第一話
◆1/虚構の終わり
月明かりが照らす廊下を進む。差し込む光は白々と冷たい。
足元には、ガラスやコンクリート片が散乱している。歩を進めるたびに、それらがジャリジャリと音を立てた。
一歩、一歩。
静寂のなか、足音だけが異様に大きく響く。
辺りに漂う、湿ったカビの臭い。
その中に、微かに錆びた鉄の臭いを感じ取った。
――血の臭いだ。
「近い……」
篝は手にした斧を構える。
ピリピリとした感覚が肌を刺し、自然に手に力が入る。
慎重に周囲の気配を探る。崩れた天井に、酷くひび割れた壁。そして、闇に溶け込むように続く廊下。
鼓動が激しくなり、肌が上気する。
廊下の先の闇が、微かに揺らいだ。
一瞬の間をおいて、暗闇が爆ぜる。
飛び出した影が、暴風のような勢いで篝を襲う。
篝は構えた斧を盾に、飛び出してきた〝それ〟を受け止める。
金属が擦れ、耳障りな音を響かせた。
火花が散り、廊下を一瞬赤く染める。
巨石を受け止めたような衝撃に、猛烈な勢いで弾き飛ばされる。
――だが、篝の胸中に恐れや驚愕はなかった。
呼吸を軽く整え、空中で斧を廊下に叩き付ける。
食い込む刃がコンクリートを砕き、勢いを無理やり殺していく。
粉塵が巻き上がり、視界を白く濁らせる。
篝は静かに地面に降り立ち、ゆっくりと前を見据える。
向こうから、赤く光る
青白い体に、絡みつくように漂う黒い瘴気。
張り詰めた筋肉は、岩石を思わせるごつごつとした影を落としている。
異様に発達した
額から突き出す二本の角は、雷鳴のような白銀の輝きを放つ。
低く唸るような呼吸音。
肉食獣めいた牙が、闇の中で不気味に浮かび上がっていた。
「上等……!」
静かな覚悟が心中に満ちる。
腰を落とし、半身に構える。
同時に、怪物が
壁、壁、床――また壁。
そして天井へ。
破壊を繰り返しながら、不規則に跳ね回る。
床を砕きながら着地したかと思えば、すぐさま天井へ跳び上がった。
その動きを読んでいた篝が、寸分の遅れもなく追う。
弾けるように跳び上がり、空を裂くように回る。
刹那の静寂――。
吸い込まれるように、篝の
世界に音が戻り、骨の砕ける鈍い音が響く。
怪物の巨体が青い残像を残し、地面へと叩き付けられる。
コンクリートが砕け、粉塵が間欠泉のように噴き上がった。
もうもうと舞う粉塵の向こうで、怪物が水音混じりのうめき声を漏らす。
潰れて歪んだ顔から、流れ出す青色の血液。
砕けた瓦礫の中で怪物がもがき、必死に身体を起こそうとしている。
けれど、それは――無様な足掻きでしかない。
地面を掻くように動く手が、凍り付いたように止まる。
威嚇――それとも命乞いか。
怪物がひときわ大きな咆哮を上げる。
ゆっくりと篝が斧を振り上げる。
宙を覆う粉塵を切り裂き、落雷のような一撃を振り落とす。
その攻撃は、怪物の頭を縦に断ち割り、重々しい衝撃音と共に地面を揺らす。
篝が短く、息を吐き出した。
「バッチリや! カガリン、おつかれさん〜!」
突如、底抜けに明るい声が響き渡る。篝の目から鋭さが消え、口元がわずかにほころぶ。
『演習を終了します』
その声を合図に、怪物の体から質感が溶け落ちた。陰影の無くなった輪郭が、流れる砂のように形を失っていく。怪物も、床も、壁も――ゆるやかに闇へと染み込んでいった。
残ったのは、篝ただひとり。
そして彼女の存在も儚く消えた。
――世界が終わり、そしてまた始まる。
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