29話 ご注文はカワイイを

「いらっしゃいませっ! ご主人さまっ!」


 メガネのメイド――エルちゃんは、元気に可愛らしく挨拶をする。

 年齢は十六歳で、高校生。このメイド喫茶ではお酒なども取り扱っていない健全店だから働きやすいのだとか。よく考えたら梅香と同い年くらいだ。


「ほらほら、歩夢さんっ! こっちこっち!」


 パタパタと手を振るエルちゃんは可愛らしかった。これが女の子らしさ……なんだろうか。店内はそんなに広くない。レンガ模様の壁と、暖かみのある木製の雰囲気は一見すると普通のカフェだ。テーブル越しに魔法の呪文が唱えられること以外は。

 

「エルちゃん今日も可愛いよー‼︎世界一‼︎天使の輪っかが見えちゃうナー‼︎」


 常連客は一息で褒めちぎる。言動はいわゆる『オタク』なのだが、見た目はどこにでもいそうな大人だ。チェックシャツのおデブオタクは偏見なのか、時代に淘汰されたのか。少なくとも目の前にいる人は、普通の人だった。

 俺は、オーディションの時のような緊張感で、テーブルに向かう。か、可愛いと思ってもらえるんだろうか。とにかく、明るく、笑顔を心がけて……その思いは裏声という形で空回った。


「ご主人さまァ! 何をご注文ですかァ!」


 慣れない高音は裏声になり、恥ずかしさで顔が熱い。もうどこかへ逃げてしまいたい。思わず俯くと、もう怖さで顔を上げられなかった。


「歩夢さんっ! 顔上げて、おめめでハート飛ばしてくださいっ!」


「歩夢ちゃん可愛いよ〜! 俯いてるのもカワカワキュンキュンだ〜! こっち向いて〜!」


 なんだこの空間は。意味がわからない。アイドルのステージもこんななんだろうか。でも、オタクの人の声からは、からかったり、バカにするような雰囲気はない。

 ……俺も、ずっと奈恋を応援してきたからわかる。何かを頑張ろうとしている人は、かっこいい。でもそれは、本人が全力で、ひたむきに、周りから奇妙な目で見られても必死で頑張っているからだ。だから俺も恥ずかしがってちゃいけない。

 それに俺は知っている。アイドルが可愛さのプロなら、オタクは可愛さを応援するプロなんだ。今は、この人を信じてみよう。


「と、当店のオススメは、ふわーり愛情たっぷりキュンキュンラブラブオムライスです!」


「歩夢さんっ! そこは『一緒にハート作りましょう♡』も!」


「一緒にハート作りましょうください!」


「落ち着いて、もっと可愛くっ! お客さんの目を上目遣いでっ!」


 上目遣いなんてしたこともない。お客さんの前で姿勢を低くして、目を合わせる。人の目をしっかり見るなんていつぶりだろう。奈恋とだって、ちゃんと目を見て話していないような気さえする。

 よし、上目遣い、上目遣い……!


「あ、愛情で〜キュン死させちゃうぞ!」


「白目っ! 白目になってますっ! 上目遣いじゃないですよっ!」

 

「おもしれー女……いや男か」


 全力が空振りに終わることもある。その後も全くなんの手応えもなく、出勤『一日目』が終わった。

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