神谷一族と街のルール

「あーあ、もうね、おじいちゃんがぜーんぶ悪い! なんで遺言準備しておかなかったのよー」


 最終的には愚痴となって、春菜は目の前のコーラをずずっと吸う。


 子どもっぽさと、本家の人間としての経験、そして大人びた洞察力を持つ春菜に、小烏は問う。


「もし神谷さんがおじい様だったら、跡取りとして誰を指名してましたか?」


 急な問いかけに、春菜は目をぱちぱちさせる。


「それは、おじいちゃんが亡くなるときと同じ条件でってこと?」


 つまり正樹は失踪せず、椿も生きており、千李が男として認識されているという状態だ。


「えぇ、そうです」


 小烏に問いかけの条件を確認すると、春菜はコーラを一口飲み、


「ちーちゃん」


 隣に座る千李を指さした。


「な、なんで私なの? どう考えても椿君でしょ?」


 当の千李は、首を横にぶんぶんと振って否定の意を示す。


 千李の言葉に、春菜はストローで氷をつつきながら答える。


「確かにお兄ちゃんは有能だけど、リーダーってタイプじゃないんだよね。どちらかというと誰かを支える立場で能力を最大限に発揮できるタイプなのよ。高校でも副会長として、裏から会長を支えてたような人だし」


 そしてそのストローを千李に向ける。


「だけどちーちゃんはここぞというときに、ずばっと決断する力があるでしょ? ダメなことはダメって言うし、嫌な事でも自分の利益になるなら受け入れる力もある」


「なるほど」


 小烏が同意すると、春菜はさらに得意げに続ける。


「それにちーちゃんが神谷家にくれば、必然的に楓おばちゃんもついてくるからね。ちーちゃんがリーダーで、楓おばちゃんの能力とお兄ちゃんのサポート力があれば、神谷家も安泰ってもんよ」


「そんなこと無いと思うけどなぁ」


 首を傾げる千李。


「あの楓おばちゃんに、真っ向から反抗して自分は女の子だって言っただけでも決断力の塊だよ」


「その決断力のおかげで、相続から外れることになったんだけどね」


「結果的にはねー」


 千李と春菜は似たような顔を合わせて、あはは、と笑う。


「神谷家としては、相模家を指名するのに対してあまり抵抗がないんですか?」


 本家として、分家の人間が入ってくることにあまり拘らない春菜の言い分に小烏が問う。


「そりゃ、お母さんとかお父さんは拘るかもね。優秀なお兄ちゃんがいるし、昔からそのつもりで育ててたし。それに今までの風潮からも、本家の男子が継ぐのが一般的だもん」


 春菜は腕を組んで答える。

 さらに、人差し指を立てて彼女は続ける。


「でも、その男子が少なくなった現代社会の神谷家としてベストな選択をするのが当主の役割だって言うなら、分家だろうが愛人の子だろうがあずにゃんだろうが取り込んでいかなきゃ、このご時世生き残れないでしょ」


「もう春菜ちゃんが当主やった方が良いような気がしてきた」


「『男子』の制限含め、神谷家の跡取り制度は今一度見直した方が良さそうですね」


 そんな彼女を見ながら、千李と小烏は言い合う。


 春菜は自分の考えを口にしながらも、ため息をつく。


「まぁ、口で言うのは簡単なんだけどね。実際は家だけの問題じゃないからさ。当主の一存で億単位のお金が右から左だもん」


「億単位、ですか」


「そだよ。ルールが変わるっていうのは、この街の人間にとっては死活問題なんだよ。神谷家としては今のままじゃ生きていけないけど、今のままじゃないと生きていけない人もいるの」


 春菜は氷の解けたコーラをストローでかき混ぜながら愚痴る。


「私が思っている以上に根深いようですね、神谷家の跡取り問題は」


 億単位の金が人一人の采配で動く世界に図らずも巻き込まれたことに、小烏は表情を変えずに小さくため息をつく。


 その反応に千李が身を乗り出す。


「だからこそ驚いたんですよ。こんなゴタゴタした状況で、あの母が私なんかの絵の調査を許可したのが。絶対に断られると思いましたよ」


 春菜も大きく首を振って同意を示す。


「だよね! 楓おばちゃんの絶対零度シールドを破るなんて信じられない!」


 ねー、と顔を見合わせる千李と春菜。


 2人の反応から、本来の楓の性格であればまず間違いなく絵の調査など許可が下りなかったのだろう。


 完璧な才女は、小烏が思っていた以上に厳しい性格だったようだ。


「それがうちの助手の仕事なんです」


 そう短く小烏は返した。

 春菜はその意図を読まず、目を閉じてふふふと柔らかく笑う。


「いいなぁ、助手くん。格好いい上に、強くて優しいとか完璧だよね。あんな彼氏いたら、みんなに自慢しちゃうなぁ」


 春菜の洞察力も、鷹月の魅力の前に瓦解してしまったようだ。


 過去に何度も同じようなことを言われているのか、小烏は冷めた口調で答える。


「仕事中だからそう見えるだけです。あの男を彼氏にするのだけはお勧めできません」


 そんな小烏に春菜が懐疑の目を向ける。


「えー、そうなの? 絶対私生活でも優しいよー。記念日とか大事にしてくれて、愚痴も口を挟まずに聞いてくれて、夜も電話したら寝るまで話してくれるタイプだよ」


 その言葉に、小烏は昨夜の出来事を思い出して、さらに冷めた声で返す。


「あり得ませんね。ナイフを突き付けられた依頼人よりも、蟻の行く先に興味を向けるようなクズですよ、あの男は」


「……あぁ、あれは少しびっくりしましたね」


 緊迫した状況の中、1人だけ集中の糸を切っていた鷹月を思い出して、千李も苦笑いをする。


 しかし否定されればされる程に燃えるのか、春菜が両手を握って身を乗り出して反論する。


「い、いやでも、それくらい気まぐれでお茶目なところがあった方が! 大きいネコちゃんみたいな可愛さも併せ持っていて! 良いと思います!」


「気まぐれではなく情緒不安定なんです。やたらツラが良い野生のゴリラくらいの認識がちょうど良いと思いますよ」


 ははは、と乾いた笑いと共に言葉で返す小烏。


 ちょうどその時、小烏の後ろから声がかかる。


「おっと、死にかけのカラスが何かほざいてますねぇ」


「おうおう所長さんよぅ! アニキに向かって言ってくれるじゃねぇか」


 タイヤの修理を終えたゴリラと子犬が帰ってきた。


 笑顔の鷹月より一歩前に出た梓が、小烏に向かってメンチを切っている。


「親切心から言ってやるが、俺は1つも間違ったことは言ってないぞ。そいつの本性見て失望するくらいなら、今のうちに身ぃ引いとけ」


 そんな梓を鼻で笑いながら小烏が言う。


「馬鹿野郎。俺ぁアニキだったら、ゴリラだろうがマンドラゴラだろうが着いてくぜ」


「なんでマンドラゴラなんですか。せめて動物で例えてください。耳元で叫んで差し上げましょうか?」


 語感からか叫び声で人を殺す伝説のある毒草に例えられ、鷹月が梓の首元をがっと掴む。


「マジっすか! 是非! お願いしまっす!!」


 しかし当の梓は目をキラキラさせて期待してしまっている。


 それにやる気をなくし、鷹月はうんざりした顔で梓から手を離すと、見えない尻尾を振る彼を無視して小烏に向き直る。


「所長。車の修理終わりましたが、相模家へ出発できますか?」


 小烏が千李と春菜を見ると、2人は笑顔とサムズアップで返す。


 オーケーと取った小烏は、


「お前は梓さんと一緒にうちの車で行け。そいつとお嬢さん方を一緒にするのは危険だからな。彼女らは俺がバンで送る」


 そう車分けをする。


「ひゃっほー! アニキと一緒だ!」


 満面の笑みで拳を突きあげる梓を見て、鷹月はさらに辟易した顔で天井を仰いだ。

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