第7話 『プリンセスのスープ』と『雪山パン』

 ダイニングルームに昼食を載せたワゴンが静かに運ばれてくる。


 配膳の使用人から受け取ったマディソンは、鮮やかな色合いのポタージュにまっさきに目を奪われた。


「おぉ……」


 思わずこぼれたマディソンの感嘆の声に興味を引かれたのだろう。シャルロッテが大きな瞳をパチパチと瞬かせ、不思議そうな面持ちで見上げてきた。


「『おお』? ねぇねぇ。なぁに、なぁに?」


「ほら、見てごらん。今日の昼食はすごく綺麗で美味そうだぞ~」


 そう言って器をシャルロッテの前に置けば、好奇心旺盛な三歳児は目をまん丸にしてピンク色のポタージュに釘付けになった。


「わあぁっ! プリンセスのいろだぁ!」


 興奮してキャッキャとはしゃぐ無邪気なシャルロッテ。


 プリンセスの色とやらはマディソンにはよく分からないが、言わんとしていることはなんとなく察せられる。

 おそらく『素敵』もしくは『可愛い』と言いたいのだろう。


「これ、なんのすーぷ?」


「え? あー、えーっと、それはだなぁ…………」


 返答に困り、視線をさまよわせるマディソン。

 料理とともにワゴンに置いてあった紙には、柔らかな筆致で【しゃがいもとビーツの冷製ポタージュ】と記されていた。


 いつもは品書きなどついてこないので、新入りのリゼットが気を利かせて添えてくれたに違いない。


(野菜って分かったら、絶対に食べないよなぁ……)


 悩みに悩んだ末、マディソンはへらっと笑い、すっとぼけることにした。


「うーん。なんだろうなぁー」


 棒読み感は否めないものの、どうやらシャルロッテは信じてくれたらしい。


「マディソンも、わからない?」


「ああ、ごめんな。──さぁさぁ! 早く飲まないと、せっかくの冷たいスープがぬるくなってしまうよ」


「あっ、たいへーん!」


 器に触れたシャルロッテは、思った以上の冷たさに「ぴゃっ」と声を上げて手を引っ込めた。けれどすぐに両手で器を包み込み、「ふへへっ」と楽しそうに笑う。


「つめたーい! きもちーっ!」


「こら、食べ物で遊ばない」


「はぁーい。いただき、ますっ!」


 素直にスプーンを手に取ったシャルロッテは、ペコリと頭を下げてからポタージュをすくいパクッと口へ。


(どうだ、どうだ……? 野菜だと気付くか?)


 固唾を呑んで見守るマディソンの前で、シャルロッテはゴックンと飲み込み、すぐに顔をふにゃんとほころばせた。


「おいしー!」


 左手をぷっくりとした頬に当て、足をパタパタさせながら弾んだ声を上げる。


 ぱあっと花が咲くような満面の笑顔に、内心緊張していたマディソンは胸を撫で下ろし、静かにため息をついた。


「マディソン! プリンセスのすーぷ、おいしーよ! これ、だいすきっ!」


 スプーンを口に運ぶ手は止まらず、器の中身はみるみるうちに減っていく。

 野菜がふんだんに使われていることなど、まったく気付いていないようだ。


 しまいにはスプーンを放り出し、両手で器を持って豪快にゴクゴク。最後の一滴まで綺麗に飲み干してから、名残惜しそうに空の器をテーブルに置いた。


「おかわり!」


「他の料理も食べてからな」


「むぅ……けち」


「ケチ? そんな言葉、いつ覚えたんだ?」


「ないしょ」


「そ、そうか……」


 ここしばらく一緒にいるが、最近のシャルロッテの口癖は『ナイショ』と『しらなーい』だ。


 自分はあれこれ質問してくるくせに。

 だがまぁ、そんなところもまた微笑ましくて可愛らしい。

 

 次にメインの肉料理を目の前に置けば、シャルロッテが真っ先に手を伸ばしたのは、意外にもハートの形をした赤いパプリカだった。


「これ、なぁに?」


 またもや質問だ。しかし、これも野菜なので答えられない。


「さぁ? なんだろうなぁ。とりあえず食べてみようか」


 先程と同じくとぼけて促せば、シャルロッテはパプリカを鼻に近づけ、すんすんと匂いを確かめてから恐る恐るかじった。


「ん~~……。ん?」


 赤いパプリカを全部モグモグと食べて呑み込み、首を傾げる。

 どうやら、まだ野菜だと気付いていないようだ。

 

 続けて黄色い星型、オレンジ色の丸型も順に口に入れていく。

 そうして三種類のパプリカを食べたシャルロッテは、まるで事件の真相を解き明かした探偵のようにキリッとした顔で断言した。


「これは、くだものだっ! あまいもん!」


 ──いやいや、シャルロッテ。それは歴とした野菜だよ。


 マディソンは訂正したくなるのをぐっとこらえ、「そっか。果物かぁ」とにこやかに相槌を打った。


 果物を食べた気になってご満悦のシャルロッテは、次に小さくカットされた子羊肉のローストをパクパクと口へ運んでいく。

 けれど、相変わらず緑色の食材には手をつけない。


「肉ばかりじゃなくて、野菜も食べないと」


 そう声をかけると、シャルロッテは唇をキュッと引き結び、拒絶するようにブロッコリーとスナップエンドウをフォークでスススッと皿の端に追いやった。


(やはり今日も駄目か……。仕方ない。パプリカを食べてくれただけでも、よしとしよう)


 気を取り直してワゴンに向かい、パンの皿に手をかけた時、添えられたメモが目に留まった。



【パンはアントウェル近郊の山に見立てて盛り付けてあります。もし甘みが足りず食が進まないようでしたら、山頂に雪を降らせるように粉砂糖をサラサラッとかけてみてください。ただし、かけ過ぎ注意でお願いしますね】



 ────これだ!



 ひらめいたマディソンは、メイン料理の隣にパンの皿をそっと置いた。


「ん? これ……おやまだっ!」


「そうだよ。野菜を食べたら、このパンの山に甘い雪を降らせてあげよう」


「あまい、ゆき?」


 マディソンは粉砂糖の入った茶こしティーストレーナーをワゴンから取り出し、パンのてっぺんで軽く振ってみせた。


 雪のような白い粉がふわりと降りかかり、パンの表面がうっすらと色づく。


 それを食い入るように見つめていたシャルロッテは、キャッキャと笑いながら両手を叩いた。


「もっと! もっと!」


「ブロッコリーをひとつ食べたらな」


「えぇーっ! …………ぐぅ……ぐぬぬぬ……」


 シャルロッテは眉間にしわを寄せ、皿の端に避けられたブロッコリーをじーっと睨みつける。やがて覚悟を決めたようにフォークを握りしめ、グサッと茎の部分を突き刺した。


(とどめを刺すんじゃないんだから。そんなに力まなくても……)


 苦笑いするマディソンの前で、シャルロッテはぎゅっと目をつぶりブロッコリーを口に入れた。


「ふぇぇぇ……」


「丸呑みしちゃ駄目だぞ。ちゃんとよく噛んで」


 目を閉じたまま、美味しくなーいと言わんばかりの顔でモグモグ……そしてゴクリ。「ほらー!」と大きく開けた口の中に、ブロッコリーの姿はなかった。


「すごいじゃないか、シャルロッテ! 偉いぞ!」


 褒め言葉とともにご褒美の粉砂糖をかけてやれば、シャルロッテは口直しのパンを素早く口に放り込み、ニコニコと笑った。


「あまぁい! もっともっと!」


「じゃあ、次はスナップエンドウを食べようか」


「ふぇ……?」


 容赦ないマディソンの一言に、笑顔から一転。

 シャルロッテは眉根を下げて目をウルウルと潤ませ、途方に暮れたような顔になった。


「やだぁ……」


「そうかぁ、嫌かぁ。なら、残念だけど雪は撤収だなぁ~」


「やだやだ! ……たべるぅ、たべるもん! ……ぐぬぬぬ!」


 両手をばたつかせたシャルロッテは、まるで親のかたきのようにスナップエンドウを睨みつけ、フォークでグサリ。


 甘いパンを求めて、嫌々ながらも緑の食材を口に運んでいく。



 ──こうして居残り常連だった野菜たちはその日、見事に皿の上から姿を消したのだった。


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