5 鬼の異能


「なぜわたくしを連れ出したのか、知りとうございます」

 

 ひとしきり泣き、涙が枯れたころ、桜子はようやく武臣に話を切り出すことができた。

 

 赤いカウチソファに座っている桜子の手には、武臣が慣れない手つきで入れてくれた、白湯さゆの入った湯呑みがある。武臣は人生で初めて、自分で湯を沸かしたと笑った。体の芯から温まるという経験は、桜子の記憶をどれだけ遡っても、ない。だからか、警戒心がどんどん解けていくようで、それが少し怖くもある。


 武臣は、桜子の斜め前に据えてある、一人掛けの椅子に深く腰掛け口を開いた。


「なぜ、か。桜子殿に関わることだから言うが……本堂政親まさちかが秘密裏に行ったことが、軍の内部で問題になっている」

「もしかして音羽様は、その調査をしに本堂家へ?」

「ああ」


 桜子は、ついに来たかと思った。腹の奥がずんと沈むような感覚に襲われ、背筋に冷たいものが走る。

 琥珀が何をしていたのかの詳細は知らないが、恐ろしいことなのは分かっていた。あれだけ血の匂いをさせて帰ってきていたのだから、人に害をなしていたのは間違いない。


「わたくしは、どのような罰も受ける所存です」


 桜子の決意を滲ませた言葉に、武臣は口角を少しゆるませた。

 

「罰など受ける必要はない。はるか昔であれば、呪いを行ったその事実だけで断罪されよう。だが今は違う。どんどん技術革新を行っていかねばならぬ時勢かつ、軍の上層部は前時代的な力をいとっている」


 上層部、という言葉に武臣の嫌悪感が滲んでいる気がして、桜子は意外に思った。間違いなく武臣は、その『上層部』に含まれる人間であるからだ。


「俺はそんな中央の意図を汲んで、この件を片付けなければならない立場にある。だからまず、桜子殿の保護をさせてもらった。これ以上利用されるのも、虐げられるのも、防ぎたかったからな」

 

 桜子は、顔を伏せた。

 虐げられていたなどと知られるのは、恥ずかしい。利用されていると知られているなら、琥珀の行いも把握されている。

 情緒がぐちゃぐちゃになって、思考がまとまらない。

 

「ああ、どうかそんな風に、追い詰められたような顔をしないでくれ。言っただろう。春までここに居てくれたら、それでいい」

「わたくしをなぜ、保護など」

「なぜだと思う?」


 桜子は、言葉に詰まった。

 今まで誰も、桜子に意見など求めなかったからだ。命、境遇、衣食住。与えられるものを、ただひたすらに受け入れて生きてきた。

 そんな自分が、答えてもいいのだろうか。

 

「遠慮せずに、言ってくれ。咎めなどしない」


 武臣は、いつも桜子の心情を汲んで、欲しい言葉を与えてくれる。

 そのことが不思議でならないと同時に、ありのままで良いと言われているようで、桜子の本心がつるりと口先に出てきてしまった。

 

「音羽様にも、なんらかの異能があるからとしか……」

 

 は、と気づいて慌てて呑み込み、頭を下げる。両手で持っていた湯呑みの中で、冷めた白湯がぴしゃんと跳ねた。


「申し訳ございません、不躾なことを」


 恐縮して肩を縮こませる桜子に向かって、武臣は軽く首を横に振り、気にするなと態度で示す。

 

「いや、いい。その代わり、なぜ俺に異能があると分かったか、教えてくれないか」

「それは……その……琥珀のこと、見えてらっしゃるのではと」

「なるほど」


 武臣は、組んでいた足をするりと床に下ろすと、前のめりになった。おもむろに青色眼鏡を外し、桜子をじっと見つめる。


「っ……!」


 桜子は眼鏡のない武臣を初めて見たが、あまりの衝撃に息を止めた。

 

 青色ガラスに覆われ判然としなかった、武臣の両目の虹彩は、白色に濁っている。

 はたして見えているのだろうかと、桜子は真ん中にポツンと見える黒い点のような瞳孔を覗き込んだ。

 武臣は自嘲の笑みを浮かべつつ、桜子を見つめ返す。


「恐ろしいだろう? この目と髪こそ、俺が白鬼はくきと呼ばれている所以ゆえんなのだ」

「はくき?」

「白い鬼、と書く」

「白い鬼……わたくしは音羽様を恐ろしいとは思いません。それよりも、目の痛みなどはございませんか? 不自由などは」


 武臣の見た目の異質さを、桜子は嫌悪するどころか、気遣った。

 不遇な自分に手を差し伸べたのは、任務のためかもしれない。だが、暖かな家と食事を提供してくれた命の恩人であり、何よりもその言葉や態度の端々に、彼自身の思いやりを感じている。


「不自由はない。問題なく見えているよ」


 ホッと胸を撫で下ろす桜子の様子に、武臣は上体を起こして眼鏡を掛け直してから、軽い口調で衝撃的事実を告げる。


「さて、俺だけが桜子殿のことを知っているというのは、不公平だろう。秘密を暴露したいんだが、良いだろうか」

「秘密?」

「ああ。口外は絶対にしないで欲しい」


 桜子は、身構えてから強く頷いた。


「絶対に、言いません」

「ふ。ならば打ち明けよう」


 武臣は、探るように桜子の目を見るが、桜子は負けじと目線を逸らさない。そのことに満足したのか、武臣はあっさりと告白した。

 

「実は俺も、なのだ」

「え!」

「その名の通り、俺には鬼が宿っている。黄泉で両目を喰わせたら、俺のことをいたく気に入ったようでね。現世に興味が湧いたと、共に戻ってきたというわけさ」


 あっけらかんと言ってのけるが、人が鬼と共に在るなどと聞いたことがない。喰われるのではないのか――


『大丈夫だ、桜子。鬼は確かに残忍だが、見たところ盟約があるようだ。盟約の鬼は、心配無用』


 慰めるように琥珀が断言したので、桜子の不安は途端に和らぐ。

 一方で武臣は、すかさず椅子から降りて床にひざまずき、琥珀に対して敬意を表すように、左胸に右手を当てた。


「琥珀殿は、なんらかの神であるとお見受けしますが」

『うむ。我こそは、黒雷くろいかずちである』

「なんと……! 黄泉の女神の腹にいたとされる、あの」

『よく知っているな。だが今は、ただの桜子の飼い犬、琥珀だ。それより白鬼はくきを手懐けるとはな。なかなかやりよる』

「幸運だっただけです」

『……そうか。さて桜子。ここは安全な場所だ。安心するがいいぞ』


 琥珀が、ひざまずく武臣の頬に、自身の頬をすり寄せた。親愛の情を表す仕草に、桜子はようやく心から安らげる場所を見つけたのだ、と思うことができた。


『白鬼。桜子を頼むぞ』

「御意」

「わたくしは……ここに、居てよいのですね」

「もちろんだ。琥珀殿の言う通り、安心して滞在して欲しい」

「はい」


 桜子の本心からの返事だった。それを聞いて満足した武臣は、膝に手を打って立ち上がる。


「さ、風呂を沸かそう。それに、何か食べようか。温まってからゆっくり眠るがいい」


 こうして、桜子が長年夢に見ていた、平穏な暮らしが始まった。


    ꕤ︎︎


 大規模な粛清の嵐が、帝都を襲っている――

 

 そんなまことしやかな噂が、帝國軍だけでなく、平民の間にまで広まっていた。


『真夜中に軍人が帝都を徘徊し、反旗を翻すような輩を抹殺している』

『軍幹部でも容赦無く、いつの間にかいなくなっているらしい』

『白い髪を振り乱し、刀を振り回す、鬼軍人がいる』

『狙われたら最後、逃げても無駄だそうな。くわばら、くわばら』

 

 車が一台、銀色の車体を光らせながら、帝都の人混みを切り裂くように走っている。

 

「大佐、好き勝手言いふらされていますね〜」


 ハンドルを握る凛丸が、愉快そうに言い放つと、後部座席の武臣は怫然として両腕を組んだ。

 

「言いたい奴らには、言わせておくだけだ」


 その声音は、武臣の声にガラガラとしわがれた男の声が重なったような違和感がある。


「おや、お珍しい。昼間に表に出るだなんて」

「からかうな。ただの、牽制だ」

「あ〜、なるほど」

 

 チラリと後ろに目線をやった凛丸が、訳知り顔で頷く。


「まったくもって、鬱陶しいですね」


 砂埃を立てて走る荷馬車が、武臣の車の背後を走っている。その荷馬車に乗っているのは、農民に見える。だがいくら服装を変えたところで、所作や目つきはそうそう誤魔化せるものではない。明らかに農民ではない、剣呑な雰囲気を纏っている。


「よき頃合いに、あのハエは叩き落とす」

「じゃあ適当に、流しますね」

「頼む」

 

 武臣は憂鬱そうに大きな溜息を吐いたが、すぐに心底腹が減ったような様子で、舌なめずりをする。

 まるで二人の人格が宿っているかのような仕草に、凛丸はぶるりと身震いをした。

 

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