第16話「文化祭へ忍び込む影」
晴海第二中学校の文化祭前日。土曜の朝から、校舎中がそわそわとした熱気に包まれていた。中庭のテントでは模擬店の準備が進み、体育館では吹奏楽部が最終リハーサルの音を響かせている。
「まさか文化祭準備が、“本気の諜報活動”になるとはなぁ……」
敬太が首にかけたタオルで汗をぬぐいながら、段ボールの山を台車に積み上げていた。今日は模擬店〈ソースせんべい無限列車〉のリーダーとして、正式に搬入許可証を発行されている。その立場を利用して、裏の目的――屋上の電波中継アンテナの調査を遂行するのが〈ブライトシーカーズ〉の狙いだ。
「搬入口は正面、でも屋上に行くなら……こっちの非常階段よ」
杏は、地図を指差しながら和馬に説明する。和馬は作業服の下に着たTシャツの袖をまくりながらうなずいた。
「校舎裏の防災資材庫から上がれば、警備カメラの死角になる。問題は屋上扉の開錠……」
「それは任せて。昨日、理科室の棚に古い鍵の束があってね。ひとつ、妙にサビてるのが……屋上扉の錠と形がぴったりだった」
そう言って、杏はポケットからその鍵を取り出した。和馬が目を細める。
「……さすが、こだわり屋さんだな」
「使えるかどうかは、現地で試すしかないけどね」
ふたりは顔を見合わせ、軽くうなずいた。
一方、校舎内の放送室では――
「……電波ノイズ、検知しました。周波数は2.4GHz帯、安定性は低いけど断続的に発信してるわね」
紗季が機材の前で、変わらぬ独特の言い回しでつぶやく。
「まるで――未明の宇宙をさまよう、彷徨える電子の子羊のような……」
「それ、つまり“怪しい信号が出てる”ってこと?」
光平がドアの隙間から顔を出し、にやりと笑う。
「そっちの調査、任せていい?」
「うん。放送室からなら屋上の波形も解析できる。あとは……“影を忍ばせる”タイミングだけ」
紗季の手元のディスプレイには、屋上付近の信号波形が揺れていた。どうやら機器はすでに設置されているらしい。
「とにかく早く行って、設置物の写真を押さえることが最優先だ」
光平の言葉に、紗季もうなずいた。
文化祭準備という騒がしさに紛れて、〈ブライトシーカーズ〉は再び動き始める――。
午前九時四十分。
杏と和馬は、工具袋を抱えたふりをして校舎裏の防災資材庫に到着した。周囲では生徒たちが大道具の板を運び、誰も彼らの行動には注意を払っていない。
「じゃ、ここから……」
杏がしゃがみ込んで、資材庫横の細い通路に入り込む。すぐ隣にあるスチール製の非常階段の踊り場に手をかけ、ギシリと軋む音を立てながら上り始めた。
「静かに、静かに……って言っても、この階段、昭和の遺産みたいな音だな」
「誰にも気づかれないほうが奇跡ってやつだね」
和馬がぼやくが、目は真剣だった。階段を数段のぼるたび、錆びついた手すりがきしみ、埃が舞う。
やがて屋上扉の前に到着。
「鍵、試してみる……」
杏はポケットから昨日見つけた錆びた鍵を取り出し、慎重に鍵穴に差し込んだ。ぎぎ……と鈍い音とともに、扉の錠が回る。
「開いた!」
「やっぱりお前、探偵向きだな……」
「……違う。私は、ヒロイン志望!」
杏がニッと笑い、二人はそっと扉を開けた。
初夏の光が反射してまぶしい屋上。灰色のコンクリ床の中央近くに、見慣れないアンテナユニットが立っていた。中型の三脚に乗せられ、灰色の樹脂製カバーで覆われた装置が風に揺れている。
「……これだな。ケイオス社の電波中継器……」
和馬が呟く。機器の裏には、確かに小さなロゴシールが貼られていた。だがそれ以上に、杏の目を引いたのは、その根元――
「電源、引き込まれてる……理科室側の配電盤から?」
「違う。……これは、非常用電源ケーブルだ」
和馬が配線をたどりながら唸った。
「つまり、文化祭の電源が切れてもこいつは動く……隠す気ゼロじゃないか」
「それが逆に、見落とさせる狙いかも」
杏はスマホを取り出し、数枚の写真を撮る。全体、ラベル、配線――細かい部分まで角度を変えて収めた。
「……証拠は十分。じゃ、撤去といこうか」
「バラして持ち出すのは無理だ、時間が足りない」
「なら、最悪“事故で壊れた”ことにすればいい。今なら誰もいない」
その時、屋上扉の方から微かな気配がした。
「誰か来た――!」
和馬が素早くアンテナの影に身を隠し、杏も階段脇の冷却機ユニットの裏に飛び込んだ。
ギィ……と扉が開く音。
「文化祭実行委員、最終点検に来ましたー!」
明るい声とともに、制服姿の生徒が一人、屋上に入ってきた。
「まずい、実行委員長……!」
杏の肩に冷たい汗が流れた。
――まずい。文化祭実行委員長、神原だ。
彼女は真面目で責任感のかたまりみたいな人間で、何より「ルール違反を見逃さない」で有名だ。
屋上を見回す神原の視線が、アンテナの方へ向かっていく。
(せめて、隠しておけば……!)
杏が動こうとした、その瞬間だった。
ピン、という乾いた金属音。
「……誰か、いるの?」
神原が警戒するように声を上げ、足音が近づいてくる。
(終わった……!)
思わず息を飲み込んだその時だった。
「ちょーっと待ったぁーーっ!」
割って入ったのは、敬太の声だった。
「こっちこっち、神原さん! ちょっと放送部がアンプの不調で困っててさー!」
「あ、え、ええ? でも私は屋上の点検――」
「大丈夫大丈夫! アンテナとか風で倒れてないし、どうせ明日も誰か来るでしょ?」
「……まぁ、それもそうだけど……」
神原が渋々屋上扉の方へ戻っていく。
足音が完全に遠ざかったのを見計らって、杏と和馬は影から飛び出した。
「助かった……!」
杏が息を吐くと、和馬も額の汗を拭った。
「敬太のやつ、いいタイミングで来てくれたな……って、どうやって屋上まで?」
「たぶん、上履きで階段二段飛ばしだな。あいつ、ああ見えて足速いし」
杏がそう呟きながら、再びアンテナへと向き直る。
「さて、今度こそ――処理しようか」
「破壊する? 証拠も撮ったし」
「ううん、“工作”して壊れたように見せる。たとえば……これを倒れかけにして、ネジを緩めて――」
作業に移る杏の手は早かった。根元のネジを半分ほど抜き、三脚をわずかに傾け、風に煽られたら倒れる程度に整える。
「はい、これで完了。あとは……誰かが気づいたら『強風で倒れた』ことにしてくれるさ」
「悪知恵が冴えるな」
「悪知恵じゃない、正義の知恵」
二人は屋上からそっと撤退した。
階段を下りると、倉庫の脇で敬太がにやにやと待っていた。
「いやー、ナイス登場でしょ? しかも放送部、マジでアンプ不調だったからついでに直してきた」
「お前、何者だよ……」
「つよつよヒロインのサブメカニック?」
「ちがーう。サブコメディアンだろ、それ」
三人で小声のやり取りを続けながら、裏手から校舎へ戻る。
屋上の装置は、今のところ誰にも気づかれていない。
だがその装置が、どんな目的で設置されていたか――それを問いただす時間は、まだ来ていなかった。
その夜、光平の部屋では、ドローンで撮影された屋上の映像が再生されていた。
PCの画面には、三脚状の機械――通信アンテナと思われる物体が、校舎の端にぴたりと立っていた。
その根元には、企業名の記されたタグが貼られている。そこには見覚えのあるロゴ――“ケイオス・インダストリー”の文字。
「やっぱり、ケイオス社の設備か……」
呟いた光平の隣で、佳奈子がタブレットをいじりながら分析データをまとめていた。
「形状から見て、これは中継アンテナで間違いない。ただの通信機じゃなく、データ圧縮と増幅処理を行うタイプ。しかも、電源供給のケーブルがないのに稼働してた」
「ってことは……自立式か。内部にバッテリーか小型燃料……もしかして例の“セル”が?」
「……可能性はある。あのアンテナ、私たちが以前追った信号源と一致する方向に向いてたわ。晴海港と――海底ブイ」
光平は苦い顔で頷いた。
「となると、校舎屋上を利用して、信号を都市中心部まで強化中継してる。文化祭の準備に紛れて設置したってことか」
佳奈子が唇を噛んだ。
「卑怯というか、抜け目がないというか……。これって、違法通信だよね?」
「微妙なライン。技術的にはギリ合法かもしれないけど、学校に無許可で設置したらアウトだ」
二人の議論は続いた。
だが、もっとも肝心なのは――この中継アンテナが、ゼータ炉の起動とどう関係してくるのか、ということだった。
「おそらく、実験制御信号の一部を、街のあちこちから間接送信してる。つまり、都市インフラの一部に混ぜてるってこと。学校、病院、企業……」
「まるでスパイ映画の都市監視網だな……」
光平が呟くと、佳奈子が眉をひそめた。
「それより問題は、他にも同じ装置が存在する可能性よ。1つ撤去しても、残りが無数にあったら意味がない」
「確かに……だとすると、文化祭は陽動かもしれない」
その言葉に、部屋の空気が一瞬凍る。
「つまり……これは“罠”?」
「あるいは、“実験本番のシミュレーション”かもしれない」
二人は顔を見合わせ、同時に立ち上がった。
「杏たちに報告しよう。明日、緊急会議だ」
そう言って、光平はスマホを手に取った。
翌日、朝早くから〈ブライトシーカーズ〉の面々は図書館の会議室に集結していた。
屋上から撤去したアンテナの部品、ドローン映像、通信ログ、電波測定記録。各自が持ち寄った証拠がテーブルの上に並べられ、室内には緊張感が漂っていた。
杏は深く椅子に腰掛けたまま、ひとつ深呼吸する。
「……屋上の装置は確かにケイオス社のものだった。光平と佳奈子の解析によると、中継アンテナで、海底ブイとの通信に使われてた」
貴大が頷きながら書類をめくった。
「これが、都市インフラを利用した実験中継網の一部なら、設置自体が市の条例に違反している。しかも教育機関で、事前の届け出なし。これは重大な侵害行為だ」
「だけど、それを撤去した私たちも……無断で屋上に上がって、装置を分解した。完全に校則違反だよね」
真奈が静かにそう言うと、一同が言葉を飲んだ。
その沈黙を破ったのは、紗季だった。
「停学になっても……私は後悔しないわ。“屋上の風の匂い”は、言葉にならない確信をくれた。あれが、街を危険にさらす風だってこと」
そして、敬太がにっこり笑った。
「ま、人生にはケガもスベリもつきものっしょ! 先生の説教より、こっちの方がよっぽど面白い経験じゃん!」
和馬は微笑みながらも、現実的な視線を向けた。
「ただ、次は慎重に行こう。文化祭という公の場を使った行動は、一歩間違えれば市民からの信頼を失う。今はまだ“生徒の悪ふざけ”で済んでるけど……」
「だからこそ、記録と証拠を残すことが必要なんだ」
光平が言って、佳奈子が頷いた。
「今回のログと撮影記録は、時系列で整理して保存済み。いつでも提出できるようにしたわ」
杏が立ち上がり、きっぱりと前を向いた。
「それでも私は、次も動く。どんなリスクがあっても。この街で、誰かが静かに何かに怯えるような未来にはしたくないから」
その声に、全員が目を上げた。
「……だから、私たちの活動を、ちゃんと伝えていこう。先生にも、市民にも、メディアにも。逃げずに、“誰のための正義なのか”を話していこう」
貴大が目を細めて言った。
「規律と挑戦は、敵同士じゃない。補い合える」
その言葉に、杏は力強く頷いた。
その日の夕方、校長室には、〈文化祭当日の屋上設備撤去に関する報告書〉が提出された。提出者欄には、ブライトシーカーズ全員の名前が並んでいた。
そして――三日後、生徒会掲示板に張り出された紙には、こう書かれていた。
【お知らせ】
以下の生徒を、文化祭期間中の規律違反により、三日間の停学処分とします。
ただし、本件については重大な公益性が認められたため、今後の検討課題とします。
晴海第二中学校 校長室
だが、彼らの行動はすでに噂となって広がっていた。
「なんか、すごいことやったらしいよ」「正義のスパイチームらしい」「屋上で衛星つかまえたとか!」
事実と違ってもいい。
物語は、誰かの勇気を呼び覚ます力になる。
チーム〈ブライトシーカーズ〉は、新たな波を巻き起こしながら、次なる局面へ向けて進み出す。
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