レオナ襲来
俺は後悔していた。
人助けなどするものではないのだ。前回の演習でそれは嫌と言うほど学んだはずなのに、どうやら俺の脳は三歩歩くと忘れるニワトリ並みらしい。
このサバイバル演習では、善意は利用されるためにある。恩は仇で返されるのが常だ。
それは今この瞬間、俺の胸に鈍い衝撃と共に突き立てられた木の槍が、その典型的な結末だった。
「…………」
目の前には、昨日助けたはずの少女――レオナが、鬼のような形相で立っている。
演習四日目の早朝。俺が拠点で朝食の準備をしていた時のことだ。来訪者を告げる自作の呼び鈴が鳴り、警戒しながら扉を開けた瞬間、彼女は間髪入れずに心臓目掛けて槍を突き出してきたのだ。
「なんのマネだ…?」
俺が絞り出した声に、レオナは唇を噛みしめる。
「うるさい! お前のせいだ! お前があんな食料を寄越すから…! みんな、私が誰かから支援を受けてると思って、ますます私を…!」
支離滅裂な言い分だ。だが、その瞳に宿るのは純粋な殺意ではなく、追い詰められた獣のような恐怖と焦りだった。
「とにかく、中で話を聞くよ」
俺がこともなげに言い後ろ向きに数歩下がると、レオナは一瞬怯んだ。だが、槍を突き立てた相手が平然としていることに逆上したのか、「なめるな!」と叫んで、大きく室内に踏み込み、槍に体重をかけてくる。
ガギンッ、と硬質な音が響いた。
槍の先端が、俺の服の下に仕込んだ自作のプロテクター――廃都市の鉄板と
「なっ…!?」
驚愕に目を見開くレオナ。その隙を、俺は見逃さない。
「だから、中で聞くと言ったんだ」
俺は体勢を崩した彼女の肩を引き、拠点の中に招き入れた。正確には、入り口の床に一歩、足を踏み込ませた。
その瞬間。
レオナの足元の床が抜け、隠されていたネットが、彼女の身体を寸分の隙なく絡め取る。
「きゃあっ!?」
悲鳴と共に、ネットに捕らえられたレオナの身体が天井に吊り上げられた。昨夜、侵入者を想定して仕掛けておいた、拘束用トラップだ。
「……さて、と」
天井から吊るされ、もがけばもがくほどネットが食い込む下着姿のレオナを尻目に、俺はコンロに魔法で火をつけ、昨日の残りの鹿肉を焼き始めた。ジュウ、と肉の焼ける香ばしい匂いが、狭い拠点に充満する。
「な、なによ! 降ろしなさいよ、この変態!」
「変態に助けを乞うのか? 状況を理解しろ。生かすも殺すも俺の気分次第だ。何ならここでお前をオカズにしてやってもいいんだぞ」
「くっ…! 殺せ!」
俺は熱いコーヒーと焼きたての鹿肉を食べながら、思いがけず捕まった天井の獲物を眺めた。
まったく、去年の『あいつ』を思い出す。
前回の演習、俺はとあるチームに所属していた。俺の作る道具や罠はチームを何度も窮地から救い、島内ランキングのリーダーボードにあと少しで手が届きそうだった。リーダーだった『あいつ』は、俺を「最高の相棒だ」と褒めそやし、俺もその言葉を信じていた。
最終盤、俺はチームの勝利を決定づける切り札として、強力なゴーレムを使役する特殊な札を開発した。チーム全員で島中の素材をかき集め、完成したその札をいよいよ使う段階になって、『あいつ』その設計図と完成品を持ち逃げし、敵チームに寝返った。俺たちのチームは為す術なく自分体が使役するはずだったゴーレムに蹂躙され、俺は最後に、自分が作った道具で武装した『あいつ』に、笑いながらリスポーン送りにされた。
善意も、信頼も、才能も、全て利用されるためにある。
この演習が始まってから、俺はその教訓を片時も忘れたことはなかった。だから、もしかしたらと思い、昨夜も拠点に二重三重の罠を仕掛けて眠ったのだ。
その結果は今目の前に広がっている。
「うぅ……ひっく…」
朝食を食べ終わり、思考の海から引き戻したのは、レオナのすすり泣く声だった。
見上げると、レオナがもがくのをやめ、顔を真っ赤にして、大粒の涙をぽろぽろとこぼしていた。その姿は、最強の戦士というより、迷子の子供だ。
俺はため息をついた。
「お前、フローラ女学院のレオナだろ。なんで三日もたつのに下着姿なんだ。お前、米国のエリートなんだろ? 魔物でもそこそこ狩っていれば、ランキング上位を狙えたはずだ」
「……拠点とか武器とか作ったことない」
その問いに、レオナはぽつり、ぽつりと語り始めた。
今までいた国では、サバイバルではなく、組織防衛の演習がメインだと言うこと。そこでは高度に分業化され拠点作成、装備品作成、食料作成などなど個々人の適性に合わせた業務をいかに連携させるかに主眼が置かれていたこと。自分は戦闘要員として、戦うことだけを求められ、教えられてきたこと。戦闘力さえあれば、誰からも認められ、褒められたこと。
だが、個のサバイバル能力が重視される日本では、戦闘力だけでは「荒事以外役に立たないお荷物」として、鉄砲玉の役割以外にどのチームにも入れてもらえなかったこと。
そして、生きるために仕方なく、こっそり他人の拠点から食料を盗んでいたら、すぐに見つかり「略奪者」として指名手配されてしまったこと。
「誰も、私を必要としてくれない。戦うことしかできない私は、ここではいらない子なのよ……。下着姿でゴーレムに突撃しろと言われて、はいそうですかと言えるほど私はできた人間じゃないわ」
なるほどな。まあその境遇なら略奪者に身をやつすのもわからなくはない。俺はもっとうまくやるけどな。
こいつは、一人じゃ生きていけないのか。
拠点を築き、食料を確保し、生きる術を自前で用意できる俺とは、真逆だ。
だが、同時に思う。
俺は一人で生きていける。だが、去年のように、巨大な組織に狙われたら? 俺の知恵だけでは、圧倒的な数の暴力の前に、いずれは潰されるだろう。
俺に足りないのは、圧倒的な「力」。
こいつに足りないのは、生き抜くための「知恵」。
俺たちは、互いに持っていないものを、相手が持っている。
その事実に気づいた時、俺の頭に、ある一つの、非常に面倒くさくて、非合理的で、そして、とてつもなく魅力的なアイデアが浮かびかけた。
……ダメだ。去年の二の舞はごめんだ。一人で生きていくと決めただろ。
「とりあえず、罰としてお前は一日そこで吊るされてろ」
「なっ…ま、待ちなさいよ! 話はまだ…!」
引き止めるレオナの声を背中で聞き流し、俺は拠点の外に出た。
---
拠点を後にして、俺は北の森を抜けて南下していた。
目的は、演習開始地点でもあるセーフゾーンだ。
この三日間、拠点を設営する過程で出た余剰資材や、不要な魔物の素材などが溜まってきた。これらを売って、森では手に入れにくい素材や、まだ持っていない便利な道具の「設計図」を手に入れたい。
そのためには他の生徒たちが開いている「露店」を、一度見ておく必要があった。これらの露店は基本的にセーフゾーンで開かれており、PKによる略奪のリスクなく安全に取引ができるため、序盤から終盤まで多くの生徒でごった返している。
一時間ほど歩くと、森の木々が途切れ、開けた平原に出た。その中央に、演習開始時にいた巨大な転送ゲートの残骸が見える。その周辺が、さながらフリーマーケットのように賑わっていた。
地面にシートを広げ、自慢のクラフト品や収集した素材を並べる生徒たち。武器ばかり並べた戦闘狂の集団、建材ばかりを集めた建築チーム、そして、畑で採れたであろう野菜を売る農業特化のチームまでいる。なるほど、これが今の島の経済か。
俺は目立たないようにフードを深くかぶり、目当ての「ジャンク屋」のような露店に向かう。店主は同じ高校の生徒だったが、特に話しかけることはしない。最低限の言葉で交渉し、持ってきた不用品をそこそこの値段で売り払う。そして、目当てだった廃都市産の素材と、ずっと欲しかった「浄水器の設計図」を手に入れた。これを持ち帰って設置すれば、飲み水で腹を壊すリスクがなくなり、拠点での生活がさらに快適になる。完璧だ。
必要な素材も露店を巡りすべて手に入れようと、市をめぐるが、人混みの中で他の生徒たちの会話が耳に入る。
「聞いたか? 『閃光のレオナ』が略奪者になったらしいぜ」
「ああ、聞いた。複数のチームが合同で捜索隊を組んでるって話だ。数日は見つかり次第リスポーン送りだろうな」
「討伐隊の奴が、装備全部剥いでやるって息巻いてたけどまあ、自業自得だろ。エリートって聞いてたけどなぁ」
……だろうな。
俺は心の中で毒づく。やはり、関わるべきではなかった。俺が彼女を匿っていることがバレたら、今度は俺自身が指名手配犯の仲間入りだ。たまったもんじゃない。
目的は果たした。すぐに拠点に戻ろう。
ふと、セーフゾーンに設置されている初期リスポーン地点に目をやった。石造りのトーテムが魔力で妖しく明滅している。レオナも俺がリスポーン送りにすればあそこから出てくることになるのか。そう思って見ていると、トーテムが強い光を発し、口の部分からぶえっと下着姿の女生徒を吐き出した。誰かがやられたらしい。
やがて彼女はよろよろと立ち上がると、ちょうど俺から死角になる位置からかかった、聞き覚えのある声の方に近寄っていった。女生徒はその声の主と何やら話し始め、再び視界に入ってきた時には、簡素な服を着ていた。
まさかと思い近寄ってみると、そこにはクラスメイトの土田が、小さな露店を開いていた。
その看板にはこう書かれている。『リスポーン直後サポートセット(服・水・携帯食料・武器)掛け売りします! 情報交換・雑談歓迎!』
(あのバカ、本当にやりやがった…!)
開会式で俺が冗談半分で言った、「リスポーンビジネス」を、こいつは本当に実践しているのだ。しかも、ただ物を売るだけじゃない。リスポーン直後の無防備で心細い相手に親切にすることで、「信用」を稼ぎ、そこから「情報」を得ている。なんて効率的なんだ。
土田もこちらに気が付いたのか、大きく手招きをする。
「よう、儲かってるみたいじゃないか」
俺が近づくと、土田は満面の笑みで肩を組んできた。
「湊マジでありがとな! この商売マジでぼろいわ。初期投資がいるけど一回回り始めたらもう濡れ手に粟よ。てか掛け売りって発想が神がかってる。演習中だけじゃなくて、演習後のことも掛けにできるようにしたら、合コンの約束2回とフローラ女学院の文化祭チケットも手に入れちゃったのよ。安心しろ、発案者の湊もその分け前に与らせてやる」
「まさか、俺からリスポーンセットの金もらおうとはしないよな?」
「リスポーンセットは経費かかってるから勘弁してくれ。……そうだな、お前には特別に、ここで得た情報はタダでやろう。まだたいして集まってないけど、後半になるにつれて重要度は増すはずだ」
土田の案は非常においしい話だった。確かにこいつが情報屋ムーブをしてくれるなら、俺はわざわざ危険を冒してセーフゾーンに来る必要もなくなる。欲を言えば、俺が作ったものを売ったり、必要な素材を買ってきたりするパシリにもなってほしいところだ。
その旨を伝えると、土田は「手間賃くれるならOK」と快諾した。話が早い。
「んじゃ、さっそく最初の依頼だ。俺の拠点までついてこい。場所を教える」
「りょーかい。あ、道すがら、今わかってる情報渡しとくな」
俺たちはセーフゾーンを後にし、土田と一緒に森の中を突き進んでいた。
道中、土田は立て板に水のごとく情報をまくしたてる。現在島で最大勢力を誇っているのは、島の南側にある湿地帯を根城にする戦闘狂で有名な
「で、お前の拠点はどこなんだよ。この辺、魔物も多いし結構危ないぞ」
「もう着く。ここだ」
俺は巧みにカモフラージュされた岩壁の一部を押し、隠し扉を開ける。
「うおっ、すげぇ! まるで秘密基地じゃん!」
目を輝かせる土田を拠点に招き入れる。薄暗いが、整理された作業台、備蓄された食料、そして燃え続けるコンロの火を見て、土田はさらに感嘆の声を上げた。
「お前、マジでソロでこれ作ったのかよ…。すげぇな」
「まあな。それで、話の続きだが…」
俺が言葉を続けようとした時、土田が何かに気づいたように「あ、そういえば」と口を開いた。
「今、島で一番話題の『閃光のレオナ』の件なんだけどさ。なんでも、略奪がバレて…」
「私が、なんだって?」
薄暗い拠点の天井から、冷たく、そして恐ろしくプライドの高い声が降ってきた。
「ひっ…!?」
土田が小さな悲鳴を上げて天井を見上げる。
そこには、ネットに雁字搦めにされ、宙吊りにされた下着姿のレオナが、鬼のような形相で俺たちを睨みつけていた。
数秒の沈黙。
状況を完全に理解した土田は、驚愕から一転、腹を抱えて笑い出しそうなのを必死にこらえ、尊敬の眼差しで俺を見た。
「……湊のむっつりスケベにはかなわねえわ。サバイバル演習に来て、女吊るして飼ってるよ、こいつ……」
「好きで飼われてるわけじゃないわよ!」
レオナの顔が羞恥と怒りで赤くなる。
俺は、ただただ、頭を抱えた。
(忘れてた……)
俺の穏やかなソロ生活は、どうやら本当に、完全に、終わったらしい。
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