第四章 第一話
時の流れは早いもので、
それだけの時間をここで過ごしていると、毎日のように足を運んでいる庭の景色も、ふとした瞬間に変化を感じる。木々の葉の色が変わり、来た頃とは異なる種類の花が咲いていた。日々の忙しさにばかり目を向けていると、見落としてしまうかもしれない小さな変化ばかりだけれど、それでも着実に季節は巡っている。
この日、
池に映っているのは、弟の
鏡池の存在を知ってからというもの、たまにこうやって鏡池に足を運んでは、
今、
鏡池で
けれど、今は安心して
少し寂しい気持ちはあるけれど、
「頑張ってるね、
向こうに届かないとわかっていても、声に出して言う。
できることなら直接面と向かって、褒めてあげたかった。
想像しているうちに、胸がきゅっと締め付けられた。
それから、数日後のことだった。
自分が担当するお客さんの名簿を見るため事務室へ行くと、
「
いつになく興奮した様子の
「彩の国に帰れるぞ」
突然の話に、
「えっ、帰れるんですか?」
上ずった声で聞き返すと、
「あーいやいや、一時的にって話だからな。向こうにいられるのも三日くらいだ」
もちろん、
「いえ、それでも全然嬉しいです。もしかして、船が出るんですか?」
以前、宿がある月ヶ島と彩の国を往復する船がたまに出ていると聞いたことはあった。けれど、それもごく稀で不定期なものだという。
「七日後の早朝に海にある桟橋から出るらしい。お前が望むなら、乗せてもらえるよう向こうに頼んでおく」
向こうというのは、おそらく黄泉の国のどこかしらだろう。
「はい、ぜひお願いします! あ、でもその間、ここでの仕事はお休みをいただくことになってしまうんですが、大丈夫でしょうか?」
「気にせず、ゆっくりしてこい。次にいつ船が出るかも、わからないからな。家族にだって久しぶりに会いたいだろう?」
「そうですね……」
「ありがとうございます。お言葉に甘えて、帰省してきます。帰ってきたらその分一生懸命、働きますね!」
「ああ、頼んだぞ」
それから
何かお土産を買ってから帰ろうか。向こうは何も知らないのだから急に帰ったら、きっと
話したいことはたくさんあるけれど、何を話すか決めておかないと大事なことを忘れてしまいそうだ。
あれこれ考えを巡らせているうちに、帰省の日がどんどん待ち遠しくなっていった。
彩の国への帰省が明後日に迫ったその日。
もう何人ものお客さんを迎えては見送ってきたけれど、お客さんを待つこの時間はいつも緊張する。
ちりんと、来訪を告げる風鈴の音がした。
光の中から出てきたのは、半妖の女の子だ。名簿に猫族と書いてあったとおり、三角の耳と長い尻尾がついている。
歳は、数だけを見れば
「
名前を呼ぶと、
少しして目の焦点が合うようになったかと思うと、
「ここ、どこ?」
「
「宿? なんで、あたしこんなところにいるんだっけ?」
首を捻った
「……そっか、あたし死んじゃったんだ」
残念そうという表現が一番ぴったりくるような言い方だった。わめくでもなく暴れるでもなく、あっけなく終わってしまったことを寂しく思う、そんなふうに見えた。
名簿には詳しく書かれていなかったけれど、
自分と同年代の子が早くもその一生を終え、心残りを持ってこの宿に来ている。そして、自分は従業員として迎えていることを思うと、
「
「ある事情って?」
「ここに来るお客様は、みなさん何かしら心残りを抱えている方です。わたしたちは、その心残りを晴らすお手伝いをさせていただければと思っています」
「へえ、なるほど。心残りねぇ。じゃあ、あたしも心残りがあるせいで、この宿に来たってことか」
「どんなことでもご相談ください。できる限りのことは叶えられるよう頑張ります」
「うーん、たとえばどんなことならできるの?」
「そうですね。最期に会いたい人を宿にお呼びする、ですとか……」
「いるいる! 会いたい人! それなら、
すべてを言い切らないうちに、
「だって心残りって言ったら、ひとつしか思いつかないし」
この宿に来るお客さんには、心残りに自覚がある人とない人がいる。
「ちなみにその心残りというのは、どんなものなんでしょうか?」
心残りがあってそれが何かはっきりしているのなら、率直に聞いてしまったほうがいい。
「その……
口を挟まずに静かに待っていると、
「す……好きって言おうと思ってたのに、言えないままだったから……」
「なるほど。では、
すごく明確で、素直に応援したくなる内容だった。
「うん、まあ……そういうことなんだけど、手伝ってくれる?」
「もちろんです。ただ……」
期待させた後で言い出すのは忍びないけれど、この宿の決まりをきちんと説明しなくてはならない。
「宿にお呼びしても、ここで過ごした時間はその人の記憶からなくなってしまうんです。それが宿の決まりでして……」
せっかく勇気を出して想いを伝えても、それは忘れられてしまう。
「そうなんだ……決まりなら仕方ないよね」
最初はがっかりした様子で目を伏せた
「それでもあたし、
「わかりました。それなら、わたしも精一杯お手伝いします」
「よし! じゃあ、バシッと告白して、すっきりとした気持ちでこの世とおさらばする!」
「では、さっそく相手の方をお呼びしますね」
「せっかく告白するなら、もう少し可愛い格好で会いたいな」
遠慮がちに言う
お客さんが宿に来るときは、亡くなった当日の格好をしている。
どんな人でも、亡くなり方とは関係なく衣服は綺麗な状態だ。体も仮のものということを思うと、衣服もあくまで再現なのだろうと思う。
「できたら髪もちゃんと整えたいし、化粧もしたい。あと、用意したいものがあるし。呼ぶのはそれからでもいい?」
「大丈夫ですよ。そうしたら服や髪については、他の従業員に相談してみますね」
思いつく人物がひとりいて、
「ねえ、あたしも一緒について行っちゃだめ? ひとりで部屋にいても退屈だし、宿の中を探検してみたいの!」
「わかりました。じゃあ、一緒に行きましょうか」
「やった!」
「あと、もうひとつお願いがあるの」
「はい、なんでしょう?」
「あたしのことは、下の名前で呼んで。あと敬語もなし」
「でも、お客様相手にそれは……」
躊躇う
「いいじゃない、それくらい。告白の手伝いをしてもらうんだから、戦友みたいなものだし。それに見た感じ、あたしたち同い年くらいでしょ?」
「じゃあ……
「
迷って「さん」を付けて呼んだら、すぐに訂正された。
「……
言いながら、
「ふふ、あたしも
最初に挨拶したときに伝えた名前を、
そんな小さな気遣いに
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