第2話「規律と無謀の衝突」
生徒会室のドアは、古びた木製で、軋む音を立てて開いた。
「失礼しまーす! “街の困りごと、力ずくで解決する部活”の設立、申請に来ましたっ!」
その声が反響する前に、貴大はすでに頭を抱えていた。
「……言い方を、考えようって言ったよね」
貴大は机の上に置かれた書類に目を落としたまま、眉間に皺を寄せている。中学二年の春休みが明けて、最初の月曜日。時間は放課後の四時半。晴海市立第二中学校の生徒会室は、窓から柔らかい西日が差し込んでいた。
「いいじゃん。嘘は言ってないし、情熱って大事でしょ?」
杏は飄々と笑う。その隣で、紗季が「ふふふ」と口元を押さえていた。
「力ずく、という言葉の響きが、どうも……五感を逆撫でしますね。例えば“課題に対し物理的アプローチも辞さない部活”など、比喩の奥行きに工夫の余地があるのでは?」
「それただの格好つけ!」
「けれど、たとえ綱渡りでも、美しさを忘れてはならない。そうでしょ、光平くん?」
紗季の視線を受けて、部屋の隅にいた光平が小さくうなずいた。
「うん。まあ……“力ずく”って言うと、学校的にはちょっと、角が立つかな」
彼はメガネの奥で目を細めて、手元のタブレットに何かを書き込んでいた。杏の勢いと貴大の堅実さを天秤にかけるように、バランスを取っているようだった。
貴大はようやく書類を閉じて、立ち上がった。
「……まずは、仮設団体としての登録だけは済ませた。でも、学校として正式な部活動に認められるには、“活動実績”と“継続可能性”が必要だ。それは、分かってるね?」
「もちろん!」
杏は即答した。机の上で両手をパンと合わせる。
「活動実績なら任せてよ。もうすでに、港の火災で救出活動したじゃん。あれ、初回実績にカウントしてくれる?」
「無許可で現場に立ち入ったことを“実績”と呼ぶには、根拠が乏しすぎる。緊急対応だったことは考慮するけど、以後の活動はすべて“計画書提出の上、許可を得てから”だ」
「うー……計画書って、たとえば何?」
「行き先、目的、参加人数、連絡体制、緊急時の対処マニュアル。それから、備品の使用申請、予算配分、引率責任者の署名も」
貴大が次々と挙げるたびに、杏の顔がどんどん曇っていく。
まるで、空を自由に飛ぼうとした鳥が、次々と足に紐を巻き付けられていくようだった。
「じゃあさ、こういうのは? 『明日、港でまたちょっと変なトラック見たんだけど、あれを調査に行く』とか、そういうの!」
杏が机に身を乗り出す。だが貴大は首を横に振った。
「“変なトラック”って何。調査って何をするの。主観で行動した結果、問題が起きたらどうする」
「でもさ、現実に動かないと何も分からないじゃん!」
「現実を変えたいなら、まずは現実のルールを理解することだ」
二人の間に、一瞬の静寂が走る。
机を挟んで、正面から向き合う形になった杏と貴大。普段はほとんど口論になることなどない二人だった。だが今、この瞬間だけは、譲れないものがぶつかっていた。
その間に割って入ったのは、やはり紗季だった。
「たとえば、ですけれど……。仮設部としての活動は、こう考えるのはどうでしょう? “解決”とは、すべての困りごとに正面突破を挑むことではなく、“光を当てること”でもある、と」
全員が、静かに紗季を見つめた。
「光?」
「はい。“ブライトシーカーズ”という名前にふさわしく、私たちは問題を“暴く”のではなく、まず“照らす”。その先に、何があるのかを見極めてから、行動すれば――それは無謀ではなく、選択になります」
その言葉に、光平がうなずいた。
「僕、賛成。観察して、記録して、報告する。まずはそこからだよ」
杏は少し黙ってから、肩をすくめた。
「……うん。分かった。でも、なにか起きたら、突っ走るからね。そこは譲らないよ」
「それでこそ杏だと思う」と光平が言い、貴大もようやく表情を和らげた。
「じゃあ、計画書の雛形は僕が用意するよ。提出の仕方も説明するから、それを踏まえて進めていこう」
「やったー! じゃあ、“街の困りごと、光で照らす部活”ってことで、仮スタート!」
「……その名前、もうちょっと何とかならない?」
「名前は、あとで会議しようねっ!」
笑いが広がる生徒会室。その窓の外、沈みかけた太陽が、ほんのりオレンジに光っていた。
日が暮れる直前、仮設部の発足を記念して、彼らは屋上に集まった。
晴海第二中学校の屋上は、生徒の立ち入りが普段は禁止されていたが、生徒会役員の貴大が鍵を持っていた。今日は“特例”だ。風が吹き抜け、まだ春なのに少し肌寒い。海の方から、潮の匂いが届いていた。
「ここからだと、港が見えるね」
杏がフェンス越しに目を細める。
倉庫の一部にはまだ立ち入り禁止のテープが残っていて、そこに小さく“CHAOS INDUSTRY”の仮設看板が立てかけられている。
それを見ながら、光平がぽつりと言った。
「本当に……何を研究してるんだろう。あの会社」
「前に、市の科学推進プログラムに協賛してたの、覚えてる?」
紗季が思い出したように言った。
「“ゼータエネルギー構想”って名前だったと思う。パネル展示を見たの。でも、そのときも技術の核心は公開されてなかった。説明員は、ずっと笑顔だったけどね。能面みたいな」
「能面みたいな笑顔」――その言い方がツボに入ったのか、杏と光平がクスッと笑う。
貴大はフェンスから少し離れたところで、手帳を開いたまま考えていた。
「……民間企業の研究施設なら、守秘義務があるのは当然だけど。火災の後で、市に報告書も出していないっていうのは、不自然だ」
「火災原因の公式発表も、まだ出てないもんね」
「うん。だから、次にやるべきことがあると思うんだ」
杏が、くるりと振り向いた。
「次の“活動計画”ってこと?」
「そう。市民向けの講座がある。来週月曜、市民会館で“安全とエネルギーの未来”っていうテーマ。そこに、ケイオス社の技術員が講師として来る予定になってる」
貴大はスケジュール表を示す。
「市のイベントだし、生徒でも自由に参加できる。正式な外出届けを出して、仮設部の活動として行こう」
「よっしゃ! それなら質問攻めできる!」
「……あくまで“聞き出す”んだぞ? 無理矢理じゃなくて」
「わーかってるって。やる時はやるよ!」
杏の言葉に、全員の顔が和らぐ。
屋上の風が、彼らの間を通り抜ける。夕暮れが港に反射して、波がキラキラと光っていた。
「じゃあ、決まりだね。“ブライトシーカーズ”、初の公式活動は“市民講座への参加”!」
光平がまとめ役としてそう言うと、四人はこっそり拳を合わせた。屋上の片隅で、小さな円陣ができた。
「“困りごとには、光を”!」
「“照らせ、見つけろ、突っ込め!”」
「いや最後の語感、ちょっと暴走気味……」
そんなツッコミが飛びながらも、日没が近づく空の下で、彼らは確かに前に進み始めていた。
規律と情熱がぶつかり、でも手を取り合う。〈ブライトシーカーズ〉の、最初の光が灯ったのだった。
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