第4章 痾裡栖─アリス 第1節 2/4

「空想が現実を侵蝕する——捨てられた願いとは一方通行の関係性ではないのだ。捨てられた願いにだって叛逆する道理はある……なるほど、同じ現象ではあるが、あの廃ビルの一件とは違って、これはこれで興味深い」

 

 白髪の魔術師が感心したような独り言を呟く。

 空に浮かぶは白い魚影。次第にその姿ははっきりと輪郭を作り出し、こちらに近づいてくる。

 

「おい、このままだと落ちてくるぞっ!」

 

「そうだな、タイムリミットは十分と言ったところか」

 

「クソっ! 止めやがれテメェ‼︎」

 

 浄は寝具を踏み台にして飛び上がり、手にした『牙』を以て魔術師に斬りかかる——。

 

「魔力遮断——厄介なものだ。おかげでルーン手袋を一つ無駄にしてしまったよ。まったく……ここで戦うつもりはないと言ったろうに。」

 

 片手で浄の攻撃を掴み抑えながら、シャルディーンは窓を開けて枠に足を掛ける。

 

「尽力すれば生きながらえるだろう。せいぜい頑張りたまえ」

 

 そのまま外套を靡かせ身を投げ出した。慌てて浄は身を乗り出して男を探すも、すでに奴はその痕跡一つすら残さず消えていた。

 

「逃げられた……ッ!」

 

「焦るな。まずはこの窮地を脱することが先決だ」

 

「しかしどうするんです? ワタシたち全員の力を以てしても止められそうにはないですが」

 

「浄、お前の力なら元を断ち切ることができるだろう。要は振り出しに戻っただけだ。感染者とされる患者を調べ、怪異を直接祓う。時間による制限はあるがな、やることは変わらん」

 

「とは言っても、どうやって見つけるんすか。一人一人片っ端からやっていっては間に合わねェでしょうに」

 

「ああ、だから一気に終わらせる」

 

「なに? さっきと言ってることが違——」

 

「いやいや、位置が掴みにくいだけで、できないとは言ってないぞ? 私も無意味にお前らの会話を聞いてたわけではない。ここに居るのがわかるのなら、あとは隈なく魔力を這わせれば良いだけだ。——今奴を顕現させる。後の始末は二人に任せたぞ」

 

「はっ——なんだ、そりゃ」

 

 渇いた笑い声とともに、浄は窓の先へ視線を向ける。

 その瞬間に割れるような地響きがした。そこに現れるは黒衣の少女。金髪碧眼、さながら御伽噺の主人公ヒロインのようだった。

 

「そら行け。時間がないからな。妹の方は私に任せろ」

 

 

 

 二人の生徒は窓を飛び降りて急降下し、眼前に映る少女と対峙する。

 

「はじめまして、私はアリスよ。あなたたちのお名前は?」

 

 意外にも、怪異の少女は丁寧な挨拶で彼らを迎えた。

 

「……あら? 返してくださらないんですの? 残念ですわ」

 

「……テメェが河奈に憑きやがった薄汚い怪異か」

 

「ええそうよ。私は復讐の代理人、忘れられたモノの怨嗟を調律する指揮者。そして、あなたたちの敵よ」

 

「ならもうおしゃべりはいらねェな。わりぃがこっちも時間がねェんだ」

 

「そうおっしゃるのなら、仕方がありませんわ」

 

 天上に翳された少女の右手——そこに大きな力が集まってくるのを感じた。

 

「さあ——楽しいお遊戯を、はじめましょう?」

 

 

  ◇

 

 

「なんじゃあああ‼︎」

 

 阿鼻叫喚の病室、慌ただしく廊下を駆け回るナースたち。異変は一瞬にして訪れた。

 

「どうかされましたか⁈」

 

 ナースの一人が男に近付いた。

 

「オフクロが……亡くなったオフクロが居るんだよ……‼︎ もう、二度と逢えねえと思ってたのに……‼︎」

 

 目の前で泣きだす男を見てナースは苦笑いを浮かべていた。辺りを見渡したってそのような存在は見つからない。

 夢との区別がつかなくなったのか、はたまた幻覚を見ているのかはわからないが、患者の気分を損ねないようにナースはそれっぽい言葉で対応しようと試みた。

 

「そうなんですか! よかったですねー」

 

 だがその言葉の選択は間違いであった。

 

「ちげぇんだ……ちげぇんだ……オフクロが、オフクロが俺の首を絞めてくるんだよォー‼︎」

 

 途端に身体を捩らせる男。口は餌を求める鯉のようにぱくぱくとさせ必死に呼吸しようとする。

 

「悪かったッ……オレが悪かったからやめてくれよォ‼︎ お願いだァ……‼︎」

 

 このような惨状はなにもここだけでの話ではない。

 病院のあちこちで同じような現象が起こり、場は混沌の渦を巻いていた。

 

「ああそうだ、あの子の側にいるのはオレのはずだったんだ!」

 

「やめて! そんな……そんな私を見せないで! とっくに諦めたものなのに!」

 

 幻覚を見ているのは怪異による原因不明の感染症に罹った者たちであった。

 となればやはりこの現象は怪異に依るもの——その特性とはなんだ?

 

「私の目の前にも……‼︎ あれは小さい頃の私?」

 

「……私の側から離れるな」

 

 八敷先生は外套から呪符を取り出して幼き河奈と対峙した。

 

「どうしてわたしを捨ててしまったの? どうしてわたしを置いていってしまったの? ねえどうして————」

 

 幼き河奈が現在いまの河奈に問いかける。

 その言葉の裏に潜むのは怨恨の音。振り撒く呪いは聞く者の心を蝕むようで、そこに赦しを与える隙はなかった。

 

「だって……そんなの子供のことの話でしょう⁈ 今の私はそんなこと全然思ってない! 夢が変わって何が悪いって言うの!」

 

「じゃあわたしの存在は嘘だったって言うの? 本気じゃなかったって言うの? あんなに……あんなに憧れていたのに!」

 

「待て、おまえが対峙しているそれはなんなのだ……?」

 

 二人の問答の輪郭が不明瞭で話をうまく咀嚼できない先生が割り込んで質問した。

 

「あれは子供の夢なんです。さっき言った通り、私の小さい頃の夢はパン屋だった。でもそれは、小さい子供だったら誰でも見るような突拍子もない戯言のはずだった。なのにアイツはそれをネチネチと……‼︎」

 

 河奈からは恐れにも似た怒りによって額から汗を流していた。

 

「つまりアレらは過去にあった願望の再現……だがそれにしては悪意に満ち溢れている」

 

「そうね。わたしたちは単なる過去の再現じゃない。人間から発露される感情、性格はその時によって変化していく。しかしそれらは消えるわけじゃなくて脳に刻まれ蓄積されていく。そういった叶わなかった願いへの後悔や憤りこそがわたしたちの本質なのよ」

 

「そうか、ならばその禍根を断ってやろう。亡霊に今を妨げる権利はない」

 

 呪符の効果による加速。瞬時に背後へ回って肉弾戦を仕掛ける。

 風切りの音、大腿を強くしならせた回し蹴り。だがその両者との間に障壁が現れた。

 

「なっ……爆発っ⁈」

 

 間一髪で勘づいたため直撃は避けた。しかし彼女のズボンは焦げ、焼き切れた跡が見える。

 狭い室内とあっては自由に動くこともままならないが、今一度少女を観察するために距離を取る。

 

「周囲に浮かんでいる塵……粉塵爆発か?」

 

 凝視すると幼き河奈を中心に白い塵のようなものが滞留していた。

 

「ええそうよ、わたしは河奈の『パン屋の夢』の部分。だから能力としては小麦粉を扱うみたい」

 

 接近戦は危険か。遠距離に攻撃しようにも周囲に被害の及ばぬよう注意を払う必要がある。いっそ梵辿刻書を消費して空間閉じ込めるのもアリか?

 

「わたしを相手するのはいいけど、それよりも先にやるべきことがあるのではないかしら?」

 

 その言葉に促されるようにして八敷先生は周囲を見渡す。

 わかっていたとも————優先すべきは。

 

「手間はかけない。最短で戻ってくればいい」

 

 口から漏れた言葉が二人の河奈の耳に届くより先にビジョンはズレていた。

 最短にして最速。縦横無尽にして横行覇道。病院内、最上階のここから最下階まで悉くを刈って、狩る。


「——疾いッ!」

 

 いくつもの残像が周囲を囲う様を幼き河奈は見ていることしかできなかった。

 そして気づいた時には——。


「う、動けない……なにがっ……⁈」

 

「私は美佳と違って空に敷く魔術は苦手なのでな。いちいち地面に書き込んで結界を張らねばならんのだ」

 

 床に刻まれた模様付きの二重円——魔法陣から伸びた魔力の縄が中心の人物を拘束する。

 

「解くのには七分かかると言ったところだろう。その間に、この病院の全ての怪異を殺す」

 

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