第6話 深海への降下
ユウの部屋に、青白い光が差し込んだ。
カーテンの隙間から射すそれは、揺れる水面を通して届いた、海の朝だった。
「……んん。あとぉ、五分……」
まどろみの中で寝返りを打ちながら目を開けると、隣のベッドはすでに空。
ふと耳を澄ますと、窓際からストレッチの気配がした。
「おはよ。やっと起きたか」
振り返ったカイトは、朝日に溶けた影の中で体をほぐしていた。
ユウは寝癖の髪をくしゃっとかきあげて、布団の中から声を返す。
「……いや、ぜんっぜん起きてない。まだ、寝てる……」
「じゃ、もう一回寝るか? 初日から遅刻するぜ」
「それはちょっと……ご勘弁……」
時計を見れば、6時50分。
ユウはようやく起き上がると、制服に着替え、カイトと共に朝食チケットを手に部屋を出た。
ドルフィン寮の食堂は、水槽の天井越しに揺れる光で満ちていた。
天井を泳ぐ魚の影が、床に淡いさざ波を描いていく。
「なんか、朝って感じするな……魚もそう思ってそうだ」
ユウは眠気を引きずったまま、天井を見つめた。
「魚に朝って感覚あるのかよ」
「あるある。俺には分かる」
カイトは苦笑しながらもパンにかじりつき、ユウもそれに続いた。
朝の光の中で、生徒たちはそれぞれの朝を静かに迎えていた。
「……で、今日の授業ってなんだっけ?」
「深層生態学。第一教室って案内に書いてあった」
「深そうだなぁ、名前からして。めっちゃ、難しそう……」
「じゃあ途中で浮上できるように、浮き輪持ってけば?」
「いや、そういう意味じゃねぇ!」
二人のやり取りは、早朝の食堂に小さな笑いを広げた。
~~~~~
朝食を終え、エレベータータワーへ向かう列に加わった。
ガラス張りのシャフトに乗り込むと、静かに下降が始まる。
眼下には、環状に広がる都市の中層。
管や通路が交差する構造体が、まるで迷路のように広がっていた。
水の色は徐々に変化していく。青から、藍へ──そして群青へ。
「……わぁ」
ふいに、外を銀色の魚影が駆け抜けた。
尾びれから背にかけて黒いラインが走る。ギンガメアジの群れだ。
その群れは、一斉に回転しながら進路を変え、光の軌跡を残す。
まるで一匹の巨大な生き物が泳ぐかのように、統一された動きに息を呑んだ。
「すげぇ……あれ、何千匹もいるぜ……」
カイトの呟きに、ユウもこくりと頷く。
「……なんか、全部の命が、つながってるって感じがするな」
ふと、視線を感じて振り返る。
ガラスの向こう、左手に立っていた女子生徒がこちらを見ていた。
目が合い、少女は少し気まずそうに会釈する。
ユウも軽くうなずき、すぐに視線を戻した。
(同じ制服……ドルフィン寮、かな)
水はさらに深みを増していく。
そのとき、ふわりと現れたのは、一匹のクラゲだった。
長い触手をゆらし、ハナガサクラゲがエレベーターのそばを漂う。
透明な傘の縁には、淡いピンクや緑の光がにじんでいた。
「……なんかさ、あれ見てると、深海にも妖精が住んでるんじゃないかって思えてくるよな」
「はいはい詩人きたー。今度からユウのこと“深海ポエマー”って呼ぶわ」
「え、それちょっとかっこよくない?」
「褒めてないわ!」
冗談を交わしながらも、二人は目を奪われていた。
その姿は、深海そのものが持つ神秘の象徴だった。
しばしの沈黙のあと──
「なあ……もしこの床、抜けたらどうなると思う?」
突然のカイトの声に、ユウはすぐ返す。
「
「やめろやめろ! 冗談でも怖いって!」
そのタイミングで、天井に「厚さ15センチの複合装甲ガラス使用」の表示が出る。
「……なんか俺、見透かされてない?」
「安心設計だってさ」
「いや、そこじゃないだろ!」
周囲にいた生徒たちも、くすくすと笑い声を漏らした。
やがて、エレベーターは減速を始めた。
「着いたな」
「はあ……落ちなくてよかった」
扉が静かに開くと、その先には──
ノア学園での、本当の始まりが待っていた。
深い海の底に浮かぶ、知と訓練の都市が。
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【 登場生物図鑑 】
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◆ ギンガメアジ ─ Caranx sexfasciatus
・分類 :スズキ目 アジ科 ギンガメアジ属
・全長 :約50 cm
・特徴 :群れで行動し、旋回しながら方向転換する際に銀色の鱗が反射して輝く。
日本では春から夏に大きな群れを作る。
ダイバーにも人気のある大型アジ。
◆ ハナガサクラゲ ─ Olindias formosa
・分類 :淡水クラゲ目 ハナガサクラゲ科 ハナガサクラゲ属
・直径 :約10 cm
・特徴 :透明な傘に長い触手を持ち、深海で淡く発光するような光を放つ。
白・ピンク・緑などカラフルな色を発する。
ふわふわと漂う姿は幻想的だが、強い毒をもつため触ってはいけない。
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