第25話 拡散

 一瞬、佐々木先輩はどうしたのだろう、と思ったが、吉野の元に行ったのかもしれない。深く考えないようにして、【ありがとうございます】とだけ返し、顔を上げた。

「オレと木津さんは……よし、昇降口から左右に分かれよう。オレは左側を探すから、木津さんは右側を頼む。連絡は、これで」

 言いながら、扉の前で、スマホを掲げた。木津さんが頷くのを確認して、地面を強く蹴る。木津さんが、隣の教室に飛び込むのを横目にひたすらに駆ける。廊下をこんなに長いと感じたことはない。昇降口を目の前にして、そのまま先ほど歩いた道を駆ける。最初の一年D組に、躊躇うことなく飛び込んだ。

「桜絵! 桜絵いるか?!」

 叫びながら、開けられる場所、隠れられそうな場所に、とにかく目を向ける。掃除用具入れ、大型のロッカー、屈みこんで教壇の下、カーテンの後ろ――どこを開けてもいつもよりずっと重かった。

 荒々しい開閉音が響く中、西陽さえも射さなくなった教室はひどく暗く静かに感じられる。息を強く吐き出すと、オレは更に隣へと駆ける。

「桜絵! 桜絵!」 

 スピードを緩めることなく、教室へ飛び込んでは飛び出すということを繰り返した。

 そうして数時間前に訪れた調理室を前にした時、再びスマホが通知音を鳴らした。

【旧校舎にはいなかった!】

【そっちてつだう】

 劇部LINEだった。簡潔にそうとだけ書かれている。文字を打とうと俯く。

 と、外れそうな勢いで目の前の扉が開け放たれた。驚く間もなく、獣のような咆哮とともにオレの上に何かが振り下ろされる。

「……?!!」

 あまりにも想像していなかった出来事に、一切避けられずまともに受けてしまった。刹那、脳天を貫くような衝撃とともに、オレは扉の外へとふっ飛ばされた。

「……がっ!」

 廊下の壁に強か頭をぶつけたオレは、その衝撃で舌を噛む。じんわりと口の中に鉄錆の味が広がる。何とか瞼を持ち上げた先に捉えた人物に、目を見開いた。

「はっ、料理女子どもかと思っただろ? 残念だったな。アイツらはバタバタと出てったよ。けど、さっきテメェがここに入ってくの見たって奴がいてよォ。ってことは、ここで待ち構えてりゃ、テメェをボコれるんじゃねぇかって、思ってたんだがよ……ビンゴだったわ」

 鈍く響く痛みを堪えつつ、奥歯を強く噛み合わせる。血の味の唾をひとつ飲み込んだ。旧校舎の資材だろうか。細長い木材を手にオレを見下ろしているのは、昼間会った金髪の不良だった。

 じろりと目だけを左右に動かす。それだけでも頭が芯から取れそうに痛い。

 後ろにスマホを構えた緑髪の男を見つけた。その横にもにやけた面をぶら下げた金に近い茶髪の奴。全部で三人――鈍痛の続く頭でもわかる。どうやら昼の続きってわけらしい。

 クソッタレが! そんな暇なんてねぇのに――! 

 オレは内心で舌を打った。

「料研のやつら戻って来る前にとっととやろうぜ」

「うぇーい、悪者退治ぃー! アイアム・ア・ヒーロー!」

「あ、いーじゃんいーじゃん。それ。サムネ決まりな」

 なるほど。どうやらこいつらはネット上に何らかのチャンネルを持っているようだ。オレを晒し上げて再生回数を稼ごうって腹らしい。

 歯噛みすると、膝をつきながらも何とか立ち上が――、

「あ? 逃げんなよ?」

 れなかった。支えにしていた左腕を無遠慮に蹴られ、そのまま床に横倒される。動こうとするが、背中を足で押さえつけられ、身じろぎ一つできない。別角度から腹部につま先がめり込んだ。

「……かはっ!」

 口から大量の唾が飛び出した。うっすらと血の混ざったそれを一瞥すると、昼間の金髪がオレの胸ぐらを掴む。

「なぁ、藤崎ぃ……テメェのせいでよ、俺、カナにフラれたんだわ」

 腕が、小刻みに震えている。浮き上がる静脈に、この男が自分に向ける憎悪を見た気がして、顔が青ざめる。

 それはオレのせいじゃねぇだろ――。

 思うが、口に出せそうもない。血の味が止めどなく広がる口中から、涎が落ちる。胸ぐらに感じる重みが増したと思った刹那、頬に焼けるような痛みが走る。歯茎が浮いたような感覚があり、次いで大きく視界が揺れた。殴られたと気づくのに、大分時間を要した。

「おい、さっさとしろよ」

 後ろにいた緑髪が声を上げた。金髪はオレに唾を飛ばす勢いで舌を打つと、

「うっせーバーカ! 今するよ」

 そのまま、勢いよく床に押し付けられる。耳朶が切れる音がした。

「あがっ……!」

 オレは呻き声を洩らす。目の前に、スマホのレンズが迫る。薄ら笑いを浮かべている男の顔がスマホの向こうにはあった。

「……えー、みなさん、こいつがさっきの動画で紹介した我が校始まって以来の変態犯罪者、藤崎親一郎くんでーす。おさらいしとくか。こいつ、クラスの女子にフラれて、写真百枚くらい盗撮して、名指しで『インランオンナ』って書いたんすよ。カタカナで。しかも黒板に。釘で。ゲロやばっしょ?」

 切れた方の耳を持ち上げられているオレに、更にレンズが近づく。痛みと血の味で、頭が回らない。

「しかもしかもね、俺こいつのせいで彼女に振られたんすよ。こいつがカナのスマホ勝手に盗って、そこにモロ出しの写真があったから、お前がしっかり守らなかったからだって。頼れない男はいらないって振られたんすよー。俺、可哀想すぎません?」

 でたらめもここまで来ると言葉も出ない。言い返すことも出来ずに、口中に血の味を広げながら、レンズの向こうを睨みつけた。ぐっと、手に力が込められる。耳が千切れそうだ。奥歯を噛むことで何とか耐え凌いではいるが、叫び出したいほどに、痛かった。

「……ん? なんかめっちゃコメント来てるんで、読みまーす。『キモ。早く制裁しろ』『こいつか。社会のゴミ。俺が許す。殺せ』『おもしれぇ。殺れヤレー』ってことなんで、じゃあ早速――」

 ぐらつく視界とは裏腹に耳には獣の突進音が響いてきた。たとえるなら、猪のような。ここは、山の中ではないはずだが――。

「あ? なんだ?」

 オレだけに聞こえる幻聴ではなかったようで、不良たちも皆、そちらを向く。と、

「うちの! 超貴重で! 大切な! 新入部員に! 何しとんじゃぁぁぁぁあぁい!!」

 スタッカートのような足さばきと言葉とで文字通り飛んできたその人物は、左足を真っ直ぐに伸ばすとその頂点である靴のつま先を金髪の首元にめり込ませた。

 驚くままに、オレはその名を呼ぶ。

「か、潟元せんぱい……」

「……ゲギョッ!」

 折れたのでは? と思う音が聞こえるのと、オレが呟くのはほぼ同時だった。

 つま先が導くままに金髪は、見事なスクロールで壁に激突した。

「おお!」という撮影係の興奮した声がする。

 オレはそれを見届けると、目を閉じる。吐きそうなほど、頭が痛い。鈍痛を誤魔化すように唸りながら、自然と体を丸めていた。

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