第三章 第五話


 二時間ほど、無心で他の仕事を片付けた。

 日が沈んだ頃にぱらぱらと降り出した雨は、時間が経つにつれて本格的に降り出したようだ。台所でひとり洗い終わった食器を拭いていると、雨が地面を打つ音が聞こえてくる。

 作業をしながらも、頭にはやっぱり倫太郎りんたろうたちのことがあった。

 明日、倫太郎りんたろうは晴れ晴れとした気持ちで黄泉の国へ向かえるのだろうか。恵子けいこはすっきりとした気持ちで倫太郎りんたろうを見送り、現実の世界へ戻れるのだろうか。

 他にできることがあるなら、やっておきたい。できることをやらずに明日を迎えたら、自分にとっても心残りになるだろう。

 そもそも二人は本当に一緒の布団で寝られているのだろうか。あの倫太郎りんたろうのことだ、「俺はいいからお前が使え」などと言っていて、一人で畳の上でごろ寝していてもおかしくない。

 嘘までついて自分から提案したことだけに気掛かりだ。しかし、お客さんが一緒の布団で寝られているかどうか、探りを入れようとすること自体、まずい行動な気もする。従業員としてどうなのだろう。それなら、そもそもあんな提案をするなという話なのだけれど。

 悶々と考えた末に、れもん白湯を持っていくついでに様子を見にいくことにした。良質な睡眠をもたらす効果があるので、お休み前にいかがですかという建前も用意した。

 れもん白湯を訪問の免罪符のように掲げ、部屋の前にやって来る。

 すると、中から二人の話し声が聞こえてきた。


「一緒に入ると温かいものね」

「……そうだな」

「最後の夜くらい、ゆっくり一人で寝たかったでしょう?」

「別に、どっちでもいいさ」


 恵子けいこの柔らかい声のあとに、やや堅苦しい倫太郎りんたろうの声が続く。どうやら、二人は一緒の布団に入ることができたようだ。襖の前で、安堵の息がこぼれる。


「今夜くらいは我慢してください。これから私は一人で寝ることになるんですから」

「ふん。そんなこと言って、お前は俺がいなくなったって寂しくなんかないくせに」


 また何やら雲行きが怪しくなってきた。立ち聞きなどよくないとはわかっているけれど、襖に耳を近づけてしまう。


「そんなことありません。寂しいですよ」

「嘘つけ。俺が死んだってのに、笑顔で世間話して、飯食って、小説なんて読んでただろう」

「まるで見ていたような言い方ですね」


 倫太郎りんたろうはぎくりとしたのか口を閉ざし、沈黙が流れる。

 その後で開き直ったような倫太郎りんたろうの声が続いた。


「ああ、そうだよ。見てたんだ。宿にお願いして、現世でのお前の姿を見してもらったんだ」

「あら、そうだったんですか」


 恵子けいこの声からは、小さな驚きだけが感じ取れた。


「……それはだって、あなたがいつも言っていたからじゃない。どんな悲しいことがあっても、仕事相手には笑顔で接して、よく食べて、よく休めって」

「じゃあ、なんだお前……その言いつけを守ってたっつうのか」

「毎日のように言われたら、身体に染みついてしまうものなんですよ。何年一緒にいると思ってるんですか」

「そうか……そうだな」


 短い相槌からだけでも、倫太郎りんたろうが喜んでいるのがわかった。なつめが聞いてもそう感じるのだから、きっと恵子けいこにも伝わっているだろう。


「なあ、恵子けいこ

「はい?」

「……今までずっと、連れ添ってくれてありがとな」


 なつめは、ハッと息を呑んだ。

 一瞬の間のあとで、恵子けいこがふふっと笑った。


「お前っ……笑うことはねえだろう」

「ごめんなさい。嬉しくて。まさか恥ずかしがり屋のあなたから、そんな言葉が聞けると思ってなかったわ」

「一緒の布団で寝るなんてのに比べたら、礼のひとつ言うくらい、なんでねえと思ったんだよ」

「ふふ、そうかもしれませんね」


 傍に置いた盆の上の急須から、れもんの香りがふんわりと漂っている。邪魔をしたくなくて、なつめは音を立てないように気をつけながら、そっと引き上げた。



 その後、夜も更けた頃になって、ようやく一日の仕事を終えた。

 本当はもう少し早くあがる予定だったのだが、急遽妖の館に助っ人として駆り出されたために遅い時間になってしまった。猫の妖のお客さんをお風呂に入れようとして逃げられたので、探すのを手伝ってほしいとお願いされたのだ。従業員総出で捜索にあたり、つい先ほど無事発見された。今、猫様は入浴中だ。


 自分自身もお風呂に向かい、疲れきった体で自室に戻ってきたなつめは、すぐに異変に気付いた。どこからか、水滴が跳ねるような音が聞こえてくる。よく見ると、天井が雨漏りしているようで、その下にある布団を濡らしていた。


「ええっ、どうしよう……」


 布団を確かめてみるが、手遅れだった。すでにかなりの水を吸っているようで、とてもこの上で眠れるような状態ではない。

 今夜は布団なしで過ごそうか。そんな考えが過るけれど、雨のせいか気温が下がっている。夜が深まるほど、さらに寒くなることは明らかだった。


「そうだ、あの布団……」


 倫太郎りんたろうたちのために用意していた布団のうち、使わなかった片方が残っているかもしれない。お客様用の布団を使うのはよくないが、緊急事態だから許してもらえるだろう。

 なつめは布団を求めて、広間へ向かうことにした。夜間は建物内でも行灯の火なども落とされるので暗い。火の玉を呼んで、一緒に来てくれるようお願いした。

 しかし、広間を探してみても、布団は見つからなかった。他のお客さん用に持っていかれてしまったのかもしれない。


「どうしよう。夜も遅いし、あまり探し回るのも迷惑だよね……」


 ひとり言のように呟きながら、あてもなく廊下を進む。すると、反対側から伊智いちあきらが歩いてくるのが見えた。


「あれ? 二人して、どうしたの?」


 めずらしい組み合わせだなと思いつつ、声をかける。二人の傍にも火の玉がいるので集まると、だいぶ明るくなった。


「それがさ、また小腹が空いて、台所を漁ってたんだけど。そしたら、今度は伊智いちさんに出くわして」


 あきらが肩を揺らしながら笑う。


「俺は、別に盗み食いしにいったわけじゃないからね」


 一緒にされるのが嫌なのか、伊智いちが少し不満そうに付け足す。


なつめは、どうしたの?」

「それが、実は……」


 なつめは、部屋の雨漏りのせいで使える布団を探していることを話した。


「それは大変だね……それなら、ぼくの部屋にくる? 一緒に寝ればいいじゃん」


 あきらから飛び出した提案に、伊智いちの耳がぴくりと反応する。


「ね、そうしよう! いつまでも布団を探し回ってたら、風邪引いちゃうよ!」

「うーん、そうさせてもらおうかな……」

「だめ」


 あきらからの申し出を受けようとすると、それを遮るように伊智いちが言った。


「それは、だめ」


 もう一度、力強く宣言してから、伊智いちなつめの手を掴む。そのまま廊下を歩き出した。


「えっ、ちょっと、伊智いち……」


 戸惑うなつめをよそに、伊智いちはぐいぐいとなつめを引っ張っていく。助けを求めようとあきらを振り返るが、吞気に手を振っている。


「あらら、それじゃあなつめのことお願いしますね。おやすみなさーい」


 伊智いちはまっすぐに前を向いて歩き続け、「どうしたの?」と声をかけても聞く耳を持たなかった。

 なつめは諦めて、ただついて行くことにした。


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