第15話「敵の次手――実験前倒し宣言」
晴海市民ホールは、いつになくざわついていた。
ケイオス・インダストリーが主催する「次世代エネルギー市民説明会」は、いわば〈大人たちの顔見せパフォーマンス〉だと、市民の多くはタカをくくっていた。だがこの日ばかりは違った。
開場時間の18時を前にして、既に会場のロビーには行列ができていた。テレビ局の中継カメラ、地元紙の記者、若手市議の姿さえある。子連れの主婦、背広姿のサラリーマン、学生服の高校生たち――。
そこに、私服姿の杏と真奈、そして貴大が人ごみに紛れて入場した。
「……予想以上の人数だな」
貴大は眉間にしわを寄せ、ホール正面の舞台を睨んだ。その厳格な表情は、今日の説明会がただの広報では終わらないことを示していた。
「それだけ、みんな“何かおかしい”って感じてるんだと思う」
杏は、静かに周囲を見渡しながら答えた。春の火災以来、彼女の中で燃え続けていたものが、今も確かに胸の奥で熱を持っていた。
「真奈、ライブ配信は準備できてる?」
「うん。予備バッテリーも確認済み。ルーターも強化済みのやつに差し替えた」
いつものように控えめに答える真奈だったが、その手つきに迷いはなかった。失敗を重ねてきたからこそ、今この瞬間は、無駄にできないと知っている。
やがて、司会者の前口上のあと、静まり返った会場に一人の女性が登壇した。
六條麗花――ケイオス社の主任研究員。白のパンツスーツに身を包み、肩までの黒髪は完璧に整えられていた。まるで“人間型AI”のように冷ややかな微笑を浮かべ、マイクの前に立った。
「皆さま、お集まりいただきありがとうございます」
その第一声に、ホールの空気がピンと張り詰める。
「我々ケイオス・インダストリーは、この度、晴海市において、次世代エネルギー炉〈ゼータ炉〉の試験運転を予定しております」
ここまでは予想通りだ。だが――
「当初、試験運転は八月を予定しておりましたが、先日発生した一部施設の不具合に伴い、安全対策の再評価を完了いたしました。その結果、装置の運用準備が前倒し可能と判断され――七月十五日、試験運転を開始いたします」
ざわっ――!
ホールが揺れた。
「前倒し……だと!?」「今なんつった?」「安全対策、終わったって……誰がどうやって!?」
観客席から怒号に近いざわめきが広がる。司会者が慌てて制止しようとするが、時すでに遅し。
その中で、杏がすっと手を挙げた。
「質問、いいですか?」
麗花の視線が彼女を捉えた。数秒の沈黙ののち、マイク越しに答える。
「どうぞ」
杏はまっすぐ立ち上がった。
「先日の研究棟浸水事故では、廃液タンクから重金属混じりの冷却水が漏れていたはずです。検出された物質の拡散経路について、なぜ市民に情報を開示しないんですか?」
会場が一瞬、息を飲む。
麗花はそれを真正面から受け止める――と思いきや、ほんのわずかに微笑んだ。
「情報は、然るべきルートを通じて、関係行政機関には報告しております」
「でも市役所にも、環境課にも、消防にも“報告された記録がない”って言われました!」
「それは、あなたがまだ“子ども”だからです」
麗花の声が、明らかに冷たくなった。
「国家と企業の信頼関係は、あなたのような部外者に向けて構築されているものではありません。あなたが市民の代表のつもりでも、それはただの“自己満足”です」
観客の何人かが騒めいた。杏の手が震える。
それでも彼女は、逃げなかった。
「私はただの中学生です。でも、“部外者”じゃない。この街に暮らして、この空気を吸って、友達と笑って、ご飯を食べて……そんな、普通の人たちを、私は守りたいんです!」
「理想ですね」
「でも私は、あなたの“安全です”という理想より、ずっと現実に触れてる!」
そこで、真奈の配信機がカメラを切り替えた。会場の大型モニターに、杏が掲げた写真――前夜に撤去された信号増幅器の残骸と、その放射線量データが映し出される。
「これは、廃棄された増幅器の近くで計測した数値です。明らかに自然放射線を超えています。なぜ、この機材が市内で稼働していたのか、説明してください」
麗花は、黙っていた。
答えないのではない。答える必要がないと考えている――その無言が、会場に冷たく広がっていく。
「あなたたちは、感情で科学を否定しようとしている。技術の進歩は、常に一部の犠牲の上に成り立ってきた。それは、仕方のないことなのです」
その瞬間、貴大が静かに立ち上がった。
「それは……本当に仕方ないことですか?」
低く、しかしよく通る声だった。
「『一部の犠牲』という言葉で、法律も倫理も超えようとする行為は、明確な違法です。市の条例第84条、および労働安全衛生法、そして電波法に抵触する疑いがあります」
「……誰?」
「僕は晴海市立第二中学校・生徒会副会長、赤坂貴大です。あなたの理屈がいくら通っていても、僕たちが感じている“恐怖”を無視して、あなたの実験は成り立たない」
その言葉に、会場が静まり返った。
しばしの間を置いて、麗花はほんのわずかに口元を歪めた。
「……面白い。では、ご期待ください。七月十五日、〈ゼータ炉〉の“真価”を、この街でお披露目いたします」
彼女はマイクを置いた。
その背中に、誰一人声をかける者はいなかった。
市民ホールの空気は、夏を待たずに凍りついていた。
説明会が終了しても、誰ひとり席を立とうとしなかった。
観客の多くは目の前の現実をすぐには受け入れられず、ざわめきも声も失っていた。まるで、巨大な災厄の前兆を前にした静けさ――嵐の“目”の中に取り残されたようだった。
「……早すぎる」
杏がつぶやいた。
「六月でもギリギリだったのに、七月十五日なんて……一か月前倒しってどういうこと? 実験設備、全部整ってるってこと? それとも……何か強行突破するつもり?」
彼女の声はかすれていた。唇も、手のひらも、じっとりと汗ばみ、背中を冷や汗が伝っていく。
そんな杏の肩を、真奈がそっと押した。
「ごめん……あの写真、もっとはっきり写せてたら……」
「ううん、充分だった。みんな見てた。言葉より、あの画像のほうが響いてたよ」
それは嘘ではなかった。質疑応答の直後から、会場内の人々の視線は、明らかにケイオス社の説明を“疑う”方向に変わっていた。特に麗花の冷たい態度が、逆に警戒心を煽っていた。
ただ、その警戒が行動につながるかは、まだ分からない。
「……動くなら、今しかないな」
貴大が静かに言った。
「期限が切られた以上、それまでに“決定的な証拠”を市に提出する必要がある。世論だけでは止まらない。仮処分申請も、裁判所の判断が出るまで時間がかかる」
「でも、証拠って何? もうあらかたのデータは出そろってるんじゃない?」
杏が問い返すと、貴大はわずかに首を振った。
「今あるのは“疑い”の域を出ない。環境汚染、放射線値、強電磁波――どれも“因果関係が直接証明された”ものじゃない。もっとはっきりした、“装置の危険性を証明する技術的根拠”が必要だ」
「……つまり、ゼータ炉そのものの内部構造ってこと?」
「そうだ。そして、その情報を誰より詳しく知っているのは……六條麗花本人」
ふたりの視線が交わった。
もはや、言葉は不要だった。
やるべきことは、決まっていた。
それは無謀で、危険で、誰に止められてもおかしくない行為だ。
けれども――
「私は行くよ」
杏の決意は揺るがなかった。
「どれだけ敵が賢くて、偉くて、強くても……私、退きたくない」
その背中を、貴大がまっすぐ見据えた。
「ならば、規律の内側で最大限、君を援護する。……行こう、“仲間たち”のところへ」
夜のホールをあとにし、三人は静かに歩き出した。
そこには、誰にも見えない覚悟と――
確かな光が、あった。
その夜、〈ブライトシーカーズ〉の作戦本部――佳奈子の自宅リビングに全員が集結した。
机にはこれまで集めた資料やデータ、港湾エリアの地図、そして麗花の発言が録音された音声ファイルが並んでいる。
「起動前倒しは、私たちの活動が“効いている”証拠だと思う」
杏が切り出すと、光平がうなずいた。
「そのとおり。シミュレーションやラジオ放送、SNSでの拡散、市長の動き。少しずつだが、ケイオス社は確実に追い詰められてる」
「だが、逆に言えば、“強引に進めても問題ない”と判断されたということだ」
貴大が警鐘を鳴らすように言う。
「麗花の態度、企業の説明会戦略――今後はもっと巧妙な“合法スレスレ”が続くはず。最終的なストッパーは、証拠と市民の声、それと……」
「私たちの行動力、だよね」
杏がそう言って、皆の顔を見回した。
「で、次に目指すのは?」
真奈がメモを構えながら問いかける。
「ゼータ炉の実験運転データ、内部設計図、そして……あの“燃料カプセル”の正体」
和馬のその言葉に、佳奈子が画面を切り替える。
そこには、発振器から発見されたとされる赤いカプセルの写真が映し出されていた。
「これ……もし予備があるとしたら、どこに保管されている?」
「製造記録や輸入記録を調べるのが先決だね」
光平が静かに答えた。
「怪しいルートがひとつある。“白波浜”の海底ケーブル。海から搬入してる可能性は高い」
「じゃあ次は……海中調査?」
敬太の声がどこかワクワクしていた。
「やっぱり夏は、海だなあ」
「潜るのは君じゃないよ。潜水士資格持ってるのは和馬だけだから」
真奈がすかさずツッコミを入れ、皆に笑いが広がった。
けれどもその笑いの奥には、確かな緊張感が宿っていた。
敵が本気なら、こちらも本気を出すしかない。
正面から戦うために。
そして、街を守るために。
「よし、作戦名は……〈ブルーマリン・スキャン〉でいこう」
杏がそう名付けると、皆の表情が少し引き締まった。
「この夏、勝負は続くよ。熱くて、青くて、危険だけど――」
「でも、止まらない」
光平が小さくつぶやく。
「だって、止まったら、誰かが傷つくかもしれないから」
その言葉が全員の胸に深く響いた。
静かに、夜の帳が晴海市を包んでいく。
七人の中学生たちは、それぞれの決意を胸に、新たな作戦へと動き出した。
〈つよつよ〉な彼らの戦いは、まだ終わらない。
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