第二章 第四話


 解決の糸口を見つけるため、なつめは事務室にやって来た。

 受付にいることもあるが、兆司ちょうじは大体この部屋にいる。今も事務机の前で、分厚い書類の束と向き合っていた。

 なるべく邪魔しないように気をつけながら、なつめはお客様名簿から佳月かづきのものを探す。宿に滞在中のお客さんの名簿を覗くと、すぐに見つかった。


 お客様名簿は、名前や年齢、家族構成の基本的な情報の他に、どのような一生を過ごしてきたかが記されている。ただし、どんなに長くても二、三枚にまとめてある簡易的な文書なので、詳しいことまではわからない。


 なつめは、佳月かづきの人生を辿るように文字ひとつひとつを頭に刻みながら、じっくり読んでいく。

 津々見つつみ佳月かづき

 彩の国、妖の地の佐々羅郡ささらぐん藤雨村ふじさめむらの生まれ。父親は生まれてすぐに他界しており、母親との二人暮らし。

 貧しいながらも学舎へ通わせてくれた母親に恩返しするため、文官になることを目標にし、卒業後その夢を叶えたそうだ。文官となった三年後に、母親は病気により亡くなっている。


 読み終えると、佳月かづきの柔らかい笑顔が思い起こされた。

りんきん餅は家庭でよく出るものだと伊智いちは言っていたが、佳月かづきが食べたのは母が作ってくれた一度きり。佳月かづきが言う『何か違う』は、母親の味と違うということだろうか。だとしたら、それは再現のしようがない。この宿に呼べる人は生きている者だけであり、すでに亡くなっている佳月かづきの母親をここに招き、作ってもらうこともできない。何か隠し味などがあったとしても、それを知る術もない。


 藁にもすがる想いで名簿を読みに来たけれど、目の前に大きな壁がある気分だった。

 けれど、何か違うと思わせたまま、佳月かづきをこの宿から送り出していいのだろうか。

 悶々と考えを巡らせていると、事務室の襖が開いた。

 「失礼します」と入ってきたのは伊智いちで、兆司ちょうじも慣れた様子で書類に目を落としたま「おう」と答える。


「あれ、なつめもいたんだ」


 伊智いちなつめにもすぐに気づいた。視線だけ向けて、事務机に持ってきたお茶を置く。兆司ちょうじはお礼を言って、ようやく顔を上げると湯のみを手に取った。


「妖たちの宴会のほうはどうだ?」


 兆司ちょうじがお茶をすすりながら尋ねると、伊智いちが息を吐く。


「まだまだって感じですかね。長くなりそうですよ。それにしても最近、俺あっちの助っ人ばかりなんですけど」

「人手が足りないんだ。我慢してくれ。好きなだけ食べて呑んだら、勝手に満足してくれるさ」

「まあ、そういう意味では楽なんですけどね」


 それから伊智いちは、なつめを振り返った。


なつめ、さっきのお菓子どうだった? お客さんに食べてもらったんでしょ?」

「うん、それが……美味しいとは言ってもらえたんだけど……子どもの頃に食べた味となんか違うみたいで」

「なんかって?」

「わからない。でも、やっぱり味なのかな。何かわかるかもと思って、名簿を見にきたの」

「うーん……地方によって、りんきんの味が違うとかあるのかな。ちょっと見せて」


 伊智いちなつめの隣に腰を下ろして、名簿を覗き込む。


佐々羅郡ささらぐん藤雨村ふじさめむら……俺もあんまりよく知らないな」


 名簿から目を上げて、伊智いち兆司ちょうじに話を振った。


兆司ちょうじさん、藤雨村ふじさめむらってどんなところか知ってますか?」

「ん? 藤雨村ふじさめむらっていったら北のほうにある、りんきんが名産の村だろ。ああ、でも確か前に天候不良のせいで、りんきんが育たなくなった時期があったと聞いたことがあるな」


 思わぬ情報に、なつめも会話に加わる。


「それって、いつ頃ですか?」

「んー、二十年前とかそんなところだったか……ちょっと待て、調べてみる」


 兆司ちょうじは本棚に向かって、「歴字引れきじびき!」と呼びかけた。

 すると、その声に応じるかのように分厚い本が一冊、他の本の間からするっと抜け落ちた。畳の上にぽとんと落ちた本は自ら体を起こして、ぴょんぴょんと跳ねながら事務机に近づいてくる。そして、勢いをつけて飛び上がり、机の上に開かれた状態で着地した。

 なつめは驚きつつも興味をそそられ、机に近づいて首を伸ばす。開かれた本には、何も書かれていない。


「彩の国、妖の地の佐々羅郡ささらぐん藤雨村ふじさめむらのりんきん不作について」


 兆司ちょうじが告げると、白紙だった本の上に文字が現れた。今まさに誰かが筆を走らせているかのように、すらすらと文字が記されていく。

 兆司ちょうじが本の文字を読み上げる。


「りんきんの不作は、今から二十年前に始まって三年間は続いたようだな。もともとは家庭に馴染のある食べ物だが、数が極端に減ったことで価格が高騰して、この間は高級品になっていたらしい」


 名簿の生年月日と照らし合わせると、佳月かづきが食べたという時期と重なっていた。希少なものになっていたことを思うと、佳月かづきの母親が手に入れられたかどうか怪しい。

 解決の糸口を掴むどころか遠のいていくのを感じ、なつめは肩を落とした。


「やっぱり記憶違いなのかな。子どもの頃のことだから、よく覚えてないってお客さんも言ってたし……」

 

 そう口にしつつも、なんだか釈然としない。

 言葉とは裏腹に、佳月かづきは意外ときちんと覚えているのではないだろうか。対面で話した直感のようなものだけれど、なつめはそう思っていた。自信がないと言っているのは、間違ったことで店側に迷惑をかけたくないという佳月かづきの性格から来ている気がした。


 そのとき、再び事務室の襖がすっと動いた。控えめに開かれた隙間から、大きな丸い瞳と狐の耳が見える。


「どうした、陽向ひなた


 伊智いちが声をかけると、陽向ひなたは照れ笑いを浮かべながら部屋に入ってくる。


なつめちゃんのこと、探してたんだ」

「え、わたし?」


 陽向ひなたは何かを隠すように後ろ手を組みながら、もじもじと寄ってくる。それから、意を決したように両手をなつめに差し出した。


「これ、この前助けてくれたお礼。絵の具を作るの手伝ってくれてありがとう」


 陽向ひなたの手には、紙で折った花がのっていた。


「え、本当にもらっていいの? ありがとう!」


 なつめが両手を出すと、その上に陽向ひなたが紙の花をのせてくれる。手のひらの上で、黄色い花が咲いたようだった。


「かわいい花。色も綺麗だね」


 褒めると、陽向ひなたの表情がパッと明るくなる。


「折り紙がなかったから、代わりに和紙で作ったんだ」

「へえ、和紙を代わりに」


 和紙でできた花は、特有の柔らかな色合いで質感もしなやかだった。


「こんなかわいい花が作れるなんて、すごいね」

「これくらい簡単だよ」


 謙遜しつつも、陽向ひなたの表情は嬉しそうに緩んでいる。

 微笑ましく思いながらその顔を眺めていると、陽向ひなたの耳がひょこひょこと左右に揺れ動いた。

 すると、その様子を傍観していた兆司ちょうじが、ふっと笑みをこぼした。


陽向ひなた、そう照れるなって」

「照れてないよ!」


 陽向ひなたは勢いよく否定しながら、両耳を手で抑えた。

 どういうことだろうと疑問符を浮かべるなつめに、兆司ちょうじが笑いを堪えながら説明する。


「狐の半妖は、照れると耳が左右に動くんだよ」

「へぇ、そうなんですか」

 

 半妖は照れてもそれが表に出なくてうらやましいと思っていたけれど、実は別のかたちでしっかりと現れるらしい。

 陽向ひなたはまだ両耳を手で隠しながら、恨めしげに兆司ちょうじを見ている。


「いちいち説明しないでよ、兆司ちょうじさん。余計に恥ずかしくなる」

「悪い悪い。ちょっとからかい過ぎたな」 

「もう、なんで勝手に耳が動くんだろう……こんなの僕たち狐族くらいじゃない?」


 不服そうに呟かれた言葉に、同じく狐族である伊智いちが答える。


「人間だって照れたら耳が赤くなるし。あれも、自分の意思じゃないよね?」


 伊智いちが意見を求めるように視線を向けてくるので、なつめは「えっ」と言葉に詰まる。

 すると、陽向ひなたが首を傾げた。


「なんで伊智いち兄ちゃん、そんなこと知ってるの?」


 今度は、伊智いちが「えっ」と言ったきり押し黙った。


「あっ、なつめちゃんが照れてるところ見たんだ。ねえ、どういうことをすると人間って照れるの?」

「そんなこと知ってどうするんだよ」

「僕だって、人間のこと知りたいもん! 教えてよー」


 純粋にお願いする陽向ひなたに、伊智いちは困ったような顔で「いや、それは……」とぼそぼそ呟いている。

 その姿を見た兆司ちょうじは、頬杖をつきながらにやりと口元に笑みを浮かべた。


「そうだなぁ、それは俺も知りたいなぁ」


 明らかにからかうような口調に、伊智いちが悔しそうに兆司を見る。


「ねえ、教えてよ。伊智いち兄ちゃんだけずるい」

「それは……あれだ、もっと大人になったらな」


 食い下がる陽向ひなたに、伊智いちは苦し紛れの言い訳を繰り出す。

 すると、兆司ちょうじの口元の笑みが深くなった。


「へー、大人にならないと教えられないようなことしたのか、お前」


 兆司ちょうじがまたからかうので、なつめまで一緒になって「してません!」と否定してしまった。

 なつめはこの場で耳が赤くなったりしないように、必死で気持ちを落ち着けた。

 伊智いちも困ったように頭を掻いてから、陽向ひなたの背中を押す。


「ほら、陽向ひなた。もう仕事に戻らないとだろ」

「えー、まだみんなと話したいー」


 強引に退場させられることに不満を訴えながらも、陽向ひなたは事務室を後にした。襖をぴったりと閉めると、伊智いちは責めるような眼差しを向けて「兆司ちょうじさん」と呼んだ。兆司ちょうじは「悪かったって」と言いつつ、悪びれた様子はあまりない。


「でも、仲良くやっているようで安心したよ」


 兆司ちょうじが宿主の顔に戻って言うので、なつめ伊智いちもうまく返す言葉が見つからなかった。


なつめ、あとで陽向ひなたから何か聞かれても、答えなくていいから」

「うーん、うまくかわせるかなぁ。陽向ひなたくん、勉強熱心だから」


 好奇心に目を輝かせる陽向ひなたの顔を思い出して苦笑しながら、もらった和紙の花を改めて眺める。柔らかい和紙で作るのは簡単ではなさそうなのに、綺麗に形作られていた。


「よくできてるなぁ。折り紙がないから和紙で作ろうって考えるのも、すごいし……」


 言いながら、なつめは思いつくものがあって言葉を切る。


「もしかして……ないから、代わりのものを使ったんじゃ……」


 呟きながら、その可能性について考えを巡らす。


なつめ?」


 伊智いちから呼ばれて、なつめは顔を上げた。


「ねえ、伊智いち。りんきんに似ている果物って何かある?」

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