。
「防寒装備でよかった。冷気耐性が多少はあるし、コートとデニムで二重軽減されている。すぐ治るぞ」
俺はアイテム袋から耐冷ポーションを取り出し、レオナに飲ませる。見る見るうちに霜が消えていき、レオナの不調もほぼ治ったようだ。
さて、しばらくは八紘に任せておけばいいだろう。レオナの二撃目の準備に入るとするか。
「ところでレオナ。杖のデザインは何がいい?」
「はい?」
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