粘つく視線と設計図

 翌朝、拠点の外で汲んできた水で顔を洗い、俺は朝食の準備に取り掛かっていた。メニューは、昨日のファーム中にレオナが棍棒で頭をかち割ったアーマーボアのステーキだ。出入り口に立てかけられた棍棒には、まだうっすらと血の跡が残っている。

 ずっしりと重いその棍棒を、彼女は軽々と振り回し、遭遇した魔物をすべて一撃で葬っていた。さすがは戦闘要員としてエリート扱いを受けてきただけのことはある。とても俺にできる芸当ではない。


 焼き上がった肉を木の皿に載せ、テーブルを挟んで向かいに座るレオナの前に置く。すると彼女は、ナイフで肉を切り分け、一口食べた瞬間、その翠色の瞳から、ぽろぽろと静かに涙を流し始めた。


「……泣くほどうまいのか。お前、略奪してたのなら色々食べれただろ」

「湊に拾われるまで、ずっと追われる生活だったから…。何を食べても、味がしなかったのよ。こうして座って、ゆっくりご飯が食べられるって……本当に、贅沢なことなのね」


 たまにこいつは、反応に困る返答をしてくる。なんなんだ、こいつは。……ああ、口の端から肉汁が垂れてる。汚いな。


 レオナは朝食を食べ終わると、袖で涙と口元を乱暴に拭い、俺の顔をまっすぐに見つめた。


「改めて、昨日はありがとう。チームに入れてくれなかったら、今頃どうなっていたかわからないわ。私に出来ることがあるなら、何でも言ってほしい。今日もまた、ファームをすればいいのかしら」

「頼れるところは全力で頼るから、安心しろ。それで今日なんだが……」


 俺は言葉を切り、思考を巡らせる。

 もう演習開始から五日目。この段階になると、生徒たちのチーム分けがおおむね終わり、拠点の拡充や素材集めもひと段落してくる。言わば、最初の膠着状態だ。運営がそれを放置するはずがない。例年通りなら、この状況を打破するための「イベント」のアナウンスがそろそろあるはずだった。

 まずは、どんなイベントが来ても対応できるよう、地力を上げることが先決か。


「なあ、レオナ。お前、この演習の『イベント』ってのを知ってるか?」

「イベント? アメリカだと定期的に魔獣の侵攻ってことでいろんな魔獣が攻めてきたけどそういうのがあるの?」

「まあ、そういうのもあるが、イベントって言うのは運営が仕掛けてくるもろもろのことだ。この時期にありえそうなのはいくつかある」


 俺は今後のため、彼女に情報を共有することにした。


「まず代表的なのが『ケアパッケージの投下』。島の特定地点に、上空から高性能な装備や希少素材が入ったコンテナが島中に落ちてくる。当然、近場のチームによる争奪戦になる」

「なるほど、力試しの機会というわけね」


 レオナが目を輝かせる。戦闘狂の血が騒ぐらしい。


「次に『資源ラッシュ』。特定のエリアに、希少な鉱脈が数時間だけ出現する。掘り当てた量でランキングポイントが変動するから、採掘場所を巡って必ず戦闘が起きる。あるいは『ネームド討伐』。普通の魔物より一回り強い、特別な名前を持つ『森の主』みたいなボスが出現して、討伐の貢献度に応じてボーナスポイントが入る形式だな」

「どっちも面白そうじゃない!」

「お前にとってはな。だが、『拠点コンテスト』みたいな非戦闘イベントもある。運営からテーマが出されて、一番優れた拠点を作ったチームが表彰されるんだ」

「きょてん…? 家を作るの?」


 きょとんとするレオナ。やはり、そっち方面の興味はゼロか。


「とにかく、どのイベントが来るかわからない以上、意味のない準備に奔走するわけにはいかない。それに昨日の坂井達が約束を守るかも不明瞭だ。お前の悪評は一朝一夕で払しょくされるわけではないからな。と言うわけで今日も俺が帯同してファームを続ける。素材を集め、装備を整え、拠点を強化する。どんなイベントが来ても対応できる『地力』を上げるぞ!」

「わかったわ!」


 ---


 そうと決まれば身支度を整え、ファームをと行きたいところだったが、昨日の一件も含めて土田に情報共有をするため、セーフゾーンに行く必要があった。

 面倒くさすぎる。こういう時のために、便利なトランシーバーをクラフトしたいところだが、肝心の設計図を持っていない。結局、自分の足で出向くしかなかった。


 セーフゾーンは相変わらず露店がひしめき合い、活気に満ちていた。だが、昨日までとは明らかに様子が違う。俺とレオナの姿を認めると、さっと人垣が割れ、モーゼみたいに道が開いていくのだ。


 無数の視線が、値踏みするように、あるいは粘つくような好奇心で、俺たち、特にレオナに突き刺さる。

 何が起こっているかは、彼らのひそひそ声を聞けばすぐにわかった。


「おい、見ろよ…『コソ泥レオナ』だ」

「やべえ、マジでエロコスしてるじゃん。あれ、体のライン全部わかるだろ…」

「ちょっと俺トイレ行ってくるわ」

「隣にいるのが『飼い主』の湊か。ただの地味な奴だと思ってたけど、やるなあ…」

「拠点で夜な夜な『調教』してるってマジか?」

「『雌犬レオナ』ってこと!?」

「ストリップを躍らせながら飯食ってたって話もあるぜ」

「「「オッホ」」」


 男子生徒どもの下品な笑い声。一方で、女子生徒たちも遠巻きにこちらを見ている。


「信じられない、あんな格好で歩かせて……、罰にしてもひどすぎない?」

「でも、ちょっと羨ましいかも…あのスタイル…」

「わかる。あれ着こなせるの、島中で彼女だけでしょ」


 羨望、嫉妬、軽蔑、そして性的好奇心。ありとあらゆる感情の濁流が、俺たちにまとわりつく。

 さすが陵南だ。話を広めるだけ広めて、尾ひれどころか羽までつけてくれている。期待を裏切らないクズっぷりだ。別に俺は何を言われても構わないが、レオナはどうかと隣の顔色を窺うと、意外にも昨日とは打って変わって涼しげな顔をしていた。


「コソ泥レオナに引き続き、雌犬レオナか。言われたい放題だな、お前」

「誰のせいだと思ってるわけ? でも本当に犬としてここを通るかもしれなかったと思うとまだましね。陰口をたたかれる程度なら気にもならないわ」


 つまらん。イジリ甲斐が全くないじゃないか。想像以上に精神が太いらしい。


 俺たちはそんな視線のシャワーを浴びながら露店街を抜け、リスポーン地点に向かった。その横で、露店を開いていた土田が、こちらに気づいて手を振ってくる。


「湊、お前やっぱ最高だわ! 坂井たちを言いくるめて、設計図まで強請ったんだろ? 俺、話聞いた時マジで笑ったぜ。指名手配の懸賞金を、なんで当人のいるチームに払うんだよ。マジで馬鹿だな、あいつら」


 けらけらと笑う土田に、俺はセーフゾーンの状況について聞き出す。


「で、例の噂の進捗はどうだ?」

「ああ、バッチリだぜ。お前の計画通り、『レオナは何も知らなかった可哀想な帰国子女で、今は湊の管理下で真面目に更生中』って話が広まってる。昨日お前らが陵南の連中を返り討ちにしたって話も相まって、今はどのチームも迂闊に手を出せない、一種の『触るな危険』状態になってるな。討伐隊の動きも完全に止まったみたいだ」

「そうか。それでいい」

「ああ、それと、これ。約束の懸賞金と、例のブツだ」


 そう言って土田が差し出してきたのは、ずっしりと重い魔石の袋と、一枚の羊皮紙だった。昨日の戦利品、『高性能な杖の設計図』だ。


「坂井の奴、マジで悔しそうに泣きながら渡してきたぜ。『あいつは悪魔だ』ってさ。実際、お前の評判も『ドSの変態調教師』とか、大概なことになってるぞ」

「よし、坂井のチームとその系列の拠点は、そのうち潰そう」


 俺が冷たく言い放つのを聞きながら、土田は「こわっ」と肩をすくめた。

 俺は土田の露店の横で設計図を広げ、どのような杖なのか、どのような材料が必要なのかを確認する。レオナは手持ち無沙汰だったのか、土田の露店にちょこんと座り、彼の接客を手伝い始めた。

 時折、リスポーンしたての生徒が、迷わず土田の露店に駆け寄ってくる。男はレオナの姿を見て鼻の下を伸ばし、女は顔を赤らめて凝視する。だが、土田が事情を説明してやると、彼らは一様に驚いた顔をした後、同情的な眼差しでレオナを見た。


「そうだったのか…。大変だったな」

「ある意味被害者なのね」

「レオナさん、頑張れよ!」


 最初はぽかんとした顔で戸惑っていたレオナだったが、次々とかけられる応援の声に、時折目元を拭いながらも、「…は、はい! 頑張ります!」と笑顔を見せるようになっていた。その姿は、昨日までの彼女とは別人のように、庇護欲をそそる健気なヒロインそのものだった。どうやら計画は順調らしい。


 俺はその様子をしり目に、手に入れた設計図の鑑定に集中する。これでゴミみたいな杖だったら、今から坂井の拠点に襲撃をかけるところだ。


【設計図:森王の枝杖しんおうのしじょう


 設計図に描かれていたのは、単なる杖ではなかった。

 古の森を司る王が持っていたという設定の杖。流麗な曲線を描く本体に、魔力経路となるルーン文字がびっしりと刻まれ、先端には嵌め込まれた魔石の魔力を増幅させるための、複雑な機構が描かれている。


 基本性能: 術者の魔力消費を大幅に軽減し、魔法の詠唱速度を加速させる。

 固有能力ユニークスキル: マナドレイン。周囲の自然(木々や大地)から魔素マナを吸収し、術者の魔力に変換する。特に森の中では、ほぼ無限に魔法を放つことが可能になる。


「……とんでもない代物じゃないか」


 坂井の奴、よくこんなもの序盤から持っていたな。ドロップ運がいいのか? 拠点襲撃する時が楽しみだ。とにかくこれさえあれば、レオナは文字通り無尽蔵の砲台になる。

 だが、問題は素材だ。


 必要素材:

 千年杉の心材 × 30

 アーマーボアの上質ななめし革 × 50

 グリフォンの風切り羽 × 10

『凍結水晶』 × 5


 最後の素材名を見て、俺は深くため息をついた。素材の数が多いのは問題ではない、そのあたりは俺のクラフト技術でいくらでも軽減できる。だが、量を減らすことはできても、必要な素材をゼロにすることはできない。

 森で手に入る素材だけでは、この杖は完成しない。最後の『凍結水晶』は寒冷地でしか産出しないからだ。この島で寒冷地と言えるのは、島の中心にそびえる雪山のみ。そして、名称が『』でくくられているということは、極めて希少な鉱石だということを示している。


 なんで森王って書いてるのに、凍結水晶がいるんだよ、ふざけんな。

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