第10話 あやかしの道 を見つける
星子が足を踏み入れた市場の裏路地は、表の賑やかさとは打って変わって、薄暗く、生ぬるい空気が澱んでいた。狭い道には、打ち捨てられた魚の骨や腐りかけの野菜が散乱し、湿った土埃の臭いが鼻につき、不気味なカラスの鳴き声が聞こえる。
「これ、持っていてください」
星子は市場のおばさんからもらったおでんの串刺しを彼に渡し、目を閉じて、呼吸を整えて、あちこちと歩き回った。
しばらくして、星子は手を振って、不知火に合図をした。
不知火は口に手を当てながらも、ゆっくりと歩いてきた。
「このあたり、何か感じないですか?」
星子が、不知火を見上げた。
「どうなのだろうか」
彼が目をこらしたり、臭いを嗅いだりして、周囲の気配を探った。
「星子、あなたは自分が思うように、行動してみて。私がそばにいて守るから、心配しなくていい」
「はい」
星子は先ほど感じた妙な感じの元を探して、意識を集中させた。
何かを感じて眼を開くと、その先、右手の路地の奥の古びた大木の根元に、異様な数のカラスが集まっているのが見えた。十羽、二十羽の黒い影が、何かに群がるように地面を突いている。彼らは、まるでそこから何かが湧き出ているかのように、執拗に、木の下の土を啄んでいた。
「あそこが怪しいです」
星子の指が、自然とカラスの集まる木を指した。
その瞬間、カラスたちが一斉にざわめき、まるで黒い衣をまとった不吉な使者のような鳥たちが、ばっさばっさと羽音を立てて飛び立り、黒い群れが空を覆った。
木の下には、カラスが突いてできたらしい小さな穴がいくつも開いていた。そこから、ねばりつくような邪気が、細い煙のように立ち上っているのが見えた。
「ここか。ここが、あやかしが通ってくる道の入口なのか」
不知火の眼差しは、その木の下の穴に釘付けになった。
「私、確かに、感じます」
星子は、その穴からじわじわと広がる冷たく異質な気配に、背筋を凍らせた。
「わかった。しばらく、離れていて」
そう言うと、不知火が術を行い始めた。
右手を胸の前に掲げ、指を絡めて印を結んだ。周囲の空気が張り詰めるように重くなり、その時、微かな風が巻き起こった。
彼の動きは無駄がなく、流れるように美しく、まるで能を舞っている人のようだ。星子の心臓がどきんどきんと音を立てた。
不知火の張りのある声が、路地に響き渡った。
「
不知火が印を結ぶと、その掌から、光の渦が放たれた。
それは見る間に膨れ上がり、木の下の穴を覆い尽くすと、光の柱となって天へと昇っていった。光は
カラスが突いていた穴も、
術が完了すると、光は収束し、不知火は静かに印を解いた。
先ほどまであった粘りつくような
星子は、あやかしの道が閉じられたことを、肌で感じていた。
不知火は大きく息を吐き、星子の方を振り向いた。
初めて、きちんと目が合った。
その顔には濃い疲労の色があったけれど、瞳には、任務を完遂した満足感が宿っているように見えた。
「よく見つけたね、星子」
「あれで、よかったのですか」
「上等です」
初めて褒められたので、星子はうれしすぎて、もう少しで涙ぐむところだった。
「さあ、帰ろう。都には、赤丸のところはまだたくさんある。うちに帰って休んで、明日、また出かけよう。できるかい」
「できます」
「お腹が空いただろう」
「はい」
路地を抜けて、ふたりは再び賑やかな市場に戻ってきた。干物の香ばしい匂い、威勢の良い掛け声、人々のざわめき。
「あらっ、さっきの串刺しはどうしましたか。捨てちゃいましたか」
「いや」
「預かってもらいましたが、どこですか」
「それが」
「まさか、私が集中している間に、食べてしまったということはないですよね」
「一口味見をしたら、止まらなくなってしまった。ああいうものは、初めてなんだ。なかなか……うまい」
「信じられない。不知火さまが、お仕事中に、盗み食いするなんて」
「ごめん」
赤くなっている不知火を見て、星子がふふふと笑った。
「でも、私、感心しています」
「何を」
「あんな汚い場所で、よく食べられたものだと」
「もう言うな」
今回は、星子が笑っても、不知火は睨みはしなかった。
「では、褒美に、ほしいものを何か買ってあげよう」
「ほしいもの?」
「高価なものでも何でもいい」
不知火の問いかけに、星子は首を傾げた。
いつもなら、この活気ある市場で目移りするほど多くの品々や、食欲をそそる匂いに誘われるはずなのに、今はもう何もほしくなかったし、お腹も空いてはいなかった。
彼女の胸を満たしていたのは、不知火を助けて、問題をひとつ解決できたことのうれしさだった。
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