第8話 お嬢様の料理係 

 昼食の提供を終えて洗い物をしながらも、リゼットはずっとシャルロッテのことが気にかかっていた。


(……お料理、ちゃんと食べてくれたかしら?)


 そわそわと何度も入り口を見やり、ワゴンが運ばれてくるたび身構えるが、なかなかシャルロッテの皿は下げられてこない。


 そんなリゼットの様子を見かねたのだろう、コンラートが苦笑しながら近づいてきた。


「まぁ、落ち着けって。食うのに時間がかかってんのはいい兆候だ。お前は十分やった。どんと構えて待っていろ」


「……はい。ありがとうございます」


 励ましの言葉に心が軽くなり、微笑みを返したその時。待ちわびた人がようやく厨房に姿を現わした。


 マディソンのもとに駆け寄り、ワゴンの上に並んだ空の食器を目にした瞬間、喜びがこみ上げてくる。


「完食です!」


 弾む声でそう告げれば、辺りは一瞬シンと静まり返り。

 次の瞬間──。


「うぉぉぉおお!」

「よっしゃああああ!」


 調理場は地鳴りのような雄叫びに包まれた。


 普段は寡黙な料理人たちが感情を爆発させ、思いっきり破顔したり拳を突き合せたりして互いの健闘をたたえあう。

 その光景を見ているだけで自然とリゼットの頬も緩んでいく。

 

 そこへ「あの……」と呼びかけられ、リゼットはマディソンの方へと顔を向けた。


「ピンク色の冷製ポタージュに、シャルロッテが大喜びしていました。『プリンセスの色』だって。あとは雪山に見立てたパンも」


「喜んでいただけて、よかったです」


「どうやらあの子は、見た目や色が綺麗な食べ物が好きみたいです。パプリカも『これは果物だ!』って言って、美味しそうに食べていました。もしかして、あれもリゼットさんのアイデアですか?」


 はいと答えれば、マディソンは感心したように深く頷いた。


「実は、シャルロッテがポタージュのおかわりを食べたいと言っていまして。まだ残っていますか?」


「えっ? あっ、はい! すぐにお持ちします!」


 万が一の配膳トラブルに備えて、もうひとつ準備しておいてよかった。


 リゼットは氷冷箱からキンキンに冷えた器を取り出し、トレイに載せて差し出す。

 会釈して受け取ったマディソンは、足早に厨房を出ていった。


 一連のやり取りを見ていたコンラートが愉快そうにククッと喉の奥で笑う。


「あのポタージュ、しこたま野菜が入ってんのに気付いてねぇんだろうな。シャルロッテ様は」


「はい、おそらく」


 きっとマディソンがその辺りをうまく説明してくれたのだろう。


「──でかした」


「えっ?」


 不意に頭上から降り注いだ声に驚き、リゼットは顔を上げた。


 目が合うとコンラートは口の端を持ち上げ、不器用な笑みを浮かべながらもう一度言う。


「お前のおかげで、頭痛の種がひとつ減った。──よくやった、リゼット・メイエール」


 今まで『お前』や『新入り』としか呼ばなかった上司が、初めて名前を呼んでくれた。それは、正式に厨房の一員として認められた証のように思える。


 無骨な、それでいて深く胸に響く言葉に、熱いものがこみ上げてきた。


「お前がここに来なけりゃ、今日の成功はなかった。目で見て楽しい料理、これからもシャルロッテ様に作ってやれ。頼んだぞ」


「はい! 頑張ります!」


 リゼットは上司の期待をしっかりと受け止め、喜びを胸に力強く返事をしたのだった。



 

 お嬢様の食事係を任されて目まぐるしく働いていた、とある日の昼下がり。


 食後の器を運んできたマディソンは、どことなく暗い雰囲気を漂わせながらリゼットのもとへやってきた。


(今日は全然食べてもらえなかったのかしら?)


 山盛りの食べ残しを覚悟して皿を覗き込むも、料理はすべて綺麗に平らげられていた。


 予想が外れて思わず「あれ?」と声が漏れてしまい、それを耳にしたマディソンが首を傾げる。


「どうしました?」


「暗い顔をなさっていたので。てっきり、お食事がシャルロッテ様のお気に召さなかったのかと」


「あぁ、すみません。食事の方は順調なんですけど、実は……読み聞かせに苦戦しておりまして。悩みが顔に出てしまったようです」


 マディソンはこめかみに手を当て、深いため息をつき真顔で呟く。


「──僕、どうしてもプリンセスになりきれないんです」


 深刻な口調で放たれた、あまりにも可愛らしい悩みに、とっさに笑いがこみ上げてくる。


 ダメダメ。本人は至って真剣に悩んでいるのだ。ここでクスッとするわけにはいかない。


 リゼットは表情を引き締め、聞き役に徹することにした。


「淡々と読めば『ちがうちがう!』とやり直しさせられて、裏声を出せば『そんな気持ち悪い声のプリンセスはいない』と文句を言われ……もう、どうすればいいのか……。はぁ……」


「それは……とても、たっ、大変ですね」


 なんとか笑いはこらえているものの、どうしても声が揺れてしまう。必死に耐えていたが、どうやらマディソンにはすべてお見通しだったらしい。


「口元がヒクヒクしていますよ、リゼットさん。いいです、我慢せずに笑ってください」


「ふふっ……すみません。低くてハスキーな素敵なお声で、プリンセスの台詞をおっしゃっているところを想像したら、つい」


「僕も自分で、なにをやってるんだろうなぁ……と思いますよ。大人の男が裏声で『あぁ……王子様。愛していますわ!』なんて。端から見たら地獄絵図ですよ、地獄絵図。はぁ……この後も読み聞かせの時間だから、憂鬱で……」


 何度目か分からないため息をつき、なかなか厨房から立ち去ろうとしないマディソン。


 慣れない読み聞かせに相当参っているのだろう。その沈んだ表情は、見ているこちらまで胸が痛くなるほどだった。


「あの……もしよければ、私が読んでみましょうか?」


「えっ⁉ いっ、いいんですか‼」


「はい。これから休憩に入るので、夕食の支度を始めるまでの間でよろしければ。あっ、でも一応、コンラートさんに許可をいただかないと」


「ではさっそく行きましょう!」


「えっ、マディソンさん⁉」


 リゼットの気が変わるのを恐れてか、マディソンは素早くきびすを返し、厨房の奥へと駆けていく。


 慌ててその背中を追いかけコンラートに事情を説明したリゼットは、持ち場を離れる許可を得て、マディソンとともにシャルロッテの部屋へと向かうのだった。


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