第27話 対峙
「なるほど……死をもって、永遠にキミから桜絵クンを遠ざける、ということか。バカげたことを……」
「心中って……近松の世界かァよ……」
思考を遮るようにカラン、ガランという鈍い音がした。
そちらを向くと、豪さんに気絶させられたはずの二人が立っている。ぎょっとした。今度の手には鉄パイプが握られていたからだ。そんなものまで落ちているのか、ここは。どちらも鼻息が荒く、目は血走っている。今にも飛びかかって来そうな顔に向かい、
「⋯⋯意外と早ェお目覚めだァな」
豪さんがのんびりと言った。
「よくも俺のスマホ……マジで殺してやるからな!!」
「歯ぁ折れたじゃねぇか……! 絶対許さねぇ……!」
「コイツらは、ボクたちに任せて。藤崎クンは、旧校舎へ行くんだ!」
文字通り、踊るようにオレの前に立った潟元先輩と、
「そんなクソみてェなこと、止めてェこい! てめェの良く回るその頭ァ使ってな!」
オレを挟むように背中側に立った豪さんとが叫ぶ。
「けど……けど、もう桜絵がいなくなってから、三十分以上経っているし……きっと、もう……もう、桜絵は……」
解かずにいた拳をさらに握り込む。消え入りそうな声だと自分でも思った。
助けられなかった過去が脳内を支配する。「いつまで経っても、役立たずなんですね」そんなあの子の――幾度も夢に見た表情が、声が、脳内と耳奥とで反響している。
固く瞳を閉じ、俯いた。
「藤崎クン」
と、声が聞こえた。道標のような凛とした声。ゆっくりと顔を上げる。
両手を構えて前を見据えたままで、潟元先輩は続ける。
「⋯⋯芝居には〈心中物〉と呼ばれるジャンルがあってね、それらは来世で一緒になるという想いが込められている演目なんだ。それ故に、双方の同意が得られなければ、行われないのだよ。今回の場合って、まさにそれと同じだと思わないかい?」
その言葉に、目を見開いて拳を解いた。
そうだ。大庭は桜絵を手放したくないと思っているはずだ。オレから遠く離れて、桜絵みくと一緒になりたい――と。
だが、相手はあの桜絵だ。性格を鑑みるに、計画を聞いたら逆に説得している可能性がかなり高い。意見が拗れに拗れて――まだ、生きているかもしれない。
桜絵の笑顔が。
ファインディング・ポーズが。
ふくらませた頬が――浮かんだ。
迷いは消えていた。踵を返す。
「お二人とも、ありがとうございます!」
言い残して、地面を蹴り上げた。
「礼なんていいよ! 二人は貴重な新入部員なのだからね!」
「二人揃ってェ、合言葉ァ言いに来い」
ひと段落した時、オレは桜絵とともに演劇部員なのか――。珍しく、それも悪くないかもな、などと思いながら、一種の高揚状態で、旧校舎を目指した。
腕を振る。足を上げる。その度に殴打された頭は鈍く痛んだ。それがどうした? 自分に問いかける。息を整えることもなく、二階へ駆け上がる。渡り廊下をひたすらに走る。旧校舎の階段を飛ぶように上る。ただ屋上だけを目指して。
四階の踊り場を曲がると、屋上へ続く最後の階段が見えた。その先には、所々が剥げているクリーム色の鉄製の扉。一瞬、その向こうには何の生き物の気配もないような気がして、足を止めた時だった。
「どうしてわかってくれないのっ?!!」
その考えを正面からぶち破る声が耳に届く。これは――大庭梓の声。悲痛な叫び、心から困惑しているように感じられる。声を荒らげる相手がいる。
桜絵は、生きている!
ほっと息を吐くのも束の間、時間がないことには変わりない。オレは扉の前で、肩を大きく上下させる。
もし、もしも何か大庭の癇に障ることが起きて逆上し、無理やり飛び降りたとしたら――。
そこまで考えて、ドアノブに手をかける。だが、押しても引いてもだめだった扉だ。かと言って、闇雲にノブを回して音で大庭を刺激したくはない――。
しゃがみ込んで、大きく息を吐く。ゆっくりと呼吸を整えながら、見るともなしに見ていると、右下部に隙間があるのを見つけた。これによって、数センチほどのズレが生じているようだ。
「……なるほど、建て付けが悪い、と劇部の二人が言っていたが、扉自体が歪んでいるのか……」
おそらく、この隙間を何かで埋められれば、そのまま一時的に歪みが解消されて、開くような気はするが――。
辺りを見回す。扉の付近には木材が山と積まれ、椅子がでたらめに置かれている。しかし、いくら将来的には取り壊す予定だとは言っても、これではまるで廃墟のようだ。大小様々な木材の中には、およそ木片と呼んで差し支えないものもあった。オレはもう一度隙間を確かめる。
大庭にとって最も避けたいのは、桜絵に逃げられることだろう。ならば、扉を開けたあと、木片はこちら側に捨てられている可能性が高い。であれば、ほんの数センチの隙間を埋めるのに最適な木片は、必ずここにあるはずだ。
きょろきょろと首を巡らせ、屈んだり逆に椅子に登ったりしてみる。すると、怪しそうな木片をひとつ見つけた。薄さといい大きさといい、ぴったりな気がする。手に取って隙間に差し込む。思ったとおり、嵌った。隙間の分だけズレていた扉は、一時的に元来の位置へと戻る。
差し込んだまま、ノブを回した。その突起は抵抗なく右に動き、鉄扉を押し開けた。予め用意されていたかのようなそれに、改めて大庭梓の狂気を思う。
一体いつから、準備していたのか――と。
ゴゥ、という風が通る音と、錆びた扉が開く甲高い金属音とが、混じり合う。
風が強くなり、冷え始めた十一月の空。青白く円い月が照らす中、オレは叫びかけた言葉を喉に押し込めた。
壊れた緑のフェンスの向こうに、二人はいた。大庭が先に立ち、桜絵は傍らで膝をついてぺたんと座り込んでいる。今にも空に浮かび上がりそうだ。
大庭が、髪を風にされるがままにして、
「……そう、来たのね……」
こちらを向く。その言い方で、オレが来ることを想定していたのだと分かった。ごくりと唾を呑み込む。すぐには応えず、じっと目を凝らす。唯一の光源である月は、冬特有の冴え冴えとした光を放っており、思ったよりも明るい。大庭と視線がかち合った。確かな敵を見る目をしている。オレは息を吸い込んだ。冷たい空気が肺を膨らませる。
「ああ、お前の目的が、桜絵ただ一人だったこと。理由は知らんが、お前は桜絵をどうあってもオレから引き離したかったこと……。このふたつを総合して『飛び降りて心中するつもりだ』ってことに気づいた。誰かに見咎められたら困るだろうから、校内にいるのは分かっていた。それらの条件を満たす場所なんて、もうここしかねぇだろ」
内心の焦りや怒りは押し込め、そう口にする。感情の抑制からか、声は驚くほど平坦だった。
「……なんて、なんて醜い執念なの……」
大庭が嫌悪を隠さない声で洩らす。底知れない昏さを感じ、まるで、呪いだけで動いている人形のようだと思った。押し負けそうになる気持ちを奮い立たせるため、オレも意識的に目頭に力を込めた。
「尤も、そこに気づくまでに随分とかかっちまったわけだが……」
「そんなことない! 親ちゃんは、来てくれた。こうしてちゃんと……来てくれたよ!!!」
悲鳴のような声と共に、桜絵が首を強く横に振った。
ほぼ同時、
「騙されちゃダメ!」
大庭が無言で桜絵を抱きしめた。ゴウ、と音のする風が吹いて、二人の髪が波のようにうねる。足場の幅は、いかほどのものだろうか。さすがに分からない。ただ、オレが下手に動けば、桜絵を危険に晒しかねないことだけは、確かだ。無言で見つめるしか出来ないのが、ひどく歯痒い。
「あの男はね、貴女をこんなところにまで探しに来たのよ。貴女を弄ぶためだけに……それは、とても恐ろしいことなの」
桜絵の顔半分は、大庭の腕に埋まっていた。大庭は何かに祈りを捧げるかのように、じっとして動かない。
「違うよ! 梓ちゃんこそ聞いて! さっきからあたしが言ってること! 親ちゃんはね、親ちゃんだけはね、本当にそんなことしない人なの! 親ちゃんは、とても優しくて強くて勇気がある人なんだよ! だから、梓ちゃん、いつもの梓ちゃんに戻って!! お願い!!」
桜絵の声がむなしく響く。オレが来るまでの間に一体どんなやり取りがあったのかが、ある程度分かった。しかし、教室に入る前といい、今といい、桜絵のオレへの絶対的な信頼もよく分からない。振り返っても、幼馴染みのあいつに、そんなに言い切られるほどの善行をした覚えはないが――。
ふっと、大庭が腕をほどいた。ゆるゆると首を横に振り、桜絵の頭を撫でる。ひどく愛おしそうに。
「……あぁ、可哀想に。そんなにも洗脳されてしまっているのね。大丈夫よ。あの男の醜悪さと執拗さには、本当に驚かされるけれど、こんなこともあるだろうかと……用意しておいたの」
言って、大庭がポケットに手を入れる。にっこりと笑い、抜き出された手に握られているものに、オレは声を失い、桜絵は短く悲鳴をあげた。
ナイフだった。それも、キャンプなどでロープを切る時にでも使いそうな、本格的なものだ。
はらりとケースが地面に落ちて、全貌を現す。暗闇に慣れてきた目が捉えたそれは、刃渡り二十センチはありそうな代物だった。
間違いなく大庭は、オレを殺しにかかっている――。
そのことが真に迫って、喉が絞られる心地がした。
「ここで待っていてね。すぐに、あの男を排除して、戻ってくるからね」
不気味なほどの笑みを張り付け、そう桜絵に告げる。当の桜絵は、何も言わない。否、言えないのだろう。瞬きを忘れた瞳を、小刻みに震えさせている。
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