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橋部家は江戸時代からの大地主、いわゆる庄屋であった。橋部谷一帯の水利を生かし稲作を中心とした農耕、川を利用した行商で豊かな暮らしをしていた。これは橋部谷が山奥であり当時の藩主が検地を行え無かったため、開墾した隠し田を多数抱えていたため実収入に比べて年貢が軽く済んだところも、大きい。
一方ほ淵元家は橋部の分家筋にあたるが、橋部谷より上流に居を構えて木こりや輸出用の茸栽培を生業としていた。それでも江戸期は淵元が収穫した茸は海を渡り清の国まで輸出され淵元は
転機となったのは明治以後、富国強兵政策にのっとったダム建設だった。橋部は政府の政策に積極的に参加して土地を差し出す代わりに建設工事を受注して巨万の富を得る。その後の事は先述したとおりだ。
一方の淵元はの土地はダム囲まれた寒村となり、年月を下る事に寂れ、昭和になるといわゆる限界集落となっていた。
その頃になると橋部と淵元の付き合いも途切れていたのだが、鸞蔵の父に当たる
再び時は下って郭二が老衰で亡くなる直前、遺言として淵元の家から嫁を取り、二つの家を一つにせよとの言が残された。
鸞蔵は秘密裏に長子、鳶二の妻を淵元からと画策していたのだが、鳶二は大恋愛の末、一成の母である久我よう子と結ばれたため遺言は果たされる事は無かったのである。
但し鸞蔵は郭二の遺言を忘れた訳では無かった。鳶二が結婚して数年がたち、新しい命に恵まれて生活の拠点を橋部屋敷に移したころ、鸞蔵は一人の少女、いや未だ
橋部一家と奈々は不思議な家族を構成しながらもその後数年幸せな生活を続ける。一成からすれば物心ついたころには既に奈々はいるのが当たり前の存在だったのだ。
再びときが流れ二人の歳が十歳になり、そろそろ正式に許婚にと鸞蔵が手筈を整えていたおり、突如奈々が病に倒れる。先天性の心臓病とも、白血病とも噂では聞いていたが一成も正式な病名は聞いていない。
どうも淵元の家では満足な医療が受けられないため名医を里に呼び寄せていた鸞蔵が奈々の後見人を買って出たのが事の発端らしいのだが……。
真実を知る鸞蔵も一成の両親も他界してしまい一成にとって淵元奈々の名は幼き日の傷としてのこっていたのだった。
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