第12話 触れないくせに、心臓を撫でるな



 


その日から、一ノ瀬仁は桐斗に触れなくなった。

廊下でも、教室でも、寮室でも——一切の接触を断った。


 


命令通りだった。

だから、桐斗も何も言えなかった。


 


でも、ひとつだけおかしい。


 


触れてないのに、

“距離が近すぎる”のだ。


 


「……おい、なんで座るの、そこ」


 


「別に? ここ空いてたから」


 


朝の教室、桐斗がいつものように自分の席に座ろうとすると、

そのすぐ後ろに、仁が机ごと移動していた。


 


「……背中が熱いんだけど。赤外線出てる?」


 


「お前が冷血すぎんだよ。たまには熱、分けてやろうと思ってな」


 


「物理的に近いのに、触ってこないの、逆に気持ち悪いんだけど」


 


「命令は守ってるからな」


 


仁は笑う。

“触れられない”代わりに、“目”と“声”と“間”だけで桐斗を撫でまわしていた。


 


そして、それが——

桐斗には、いちばん効いた。


 


 


寮室でも同じだった。


 


ベッドとベッドの間。

ほんの50センチほどの空間。

そこに立った仁は、何もせず、ただ桐斗を見つめていた。


 


「……何してんの」


 


「見てるだけ」


 


「気持ち悪いって言ったら、どうする」


 


「笑って聞き流す。だって、それでも見てたいんだから」


 


「……」


 


今までなら、「うるせぇ」や「ふざけんな」で終わっていた。

けれど今日の桐斗は、言葉を返せなかった。


 


なぜなら——

内臓が、ほんの少し、きゅっと縮むような感覚があったから。


 


それを、“ときめき”とは認めたくない。

でも、それは“嫌悪”とも違った。


 


「……あんた、ほんとズルい」


 


「なんで?」


 


「触らないから、逃げ場がない。

 スキンシップなら“拒否”できるのに、

 目とか声とか、無防備なところから攻めてくんの、反則」


 


仁は静かに笑った。


 


「じゃあ、命令しろよ。

 “目を合わせるな”、“話しかけるな”って」


 


「……言わない。負けた気がするから」


 


「へえ、じゃあ俺の勝ちだな」


 


「まだ言ってねぇ」


 


「でも、お前、顔赤い」


 


「してねぇ!」


 


「してる。

 ほら、耳まで真っ赤。

 かわい〜、桐斗さん、顔でしか勝てないとか思ってたけど、

 “照れ顔”でイケるタイプだったんだな」


 


「てめぇ……!」


 


桐斗が枕を投げつける。

仁はあっさりキャッチして笑う。


 


「命令、ありがとな。

 おかげで、こっちも“ちゃんと考える時間”ができた」


 


「……なにを?」


 


「お前がどうして、俺に触れられるのを怖がってるのか、ってこと」


 


桐斗の表情が、一瞬で硬くなる。


 


「怖がってなんか、ない」


 


「嘘だな。

 本当は、“感じる自分”が怖いんだろ。

 俺の手が、お前の中に意味を残すのが——」


 


「……黙れ」


 


声が震えた。


 


仁は、そっと言葉の刃を抜いた。


 


「それでも、俺はお前に触れたいよ。

 ちゃんと、意味のある形で」


 


その言葉が、

なぜか桐斗の心臓を撫でた。


 


物理的な接触はゼロ。

なのに、鼓動は明らかに“触れられていた”。


 


——だから余計に、

こいつに勝った気がしない。

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