第7話:記録の白と、記憶の闇
「それでは、ソウジ様。討伐初日の進捗確認をいたします」
夕暮れのテント内。補佐官リルタは、いつもの無機質な声で言った。
ソウジは汗と泥にまみれた戦闘服のまま、椅子に座っていた。
初陣は無事に終わったが、身体よりも、心の疲労が強かった。
「……進捗って言われても、よく分かんないです。俺、戦っただけなんで」
「“戦っただけ”では評価対象外です。
討伐対象の種別、戦術選択の理由、仲間との連携、課題点、改善余地……そのすべてが評価項目です」
机の上に広げられた“労務日誌”の白紙が、無言の圧力を放っていた。
「……やっぱりこれ、書かないとダメ?」
「書かない場合、翌日の行軍に支障が出ます。
進捗管理部門が稼働不能と判断した場合、降格、隔離、もしくは強制再教育となります」
ソウジは苦笑した。
「なんだそれ……まじで会社じゃん」
そう呟いて、羽ペンを手に取る。
だが、何から書いていいか分からない。
“今日は、何を思って戦ったのか”――それを問われるのが、一番つらい。
「“勇者”って、こんな感じなんだな……」
ペン先を動かすことなく、ソウジは独り言のように呟いた。
「戦ったあとに、“なぜそれをしたか”を書かないといけない。
……これ、本当に魔王討伐に必要なのか?」
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その頃、ティナは別の場所で、蓮の“非公式手帳”を読んでいた。
誰もいない丘の上、テントを抜けてこっそりと。
ページをめくるたび、あの声が蘇る。
【第26日】
バルドが静かすぎる。怖い。多分、もう誰も信じてない。俺のことも。
【第27日】
リルタは、魔法で感情を消されたんだろうか。そうじゃなきゃ、あの目はできない。
【第28日】
俺は、誰の顔も見たくないのに、記録だけは見られる世界にいる。
風がページをめくるたび、ティナの指が震えた。
蓮が残した言葉は、誰の耳にも届かないまま消えていく――
その現実に、胸が痛んだ。
(蓮くん……あなたが抱えていたものに、私は気づけてたのかな)
そのときだった。
彼女の耳に、ソウジの怒鳴り声が届いた。
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「ふざけんなよ……っ!!」
声の主は、討伐隊の共有テント内。
机に投げつけられた労務日誌が床を転がった。
ソウジは立ち上がって叫んでいた。
「俺は、戦ってるんだよ! ちゃんと剣を振って、傷もついてる。
なのに、“気持ちの記録が不足してます”って、なんだよ……それが勇者なのかよ!!」
リルタは、いつもの通り淡々と返す。
「王国では、戦闘そのものより、“行動の意味”に価値を置いています。
感情の記録は、あなたの人間性を証明する唯一の手段です」
「俺の人間性? そんなの、剣を振る時に全部出てるだろ!
痛くて、怖くて、でも俺は守りたくて、それだけで十分だろ!」
「……“十分かどうか”を判断するのは、あなたではありません」
その言葉が、静かにテントを凍らせた。
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ティナが入ってきたとき、ソウジは壁にもたれてうずくまっていた。
その手には、まだ何も書かれていない労務日誌。
彼女は、蓮の非公式手帳を差し出した。
「これ……読んでみる?」
ソウジは目を見開いた。
受け取った手帳の表紙には、かすれた文字が刻まれていた。
「白河蓮」
ページをめくり、言葉を追ううちに、彼の表情が徐々に変わっていく。
怒りから、困惑へ。
困惑から、静かな共鳴へ。
「この人……俺と同じこと、思ってたんだ。
“記録じゃなくて、自分でありたかった”んだな」」
そう呟いた声は、ほとんど泣き声だった。
ティナは黙って頷いた。
その姿は、ようやく“何かを共有できた”ような、そんな穏やかな光を帯びていた。
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夜。
ソウジは内緒で、個人的な日記をつけた。
かつて、蓮が非公式手帳に思いを走らせたように。
>【第1日・記録】
>今日、俺は初めて人を斬った。
>泣いていた魔物だった。逃げようとしていたのに、止められなかった。
>でも俺は、“進捗”のために剣を振った。
>たぶん、俺は今日、勇者じゃなかった。
書き終えたあと、彼は深く息を吐いた。
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