第16話 混乱

 演劇部を出たオレたちの足は、再び新校舎へと向かうため、両校舎を繋ぐ渡り廊下へと戻っていた。料理研究会は、新校舎の一階西奥、調理室で活動しているらしいからだ。

 昇降口からは三本の廊下が伸びているのだが、東側にあるのが一年A、B、C組及び理科室、英語科準備室、数学科準備室。西側にあるのは、一年D、E、F組とホールと呼ばれる談話室、国語科準備室、家庭科準備室、調理室だった。因みに真ん中の廊下を進むと、図書室があり、更に先まで行くと中庭に出ることが出来る。E組にはフユとまつりがいるのでたまに行くが、その更に奥に位置する部屋となると、ほとんど訪れる機会はなかった。

「調理室か。ほとんど入ったことねぇな」

「この前、授業でアップルパイ作ったよね。あれ、おいしかったな」

 などと、微妙に繋がらない会話を交わして。だが、こんな状況下だ。嫌でも視線を感じる中、桜絵の能天気さはかなり有り難かった。小さく口元を緩ませつつ、「そうだな」と、同意する。

「あ、そうだ。桜絵。お前さ、嘘をつけない性質だから一応言っておくけど……『演劇部の佐々木先輩から聞いて来ました』なんて、口が裂けても言うなよ?」

 オレが桜絵の耳元で素早くそう言うと、

「ほ? なんで? 言っちゃダメなの?」

 案の定とでも言おうか、桜絵は文字通り目をまんまるくさせた。どうやら、紹介されて来たことを言う気満々だったようだ。オレはあからさまなため息をついてやった。

「あーのーなー……、聞いただろ? 佐々木先輩は、料研の木津さんって人のことを犯人だと思ってんだぞ? 仮に向こうに『なんで佐々木先輩から聞いたの?』って言われたら、そんなふうに返せるわけがねぇだろ? そうでなくても、向こうも佐々木先輩や劇部のことをよく思ってねぇかもしれねぇし」

 桜絵の目はなおも丸い。いつの間にか足を止めて、訴えかけるようにオレを見つめていた。そんな桜絵を軽く迂回して、また足を動かす。こころもち、素早く。

「どうして、向こうも佐々木先輩たちのことを良く思っていないの?」

 小走りで付いてきた。オレは中空に視線を泳がせながら、

「それは……たとえばの話、料研の部員も劇部同様、二人が付き合ってたけど別れたことを知っていたなら、本当の理由を知らなかったとしても何らかの原因で仲間が傷つけられたって考えていても、おかしくないからだよ。ましてや、猫の死骸のことを知っていた場合、言わずもがなだろ?」

「……なるほど。すごくわかった。あたし、黙ってるね!」

 どうやら、少しでも口を開くと滑りそうだという自覚があるようだ。自覚あるだけマシか。思いながら、階段を降りる。目の前に新校舎の昇降口が見えた。そのまま横切り西の奥を目指す。と、慣れ親しんだ甘い香りが、鼻の頭を擽ってきた。これは――、

「……ほみぃいい。チョコのにおいだぁあ」

 その名を口にした桜絵に、オレも同意する。しかし、調理室はまだ先なのに、この時点でここまで濃い匂いが漂っているとは。すごい量の調理だな。誘われるように歩くと、果たしてどんどんきつくなってくる。家庭科準備室という室名札の前に辿り着いた頃には、甘党の桜絵の顔にすら翳りが見え始めた。自分の顔は見えないが、これだけは分かる。今のオレは「うぷっ」という顔をしているに違いない。

「……うう。甘ったるい。これ中の人無事なのかな」

 桜絵がハンカチで口を押さえながらそう言った。無事、という言葉にはどうにも懐疑的になる。それ程までに強烈なチョコレート臭だった。それでもこの匂いの出処に出向き、話を聞きに行かなければならない。

 ひとつ、唾を呑んだ。

 さっきの不良カップル……あの短い時間で小向井が画像を消去出来ているとは考えにくい。もし、ネットで拡散されたりでもしたら――。

 そこまで考えたら、匂いと相まって本気で吐きそうになってきた。更に隣の部屋まで歩みを進め、

「すみませーん。えーと、入部希望でーす!」

 桜絵が、室名札を見上げつつ、声を張り上げる。それは、演劇部への道を開く合言葉だったと記憶しているが、この場合はあながち間違いでもないだろう。黙って隣で返答を待つことにする。が、十秒が経過しても何も聞こえてこない。仕方がないので、二回ノックをしてそっとドアを開けることにした。

 小さくも「失礼しまーす」と言い中に入ると、扉の向こうにいたのは調理台の下にうずくまっている三人の女子だった。

 一人はあからさまに落ち込んでおり、頭を膝と膝との間にすっぽりと埋めている。力なく垂れた二本の髪束から、ツインテールということだけはわかった。その人を挟むような形で、空気を多分に含んだようなふわふわとしたパーマの女子と、眼鏡をかけているひょろりとした黒髪の女子とがいた。

 誰もオレたちに気づく様子はなく、会話を続けている。背景におばけの効果線でも見えてきそうな雰囲気だった。

「うう、あたしなんて、あたしなんて……〈ヘンゼルとグレーテル〉に出てくる魔女に食べられたらいいんだわ……それかもう会う前に森で野垂れ死ねばいいのよ……あたしなんてぇえぇ」

 もはや呪詛だ。視線を上に上げると、大鍋があった。どうやら、この甘さの暴力とも呼べる匂いの源はあれらしい。言葉から察するに、ツインテールの人の失敗作なのだろう。

「まぁー板チョコ八枚分ですもんねーこれはもうすごい量でー言うなればー災害。チョコレート災害ですねー。わー、私ったらうまいこと言いましたぁー。チョコレート災害。ふふ」

 ふわふわパーマはツインテールの頭を撫でながら、追い詰めていた。頭の線が何本か切れていそうなほどゆっくりとした喋り方で、キツネのような目をしている。いわゆる、糸目というやつだ。

「こ、紺野先輩、そんな言い方しなくてもっ。あの、部長、大丈夫ですよ。誰にでも間違いはありますから……と、とりあえず私、窓を開けてきますね」

 対する眼鏡女子は、懸命に慰めの言葉を紡いで、窓際へと駆けて行った。長めの黒髪が中空に舞う。先輩と呼んでいるなら、一年か二年ということだが……どちらだろうか。残念ながら三人とも、校章は見えない。

 ガラガラと窓が次々に開かれていく。胃が焼けそうな空気が初冬の外気と混ざり、若干薄まってきたような気がする。

「そうですねー。彩花ちゃんの言うとおり、間違いは誰にでもありますよねー。でもー三枚って書いてるのにー八枚使うなんてー間違いはー私はあんまりー聞いたことないですねぇー」

「あたしなんて、あたしなんて……」

「も、もう紺野こんの先輩は少し黙っててください!」

「えぇーでもぉ、ダメダメな部長かわいいからなー」

 キツネ目は絶え間なく毒を吐きながら、気色満面といった顔でツインテールの頭を撫でている。だが、オレは聞き漏らさなかった。

「今、あやかちゃんって……」

 桜絵も気づいたようだ。小さな声でオレに向けて言う。オレは、ゆっくりと首を縦に振ると、もう一度目の前の三人を見た。

 木津彩花と思しき人物は、窓を次々に開けていく。一方、ふわふわパーマでキツネ目の紺野先輩と呼ばれた方はずっとツインテールの頭を撫でているし、ツインテールはずっと頭を膝に挟んだままだ。会話からすると、この人がどうやら部長らしいが……。それにしても、状況が混沌としている。

「……ここは、何かの呪いの儀式の現場なのか?」

 堪らずにそう呟くと、

「……ほなぁぁ」

 桜絵が鳴く。とても困っている時の鳴き方だった。

 

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