第二話

「ひどいな、蝶子さん。ぼくを置いて朔くんたちと出ていくの?」


 笑うような穏やかな声だった。相手の姿ははっきりと見えないが、声の持ち主が誰かなんてことくらいわかる。すうっと冷気がまとわりつくような感覚があって、思わず身震いした。


 その震えを抑え込もうとするように、朔がわたしを抱きしめる手に力が籠る。彼は暖かかった。彼の胸にいちどだけ顔を埋めて深呼吸をする。すぐに大きな手がなだめるようにわたしの頭を撫でてくれた。


「違うわ、千花さんを逃がすのよ」


「それはだめだよ。彼女はきみの治療に必要なんだ」


 焦った様子ひとつ見せずに、死神は蝶子さんの前に歩み寄り、そっと彼女の頬を撫でた。朔と再開した直後だから余計に感じるが、朔も死神も人を慈しむ仕草がよく似ている。朔とはまるで正反対の、倫理のかけらもないような人間でも、血のつながった家族なのだ。


「……先生は、わたしと同じくらいの歳の令嬢を攫ってきては、心臓を取り出してわたしに移植していたのよね。そんな治療なら、わたし、受けたくないわ」


 凛然とした意思のこもった声で、蝶子さんははっきりと告げた。


 だが、死神はすこしも尻込みする様子を見せない。月影の中に一歩進み出た死神は、こんなときでも不気味なほどに美しく微笑んでいた。


「そうだよね、何度もきみの体に負担をかけるようなことをしてごめん。でも、千花さんの涙のおかげで今度はうまく行きそうなんだ」


 死神は宥めるように蝶子さんに畳みかけた。


「移植した心臓が弱ってしまうのは、きみの体が新しい心臓を異物だと認識してしまうせいだったのだけれど、千花さんの涙があれば他人の心臓を完全に蝶子さんの一部として作り替えることができるんだよ。人魚の涙は生涯飲んでもらわなければならないだろうけど……これで完全に君を治せる。ようやく、医者と患者を辞めて夫婦になれるんだよ」


 心底嬉しそうに、褒めてほしいと言わんばかりに死神は説明した。基盤となる倫理観が異なると、ここまで話が食い違うものなのか。もはや、人と対話しているというよりも、その異名通り死神と対話していると形容したほうが正しい気がした。


「わたしが言っているのはそういうことじゃないわ。……誰かを犠牲にしてまで生き延びたくないと言っているの。それは命だけじゃない。千花さんの時間や感情を奪ってまで生きたくないという意味でもあるのよ」


 蝶子さんはぶれずに死神に言い放った。諦めず、決して彼を見離さずに向き合う彼女はやはり強いひとだ。


 死神は、しばらく考え込んだのち、困ったように微笑む。


「ごめん……それはなんで? 全然わからないよ。生きるために魚を殺して食べることと、何か違うのかな?」


 やはり、彼の中には蝶子さんしか住んでいないのだ。他の人間は、そこらを這う虫と同じような感覚なのだろう。


「殺された令嬢たちは、誰かにしてみれば、先生にとってのわたしだったのよ……?」


「それはそうだろうね。わかるよ。悲しんだひとは大勢いるんだろうね」


 やはり、そこを理解しておいて残虐を繰り返していたのだ。人の心のゆらぎを悟れないわけではないが、どうでもいいとは思っているのだろう。これならいっそ、人の感情がわからないと言ってくれたほうがまだましだった。


 蝶子さんは、返す言葉が見つからないとでもいうように、口をつぐんでしまった。無理もない。人間としての根本的なところで、彼はわたしたちとは違うのだ。言葉で考えを改めるような相手ではないだろう。


「相変わらず、化け物のようなひとですね、あなたは」


 一瞬の沈黙ののち、朔は静かな声で語りかけた。微笑みを崩さぬまま、死神は朔をじっと見つめる。


「きみもね。あの怪我で生きていたとは思わなかった。……ご友人はずいぶん優秀な治癒の幻術師のようだ」


「そうですね。彼の力とお嬢さまの涙があったから生き延びることができたのです」


 いつか朔の怪我を治していた桜木さんの姿が蘇る。あのときと同じように、今回も朔の治療をしてくれたのだ。しかも、わたしの涙も助けになっていたなんて。人魚の涙を流す能力は、忌まわしいばかりの力ではないのだと改めて思い知らされる。


「愛するひと以外はどうなっても構わないという気持ちは、よくわかります。実際、ぼくだってお嬢さまさえいれば生きていける」


 こんな状況で聞くには、あまりにまっすぐな愛の言葉だった。静かな彼の声音のおかげで、照れるというよりは、じわりと温かな気持ちが広がっていく。


「それでもぼくは、桜木が死んだらすこしは嫌な気持ちになりますし、屋敷の者たちが傷ついても不快に思うでしょう。なにより愛するひと以外はどうでもいいという態度は、お優しいお嬢さまを傷つけることになるかもしれない。そう思うと、実際には、愛するひと以外にも幸せに暮らしていてもらわなければ困るんです」


 わたし以外の人には冷たくそっけなく見える彼だが、それは表面上だけで、心のうちはこんなにも温かい。人好きのする笑みを浮かべて、揺らぐことのない凍りついた心を持っている死神とは、やはり正反対のひとだった。


「蝶子さんだって、お嬢さまと同じです。思いやり深く優しい心を持った、よい意味で普通の、人間らしいひとです。叔父上がしている治療は、蝶子さんの体は治しているのでしょうが、病以上に彼女の心に負荷を与えている。それをわかっていてもなお、蝶子さんの言葉を無視して治療を続行しようとするのは……ぼくからしてみれば愛情と呼べるのかわかりません」


 死神は、やっぱり美しい笑みを崩さずに、静かに朔の言葉に耳を傾けていた。それから、ふ、と頬を緩め、まるで慈しむようなまなざしで朔を見つめる。


「よかったね、朔くん。きみはまっとうで立派な人間に育ってくれたんだね。……ぼくより先に、千花さんに会っていてくれてよかった。きみの心のいちばん大切な部分が育つ時期に、そばにいたのがぼくじゃなくて本当によかった」


 心など感じさせない死神だったが、それは本音のように思えた。死神なりに、自分の考えが世の中から逸脱していることはわかっているのだろう。朔が同じ道を辿らなくてよかったと言える程度には、朔に対する情はあるらしい。


「きみの言っていることも、蝶子さんの言っていることも、ぜんぶわかるよ。ぼくは、許されないことをしているんだろうし、大勢を傷つけて、そのせいで蝶子さんを悩ませて苦しめてしまったんだろうね」


 言葉だけを聞けば、まるで降参して反省を始めたのかと思うほど、穏やかな様子だった。月影が、死神の整った横顔を照らしだす。


「でもね、それらをわかった上でも、やっぱりやめる気にはなれないんだ。ぼくにとっては、蝶子さんを失うこと以上に怖いことなんてない。……いや、本当は怖いことなんて何もないはずだったのに、蝶子さんと出会ってから、不安とか、恐怖とか、怒りとか……そういう縁のなかったはずのものにまとわりつかれて困っているとでもいうべきなのかな」


 死神は、言葉どおりわずかに眉を下げて吐息まじりに笑った。朔と色違いの瞳は、まっすぐに蝶子さんだけを見据えている。


「初めは蝶子さんがいなくなってくれたら、また凪いだ心を取り戻せるのかと思ったこともあったけど……でも、そんなものより蝶子さんと過ごす時間のほうがずっとずっと欲しかった。いつまでも隣にいたいと思った」


 死神は、そっと蝶子さんの髪を耳にかけた。壊れものに触れるような繊細な仕草で、彼女の頬を掠める。


「朔くんはこれを愛とは呼べないと言ったけど……それだけは訂正させてほしいな。これは、ぼくなりに見つけた愛だよ。歪んでいて間違っているのかもしれないけれど……蝶子さんを苦しめるばかりなのかもしれないけれど……それでも、愛と呼ばせてほしい」


「先生……」


 蝶子さんの瞳に、涙がにじむ。死神は慈しむように淡く微笑んで、そっとその目尻にくちづけた。


「きみも、かわいそうにね。ぼくなんかがきみを欲しいと思ったばっかりに、苦しめられているんだもんね」


 心底憐れむように、死神は蝶子さんの髪を撫でた。


 蝶子さんの目尻から、ぽたぽたと涙が伝っていく。それは月影にきらきらと反射して、人魚の涙などよりもずっと美しく煌めいていた。


「でも、離してあげられない。死なせてもあげられない。――だから、これが答えだよ、朔くん」


 その瞬間、あたりがぱっと明るくなった。咄嗟に目を閉じると同時に、朔がわたしを抱いたまま身をひねるのがわかる。肌を炙るような熱風が押し寄せたが、朔が庇うように抱きしめてくれたおかげですこしも痛くなかった。


「避けられるんだ、それ。朔くんもひとのこと言えないくらいには化け物だよね」


 笑うような死神の声がする。恐る恐る目を開けると、あたり一面にごうごうと唸る炎が広がっていた。


「同じ轍を踏むほど愚かではなかったというだけです」


「謙虚だなあ。まあそれはぼくも同じだけど」


 よく見れば、死神の周りには壁や窓硝子が割れたような破片が床に突き刺さっていた。あれはいつか見た朔の幻術だ。さらにいつの間にか朔は拳銃を取り出しており、どうやら爆発と同時に死神に発砲したようだった。


「降参してください。この森には帝都じゅうの幻術師たちが待機しています。いくらあなたでも逃げ延びるのは難しいはずだ」


「どうかな、何ごともやってみないとね」


 また、月雲邸で行われたような激しい戦闘が繰り広げられるのだろうか。朔には、危ないことをしてほしくないのに。思わず、彼にしがみつくように、彼の服をぎゅうと握りしめた。


 その瞬間、ふっと、蝶子さんが死神のすぐそばまで歩み寄った。この場の全員の視線が蝶子さんに注がれる。


「蝶子さん、危ないから下がっておいで――」


 死神がその言葉を言い終わるか否かと言ううちに、蝶子さんは死神の手首に何かを巻きつけた。瞬間、あたりで渦巻いていた炎の一部がふっと消える。


「――もうやめましょう、先生。これ以上、誰のことも傷つけないで」


 静かに微笑んでから、蝶子さんは手早く懐から小瓶を取り出した。そのまま、躊躇いなく中身を呷る。


「蝶子さん……? その薬は……?」


 死神が叫び蝶子さんの口もとに手を伸ばすも、彼女は聞こえていないとでもいうふうに優雅に微笑んでいた。


 蝶子さんは胸ぐらを掴むようにして死神との距離を詰めたかと思うと、そのままの勢いで死神の唇にくちづけた。どうやら小瓶の中身を口移しで死神に飲ませているようだ。


「っ――」


 戸惑う死神に、蝶子さんはいたずらっぽい笑みを見せ、とん、と死神の唇を指先で突いた。


「ふふ、我が一族特製の毒の味はいかが、先生。貴重な品だから、半分こよ」


 その直後、蝶子さんは口から血を吐き出した。それはぼたぼたとこぼれ落ちて、すぐに彼女の足もとにちょっとした血溜まりを作っていく。


「蝶子さん! なんてことを、いますぐ治療を――!」


 死神は、蝶子さんに巻きつけられた何かを、手首から外そうとしていた。それを、蝶子さんの手が固く制する。


「わたしの言うこと聞いてよ、先生。……万が一にもあなたが捕まってひとりぼっちになるなんて、わたし、絶対に嫌。離れ離れになるくらいなら、このままわたしが先生のこと殺してあげる」


 死神も、わずかに咳き込んでいた。蝶子さんほどではないが、軽く血を吐き出しているようだ。ふたりは立っていられなくなったようで、抱きしめあうようにその場に崩れ落ちた。


「先生のことは、朔さんにも、法律にも、誰にもあげないわ。言ったでしょう。わたし、欲深い卑しい女なの」


 死神の膝の上に乗るようにして、蝶子さんは晴れやかに笑っていた。死神は、はっとしたようにその笑顔を見つめている。


「わたしと一緒に、ぜんぶおしまいにしましょう、朧さん」


 酔いしれるようにそう笑って、蝶子さんは再び死神にくちづけた。死神はそれを受け入れつつも、静かに涙を流していた。


「どうして……どうしてだ、蝶子さん。きみを治して、ふたりで生きていくって約束したのに……! 元気になったきみを連れて行きたい場所がたくさんあったのに!」


 彼女の肩につかみかかるようにして、死神は慟哭した。蝶子さんはそれを、静かなまなざしで見守り、そっと彼の頭を撫でた。


「もう、いいの。先生にはすてきな時間をたくさんもらったから。これ以上誰かを犠牲にしてまで、わたしは生き延びられないわ」


「どうしてだ、きみは、受け入れてくれると思っていた。きみの家族を殺したときみたいに!」


「そうね、わたしはずるいわね。あなたの残虐をいちどは受け入れておきながら、突然拒絶するのだもの」


 蝶子さんは咳き込みながら、そっと死神の頭を胸に抱いた。


「わたし、恐れずにもっとあなたと話をするべきだったのだわ。愛しているのだから……もっと早くに向きあうべきだったのだわ」


 慈しむように、蝶子さんは死神の髪を撫でる。


「ごめんね、ずっとひとりで、暗い間違った道を歩ませてしまって。……あなたに、もっと早くに出会いたかったな。朔さんにとっての千花さんのような存在に、なりたかった」


「蝶子さん……」


「でも、わたしたちはこれでいいのかも。歪んだものは歪んだもの同士でしか、寄り添えあえないかもしれないものね」


 えへへ、と蝶子さんは幸せそうに微笑んで、死神の頬を撫でた。


「わたしたちが出会った夏の日のこと、覚えている? あの日、わたしはね……生きる意味が欲しいと願ったのよ。そうしたら、あの蝶が朧さんのことを連れてきてくれたの」


「生きる、意味……?」


 弱々しく復唱する死神の唇を、蝶子さんはそっと撫でた。愛おしくてたまらないとでも言いたげに、彼の頬にそっと手を添える。


「ええ、そうよ。あの日から朧さんは、わたしの生きる意味になったの」


 清々しい蝶子さんの告白に、死神ははっと目を瞠った。


「わたし、あなたに恋ができて幸せだったわ。それはこの先数十年をあなたなしで生きるよりずっと、幸福なことよ。あなたは違うの? 朧さん」


 すべてを燃やし尽くすような炎の中でも、蝶子さんの笑顔は向日葵のように輝いていた。


 死神は、涙に濡れた頬で、まるで観念したように笑う。


「そんなの……当然ぼくだって同じ気持ちだ。蝶子さん、きみに出会って初めて幸福とは何かを知ったんだ」


 そっと、死神は蝶子さんに触れるだけのくちづけをした。あれだけ大胆だった蝶子さんが、わずかに頬を赤らめる。


「ぼくはきみと出会ったあの日からずっと、蝶子さんだけのものだ。……愛しているよ」


「ええ、わたしも。わたしもあなたを愛しているわ、朧さん」


 蝶子さんは死神と額をすりあわせるようにして、満ち足りたように華やかに笑った。互いの吐息の甘さに酔いしれるように、ふたりのまつ毛が伏せられる。


「一緒に地獄の業火に焼かれましょう。どこまでもどこまでもついていくわ……」


 その瞬間、そばにあった柱がみしみしと音を立てて倒れ込んできた。朔がわたしを庇うように抱きしめながら、物陰に身を寄せる。


 柱は、ちょうどわたしたちと蝶子さんたちの間に倒れ込んだようだった。柱に纏っていた炎が、ごうごうとうなりをあげて燃え上がる。


「叔父上! 蝶子さん!」


 朔が声を張り上げて炎の向こうへ呼びかけた。ゆらめく炎の隙間で、寄り添いあうふたりの姿が見える。


「もう行って。わたしたちは……ここにいるわ」


 咳き込みながらも、蝶子さんは幸せそうに、解き放たれたように微笑んでいた。その蝶子さんの肩を、そっと死神が抱き寄せる。


「わたしの蝶に案内させるわ。あなたたちが、無事に外に出られるように」


 炎の中から、瑠璃色の蝶が飛び出してきた。それはいつもよりも素早く、炎のないほうへと羽ばたいていく。


「行ってくれ、朔くん。これ以上は危ない。……逃げないと、誓うから」


 その証拠を見せると言わんばかりに、死神は先ほど蝶子さんに押し付けられた何かをしっかりと手首に巻きつけた。詳しくはわからないが、ひょっとすると月雲邸で朔に付けられかけた幻術封じの腕輪と同じような効果があるものなのかもしれない。


「お幸せにね! 千花さん!」


 まるで祝言でもあげた直後のように、華やいだ声が聞こえる。何もかもが歪で、ある意味あのふたりらしい光景だった。


 確実な別れの予感に、胸がずきりと痛む。だが、決別を惜しむ暇はなかった。


 見えるかはわからないが、炎に向かって目いっぱい手を振る。朔はこれ以上留まることはできないと判断したようで、くるりと身を翻した。


 ――さようなら、蝶子さん。帝都の死神さん。


 人魚の涙が、ぱらぱらとこぼれては炎に飲みこまれていく。それはぱちりと弾けて、色とりどりの火花を散らしていた。まるであのふたりの門出を祝うような場違いな華やかさに、なんだか余計に涙が溢れてくる。


 瑠璃色の蝶を追いかけて、さらに階段を下る。どうやら三階建ての構造だったようで、ようやく地上階についたようだ。


 朔は何も言わず、足早に蝶を追いかけた。灰色の煙が充満してきている。彼は庇うようにわたしの顔を自分の胸に押し当てた。


「月雲!」


 瑠璃色の蝶に導かれ、ついに外に出た。真夜中だが、空気はどことなく生ぬるい。何ヶ月も閉じ込められていたような気でいたが、夏はまだ終わっていないようだ。


 わたしたちを出迎えてくれたのは桜木さんだ。背後には、他にも何人もの幻術師の姿が確認できる。いつか朔を捕まえにきた、中年の上官がその先頭に立っていた。


「千花ちゃん……! ぼろぼろじゃないか!」


 おおい、誰か毛布を! と叫ぶ桜木さんの声が遠く聞こえる。朔がなだめるように頭を撫でてくれる感触だけが、鮮明にわかった。


 ふと、瑠璃色の蝶はひらひらとわたしたちの前で踊るように舞うと、一際美しい光を放った。


 思わず目を眇めたのも束の間、蝶は鱗粉を散らしながらみるみるうちに薄くなっていく。何度かの瞬きの末に、ついに完全に見えなくなってしまった。


 詳しく説明されずとも、何となく察しがつく。この蝶の主が、きっとこの世を去ったのだ。


 ……蝶子さん。


 あれで、よかったのだろうか。あれしか道はなかったのだろうか。


 蝶子さんを救って、死神に罪を償わせるような道があったのではなかったか。


 そんなことを考えるのは、逃げ出して余裕ができた今だからこそと思うけれど、悔やむような気持ちは拭いきれなかった。


 けれどあれが、蝶子さんにとっては、あの状況で導きうる最良の結末だったのだろうとも思う。蝶子さんは、死神に愛されたというだけできっと何も悪くない。その彼女が最後に幸せだったと思って終わることができたのなら、残されたわたしたちはそれを受け入れるべきなのだろう。


 あらゆる感情が渦巻いて、ぼろぼろと涙があふれていく。もう、いっぱいいっぱいだった。


「お嬢さま……どうか今は何も考えずおやすみください」


 朔は悲痛な声でそう告げると、そっとわたしの瞼にくちづけた。じわりとした感覚とともに、心地よい睡魔に襲われる。


「どうかよい夢を、お嬢さま」


 ぐらりと揺らぐ意識の中で、朔の声だけが透き通るように響いていた。


 わたしは、帰ってきたのだ。ふたりの破滅と引き換えに。


 その事実を噛み締めながら、彼がくれた優しい闇の中に、そっと輪郭を溶かしていった。

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